「行動する作家」ぼくらはその言葉を聞くと、ヘミングウェイや、村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチ「壁と卵」を思い浮かべたりする。もっとショッキングな例として、昭和45年に三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊駐屯地に突入し、自決した、いわゆる「三島事件」という昭和史の瞬間を挙げるひともいるかもしれない。

今回の孤高のダンディ、ガブリエーレ・ダンヌンツィオは、まさにその意味で言行一致、行動する作家の先がけとして、19世紀末から第二次世界大戦までの半世紀、文学・演劇・政治・軍事・ゴシップという五股をかけた、ヨーロッパで最も名を馳せたイタリアン・ダンディだ。それはまさに「ダンヌンツィオ現象」と呼ぶのにふさわしいものだった。

独自の耽美的世界をつくりあげたイタリアン・ダンディ

文学作品だけにとどまらず、政治にも多大な影響を与えた偉人

ガブリエーレ・ダンヌンツィオ●1863年3月12日生まれ。1938年3月1日没。イタリアの詩人、作家、劇作家。ファシスト運動の先駆者であり、イタリアン・ダンディズムの先がけとの声もある。生前多くの作品を出し日本近代文学にも多大な影響を与えた。なかでも本文中で触れた三島由紀夫は、作品への影響だけでなく、彼の最期の行動と演説はダンヌンツィオの模倣とまで指摘されているほどだ。「美」に対する執着は人並み外れたものであり、官能的な作品ごとにつきあう女性を変えたりと、女性関係の話題も事欠かない人物である。

1863年、アドリア海に面したのどかな漁港ペスカーラのブルジョア一家に生まれたダンヌンツィオは、早くからその圧倒的な文才を発揮する。16歳のときに出版した処女詩集『早春』のできは、ノーベル文学賞を受賞した同国の代表的詩人、ジョズエ・カルドゥッチから激賞されるほど。

その名声はなんと日本にまで轟いていた。20世紀初頭、日本でヨーロッパの詩といえば上田 敏が『海潮音』で紹介したフランスのボードレールやヴェルレーヌが知られるが、森鷗外に捧げられたこの詩集にまっ先に登場するのは、誰のものでもないダンヌンツィオの詩2編。上田ばかりか、鷗外や漱石、芥川など大作家も耽溺していたことが知られている。

小説でも1889年に『快楽の子』が話題になり、その3年後に著した『罪なき者』は、死後、ヴィスコンティによって映画化される(邦題『イノセント』)。戯曲もエレオノーラ・ドゥーゼやサラ・ベルナール、イダ・ルビンシュタインらの大女優、バレリーナのために書いた作がヨーロッパの舞台を賑わす。

しかし、いみじくもそのタイトルに『快楽の子』とあるように、ダンヌンツィオにとって性は至上の快楽であり、女性は、作品のインスピレーションだった。

ローマ、フィレンツェと活動拠点が変わり、新しい作品に取り組む度に女性も変わる。スキャンダラスな生活の挙句、金が底をつくと、「亡命」と称してパリに渡り、当時パリいちのダンディと呼ばれたロベール・ド・モンテスキューの力を借りて、劇作を続けながら、ここでも漁色家ぶりを発揮する。

ダンヌンツィオの文学がボードレールやランボー、オスカー・ワイルドたちと並び「デカダン派(退廃派)」と呼ばれる所以のひとつは彼のこんなライフスタイルにも関連しているのである。背も低く、青白い肌、若いころからの禿頭と、とてもハンサムとはいえない男だが、その弁舌の巧みさと自信に満ちた振る舞い、自己愛の表れである完璧な服装、花とプレゼント攻勢の前に女性はなす術はなかったという。

そんなダンヌンツィオにもベルベットのドレッシングガウンの日々を去るときがくる。過剰な自己愛は行き過ぎた愛国心に通じる。第一次世界大戦の開戦とともにイタリアに戻ったダンヌンツィオは、連合国側への参戦を訴える大演説を行う。

自身も当時50歳を超えていたにもかかわらず、戦闘機乗りとして志願するが、事故で片方の視力を失う。戦争の英雄ダンヌンツィオの誕生である。

戦後、戦勝国にもかかわらず、他国の顔色ばかりうかがう祖国に業を煮やしたダンヌンツィオは、本来イタリアの一部であるアドリア海沿岸の街フィウーメ(現クロアチアのリエカ)をイタリアに併合すべく、なんと軍団を組織。自らを「コマンダンテ(司令官)」と称して進軍し、街を占領してしまうのである。

この占領は1年有余も続き、最終段階ではイタリア本国にまで宣戦布告したが、結局イタリア海軍の圧力に屈し、投降。思想と行動の一致。どうせ死ぬなら戦場で死にたいという究極のダンディズムは無残についえた。

それでもイタリア国民にとってダンヌンツィオが英雄であり、愛国詩人であることに変わりはない。ファシスト政権を樹立したムッソリーニは狡智を働かせ、ダンヌンツィオをファシスト党の礼賛者に祭りあげることで、国民の支持を得ようとし、ダンヌンツィオの全集まで出版する。その下心も彼は見抜いていた。

今はダンヌンツィオの記念館となっているガルダ湖畔の自宅で愛する事物に囲まれて過ごした晩年、ダンヌンツィオの口癖は「やってしまったことはしかたがない」だったという。

この記事の執筆者
TEXT :
林 信朗 服飾評論家
BY :
MEN'S Precious2017年夏号ダンディズム烈伝より
『MEN'S CLUB』『Gentry』『DORSO』など、数々のファッション誌の編集長を歴任し、フリーの服飾評論家に。ダンディズムを地で行くセンスと、博覧強記ぶりは業界でも随一。
クレジット :
文/林 信朗 イラスト/木村タカヒロ