休刊していた雑誌『WIRED』日本版のリブート=再始動を託された、編集者の松島倫明さん。ご自身のライフとワークにまつわる転機を中心にお話をうかがった前編を受け、後編のお題は『WIRED』の特集にもなっている‟WELL-BEING(ウェルビーイング)”について。

【前編】人生には、物を所有するだけではないラグジュアリーが大切

編集長就任後の2号目(VOL.32)では、ロボット、ヴァンライフ、自然、食、健康、他者とのつながり、ファッションなど、さまざまな角度から幸せの在り方を提言しています。

世界でデジタル化が急速に進むこれからの時代に向けて、未来を明るくする秘訣を教えていただきました。

「あいまいな悲観」を捨て、事実を見れば未来を信じられる

「ウェルビーイング」とは、身体的、精神的、社会的に良好な状態にあることを意味する概念で、「幸せ」とも訳される言葉。特に世界をリードするIT企業が集まるアメリカ西海岸では、よりよい人生を過ごすための指標として近年、注目されています。

松島倫明さん。編集部分室が入る、鎌倉の『北条SANCI』縁側にて
縁側から望む庭
ーーこれからの時代でよりよく生きることを考える前提として、『WIRED』日本版再始動1号目の「闘う楽観主義」という、ルイス・ロゼットさん(US版初代編集長)の言葉がすごく刺さったんです。「みんなデジタル革命や社会の現状を悲観するけれど、この25年で数値を見れば、あらゆることが改善している」という趣旨の話で。私はまさにこの「悲観する人」だったなと。

きっとみなさん、そうだと思います。

ーー「ITだ、AIだ、VRだと賑わっているけれど、世の中がよくなっている感じもしないし、もうこれ以上便利にならなくてもよくない?」と思っていたので。でも、世界を数字で見れば健康、経済、教育など本当に多くの分野で前進している。新しい技術、予測のつかない未来、置き換えられていく人間の仕事…といった事象をポジティブにとらえ直すことができたんですね。

今、日本や先進諸国が陥っているのが「あいまいな悲観主義」とされています。ベストセラーになっている『ファクトフルネス』(日経BP社)という本で書かれていることが、まさにこれ。たとえば、「世界の人口のうち、極度の貧困にある人の割合は、過去20年間でどう変わった?」と問われて、「2倍になった」という人が多いけれど、正解は「2分の1になった」なんですね。

ほかにも、「世界中の1歳児で、なんらかの予防接種を受けている子供は、どのくらいいるでしょう?」という問いに、20%、60%、80%の3択が提示されて、いちばん選ぶ人が多い回答は20%なんですが、正解は80%。また、「世界中の30歳男性は、平均10年間の学校教育を受けています。同い年の女性は何年間、学校教育を受けているでしょう?」の答えは、9年です。

ーー男女であまり差がないんですね!? 意外です。

こういった世界の事実に関する質問を13問、14か国の1万2千人に聞いて、未だかつてすべて正解した人はひとりもいないらしいです。トップエリートとされる人でも、間違える。僕自身、先日とある有名企業の講演で社員の方々に同じ質問をしてみたら、やはり同様でした。

でも、ほとんどのデータが国連などで公表されていて、だれでも自由に取ってこられる情報。この20年って、科学技術と基本的な個人の主権を尊重する価値観が広がったことで、平均値をとればものすごく改善しているにもかかわらず、なぜか僕らは「世の中悪い方向にいっている」という風に見ている。

ーーなんとなくイメージで見てしまって、世界のことを正しく把握できていないんですね。

「人間はテクノロジーに支配されて、自分たちの自然や人間性がはく奪されている」というイメージがあると思うのですが、そこは事実をもとにして、もう少し大きな絵で全体を見る必要があるんだなと。

アメリカ最強の起業家とも言われ、『ZERO to ONE』の著者でもあるピーター・ティールは、「こうすれば物事を良くできる、という明確な楽観主義のもとでないと、0から1はつくりだせない」と言っていまして。根拠のないあいまいな悲観主義からは、絶対に0⇒1のイノベーションは生まれないと。

僕自身はテクノロジーはいいものはよりよく、悪いものはさらに悪く増幅するアンプのようなものだと思っていて。使いようによっては、人間性や暮らしの質、あるいは世界のどこかで取り残されている人々のベースを上げていくことができるんですよね。イメージではなく実際に何か自分が手を動かすことで物事を前に進められれば、楽観的な可能性を信じることができます。

情報が氾濫する時代の究極のラグジュアリーは、意味と文脈

「世の中悪い方向にいっているんじゃないか」そう思ってしまう、あいまいな悲観の一因が、ネガティブなニュースの存在だと語る松島さん。刺激的な見出しや映像には、確かに目を留めてしまうもの。あふれる情報にさらされる現代で、松島さんが実践している、情報との価値ある付き合い方とは?

どんな情報を取得するのかが、個人の価値にも影響を与える
ーー松島さんは日本版再始動にあたって、「WIRED」創刊エグゼクティブエディターとUS版元編集長を訪ねたときに、「ニュースを見るな」と言われたとか。

そうですね。メディアというのは、どうしても見られなければ、読まれなければいけないもので、人間がもっているある種の恐怖心や心配事、快楽への欲望をハックする側面があります。テレビ番組では扱うものがネガティブであれば、合間に流れるCMがよりよく見える効果があるとも言われます。

ベストセラー『サピエンス全史』を書いたユヴァル・ノア・ハラリと、元googleでデザイン倫理担当を務めていたトリスタン・ハリスの対談記事では、googleやアップル、Facebookといった企業が「Time Well Spent(有意義な時間)」を掲げ、スマホやSNSを見る時間が増えすぎないように制限できる機能をもたせたけれど、広告モデルのビジネスである以上、ユーザーには長く見てもらう必要があると指摘しています。

彼らが言うように、人間はテクノロジーや情報にハックされる生き物で、自分はその影響下にあると気づく自己認識がないと、日々のメディアの情報に流されて不安になってしまうと思いますね。

編集部分室では、デスクからも緑を望める
ーーとはいえ、どうやってあふれる情報と付き合っていけばいいのか。悩ましいところです。最近は、あえてSNS断ちしている人も見かけますが、松島さんが日ごろ、気をつけていらっしゃることはありますか?

汎用性があるかはわからないのですが、人が見ているものはなるべく見ない、というのは気にしています。人と同じ情報をとっていると流されるし、流されていることに気づきにくくなってしまうので。

社会人の常識からズレているとは思うものの、だれもが知っている情報には、もう価値がない。これだけ情報があふれている時代に、自分が取得する情報なり、あるいはその情報を取得する自分自身に価値づけができるとすると、やっぱり他の人は知らない情報源をもっているとか、それをもとに他の人とは違うアウトプットができるということ。そうでないと、他の人とすぐ入れ替えが可能ですよね。

本を読んだほうがいいという話で冗談まじりに言うのが、「なぜなら本なんて、だれも読んでいないから」(笑)。だからこそすごくチャンスで、本ってまとまっていて洞察力が身につくメディアなので、深くて有用な情報を得られる。街には書店さんもまだまだあって、アクセスも簡単ですし。

ーー本を読めとよく言われますが、「だれも読んでないから」は初めて聞きました(笑)。

小難しい本を読む必要はなくて、「みんなが読んでいるから」ではなく、自分の関心軸に基づいて文脈を編んでいくのがいいんじゃないかなと。そうすると、自分のテーマが見えてきて、深めながらまた関連するテーマが派生していく。

そうすることで、断片的なニュースに振り回されないで済みます。『WIRED』は25年前のUS版創刊時に、「情報が氾濫する時代において、究極のラグジュアリーとは意味と文脈である」と言っていました。つまり、ニュースそのものではなく、意味と文脈にこそ価値がある。2019年の今まさに、僕もそう思います。

ーーつい目の前の一見効率のよさそうな、断片的な情報を取りに行ってしまうんですよね。マインドもいるんだろうなと。自分の中に、意味と文脈が価値だと思える土壌ができているかどうか、という。

僕らはまだまだ長く生きるとされていて、いざ40代になってキャリアを考えるにあたり、自分の価値を勤めている企業や組織とかブランドに託してはいけないんだなというのは、みんなだんだんわかってきていますよね。

インターネットによって、社会と組織の透明性が進んでいる中で、今後ますます社会関係資本を個人ひとりひとりに蓄積していかなくてはいけない時代になっていくと思うんです。そのときに、同じ会社の同じ部署の隣のデスクに座っている人と自分はどう違うのか、が見えていないといけない。みんなと同じことをやっていたら、そこに価値は生まれないと思うので。

ーードキッとしますね。

差別化ゲームをするのは際限がなくて疲れちゃうと思うのですが、自分は何が好きで何が面白いと思っていて、自分の興味がどこに向かっているか…ということに目を向けることが大切ではないかと。

攻めのリトリートで、結果を出す

書籍の編集者だったころから、テクノロジーが社会や人間をどう変えていくのかを考えていた、松島さん。突き詰めていった結果、松島さんがたどり着いたのは「人間性とは何か」「自然と人間はどう調和していけばいいのか」というテーマなのだとか。

ワークとライフを分けるのではなく、お互いがゆるやかにつながって作用しあう働き方、生き方を体現
ーー『WIRED』は翻訳記事はあっても、日本版オリジナルの企画が多いですよね。アイデアを生むコツはありますか?

話は鎌倉の生活に戻りますが、やっぱり緑の中にいたり、海でロングボードの上にプカプカ浮いていると考えられるんですね。そういう時間を確保してこそ、企画やテーマを深めていける。過程が大切で、都会にいるとなかなか難しいことだなと感じます。

ーー確かに都会は刺激的ですが、人も多いですし、考えている最中にいろいろなフィルターがかかってしまう感覚はあります。

環境のセッティングも大切ですよね。「リトリート」って、意味としては「退却」なんですが、単純に体も心も弱っているから自然に行くんじゃなくて、攻めのリトリートもある。

僕も5年前に鎌倉に住む、となったときに、一部の友人からは「なんだ、松島も引退か~。まだ早くないか?」と言われまして(笑)。もっとクリエイティブでいい仕事をしたいから行くわけで、まったく逆なのになと思いつつ、口で言っていても仕方なくて、結果をさらに出すしかないなと。鎌倉に来たからこそ、東京での仕事がさらにできるということを、発信していきたいですね。

ーー「ほっこり」や「癒やし」とはまた違う効能ですね!

WELL-BEINGにおいては、傷んでいる人や社会をどう治すか、という役割もすごく大事なのですが、『WIRED』としてはもう少しポジティブに拡張したいなと。自分たちが能動的に生きる環境を変えてみることで、自分自身やキャリア、社会に対しても還していけたら素敵だな、と思っています。

移住後に始めたサーフィンも、今では趣味のひとつに。(写真提供:松島倫明さん)
ーー今の日本はワークライフバランスを掲げながら、残業しないように早く帰らせるとか、在宅で仕事をできるように、という施策がまだほとんど。それも必要だけれど、いざ放り出されてもどうすれば充実するのか、模索している方の声も聞きます。

何がグッドライフなのかという価値観をもっていないと、どうしていいかわからないですよね。そこは体験がものを言うというか、自分で実際にやってみるとか、生活を変えてみることでしか、見えてこない部分かもしれません。

ーー体験という意味では、『WIRED』ではリアルイベントを積極的に開催されていますよね。

3月にはポーラ・オルビスグループさんと一緒に、鎌倉でリトリートイベントをやりました。読者の方とランやハイキングを通じて、一体感を味わえましたね。自然の中にある菌や、筋肉の鍛錬が美肌にいいということを、実際に体験していただきました。

メディアはとかく言いっぱなしになってしまうので、いかに体験する人を増やせるかに重きを置いています。自治体や企業とも一緒に、提案だけではなく実装するところまでを、存在価値にしていきたいですね。

リトリートイベントでは、鎌倉の山でハイク&ランが体にもたらす効果を読者が体感。(撮影:菊池良助)
イベント参加者とメディテーション(瞑想)の時間も。(撮影:菊池良助)
ーーでは最後に、松島さんにとっての豊かな人生とは?

豊かさについて何か答えを得られたわけではないけれど、ヨーロッパの古い格言に、「幸せになりたかったら、仕事をして、結婚して、海の近くに住む。その3つがそろっていればなんとかなる」…というような言葉がありまして。

結婚は、仲間に置き換えてもいいと思うのですが、チャレンジしがいのある仕事をもち、好きな人と一緒に過ごして、自然と調和しながら生きる。どれもシンプルだけど、そろっていることが大切なのかなと思います。

 
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DIGITAL WELL-BEING ―日本にウェルビーイングを
テクノロジーを通してライフスタイルやカルチャーを語る季刊誌。3月に発売されたVOL.32では、現代で人類が必要とする「ウェルビーイング」の意味を問い、その可能性を更新する。幸せとは? 心身の健康とは? よりよく生きるとは? けしてひとつの決まった答えはないけれど、世界の知識人の提言や多角的な試みが、視野を広げてくれる。¥1,200(税抜)/プレジデント社
『WIRED』公式サイト
松島倫明さん
『WIRED』日本版編集長
(まつしま みちあき)。1972年東京生まれ。一橋大学社会学部卒業後、1995年株式会社NHK出版に入社。村上 龍氏のメールマガジンJMMやその単行本化などを手がけたのち、翻訳書の版権取得・編集・プロモーションなどに従事。編集を手掛けた書籍に、『FREE』『SHARE』『ZERO to ONE』『〈インターネット〉の次に来るもの』『シンギュラリティは近い』『壊れた世界でグッドライフを探して』『BORN TO RUN』など。2018年6月より現職。‎
この記事の執筆者
1980年兵庫県神戸市出身。津田塾大学国際関係学科卒業後、2003年リクルートメディアコミュニケーションズ(現・リクルートコミュニケーションズ)入社。結婚情報誌のディレクターを経て、2010年独立。編集、ライターとして活動。インタビューをメインに、生き方、働き方、恋愛、結婚、映画、本、旅など幅広いテーマを担当。2008年より東京から鎌倉へ移り住む。ふたりと一匹(柴犬)暮らし。
PHOTO :
佐藤岳彦