書籍の編集者として『FREE』『SHARE』『ZERO to ONE』『〈インターネット〉の次に来るもの』『BORN TO RUN』など数々の話題書を生み出し、45歳で転職。経験したことのなかった、雑誌とWEBメディアの編集長に就任し、『WIRED』日本版の再始動を託された松島倫明さん。
「ニューエコノミー」と題して経済を取り上げた1号目は、完売。さらに2号目では「DIGITAL WELL-BEING/デジタルウェルビーイング」にフォーカスして、反響を呼んでいます。
今回は、そんな『WIRED』編集部の「分室」が入る、鎌倉の風情漂うコレクティブオフィス「北条SANCI」にお邪魔しました。
【インタビュー後編】新たな時代で「よりよく生きる」には、あいまいな悲観をやめることから
世界の都市で感じた、「ちゃんと生きている」人々の豊かさ
「雑誌の編集長」と聞いて、イメージするのはどんな人物でしょう? しかもそれが時代の最先端テクノロジーやサイエンスを取り上げる、アメリカ発のメディアだとしたら? 取材場所に現れた松島さんは、日に焼けた肌に長い髪をすっきりと束ね、オフィスの仲間に穏やかに挨拶をしながら、私たちを見つけてにっこり。その手には愛用のマグカップがひとつだけ。しなやかで軽やかな佇まいにすっかり緊張をほぐされ、取材がスタートしました。
僕は東京生まれの東京育ち。外資の金融企業に勤めるイギリス人の妻とふたりで暮らしていて、移住は僕が言い出したのですが、以前は鎌倉は引退したら住むところだと思っていましたし、ずっと職住近接派で都心の便利なところに住んでいたので、当初は半信半疑で(笑)。ダメだったらすぐに東京に戻れるように借家にしたのに、今ではふたりともすっかりハマってしまいました。
もともと書籍の編集者をしていて、30代から海外の翻訳本を手掛ける機会が増えていったことでしょうか。N.Y.でもロンドン、サンフランシスコでも、東京以上に活況を呈した都市であるにもかかわらず、単に物を所有しているという豊かさではないんだなと感じて。自然に触れることに貪欲だったり、家族とのコミュニケーションやコミュニティとの関わりを楽しんでいたり。ローカルに根ざしたコミュニティは今になって日本でも話題にされていますが、すでに根づいている雰囲気がありました。
テックをけん引しながら、オーガニックや‟Farm to Table”に代表される「地産地消」を実践する風土がある。ひと昔前は、アメリカってファストフードとコーラのイメージでしたけど、二極化しながらもいつの間にか、食についてすごく考えているんだと。なんというか「ちゃんと生きているなあ」というのを見てきて、豊かさとは何だろうかと、考えさせられるきっかけになりましたね。
あとは、リーマンショックと東日本大震災も、サステナブルではない社会の構造や都市生活の一端が見えてしまった。特にリーマンショックは、妻が金融業界だったので、職がなくなってしまって。半年して復帰したと思ったらまた1年後には転職する…という流動性の高い世界を垣間見て、お金や仕事って刹那的で保証されていないものなのだと、実感しました。
数字に追いかけられるのは、仕事だけで十分
鎌倉駅からほど近い住宅街にある『WIRED』編集部分室は、鎌倉幕府の北条家が所有していた土地に建つ、築80年以上の古民家をリノベーションした、コレクティブオフィスにあります。聴こえてくるのは、鳥の声と葉擦れの音だけ。日ごろは渋谷のオフィスを拠点に忙しい日々を送る松島さんにとって、自然のそばで過ごす鎌倉の時間が原動力になっているのだとか。
そうですね。僕はトレイルランが趣味なのですが、レースのための練習などで非日常として山を走っていると、ついタイムや距離が気になって、時計に縛られてくるんです。現代は仕事で充分、数字に追いかけられているはずなのに、プライベートの楽しみでやっていることでも、KPI に縛られているみたいで自由じゃないなと。わざわざ電車に乗っていくのではなく、起きてすぐに部屋着のまま山へ走り出せるくらい、日常に組み込まれている生活はすごくいいですね。
都内でマンション暮らしをしていたころは、 正直隣に誰が住んでいるか、わかりませんでした。今はご近所の70代、80代の方々と一緒に飲みに行ったり、夏祭りで自治会の活動に参加したり。ラン仲間や、「カマコン」という鎌倉のIT企業を中心とした、地域団体とのつながりもできました。
材木座海岸が好きですね。
はい、ローカルなままでいてほしい(笑)。天気がよければ江ノ島と富士山が見えて、 休みの日には妻と自転車で夕日を見に行くことも。ワインボトルを1本持って、ビーチで一緒に飲むのもまたいい時間で。ちょうど日が沈んで暗くなるまでのマジックアワーは、本当にきれいですね。
週1回、月曜日は鎌倉に編集とクリエイティブのメンバーが集まって、編集会議をするようにしています。本の編集をしていたころは仕事のペースを調整しやすくて、ていねいな暮らしがわりとできていたのですが、WIREDの編集長になってからは夜の会食も増え、翌朝が早いときは東京で宿泊する日も。通勤パターンもスケジュールによって電車だったり、車だったりさまざまで、今まさに、暮らしとの両立を試行錯誤しているところです。
それならよかった。デジタルウェルビーイングという特集をしたので、それを体現できればと思っています(笑)。
40代のキャリアチェンジは、無我夢中で
松島さんが書籍の編集者時代に手がけた本は、今日の世界の変化をいち早く予言していたとも言えるものばかり。たとえば、『FREE』ではフリー=無料を活かしたビジネスモデルを、『SHARE』ではシェアリングエコノミーを、そして『PUBLIC』ではSNSでオープンに自分を発信する人々を――。人生観や仕事観を変えるような本を世に送り出してきた松島さんは、40代半ばにして雑誌とWEBメディアの編集という、新たな領域に挑戦することを決断しました。
ちょうど前編集長が退任されてから休刊していたところで、声をかけていただきました。20代のころから『WIRED』が好きで、書籍の編集者時代も『WIRED』 的なコンセプトの本をつくったり、一緒にイベントを開催していたりしていたんです。ただ、僕自身は雑誌の編集をやったこともなければ、 オンラインメディアの運営をやったこともなくて。テクノロジーに詳しかったわけでもなく、まさに青天の霹靂。すごく大きなチャレンジだけれども、チャンスがあるならばぜひやります、とお受けしました。
当時会社の中で、書籍の領域では編集長という立場になっていて、次はもう現場を離れて組織を見る役職がまわってくる。会社の論理では出世ですが、それが自分にとって価値があるのか疑問を感じていた時期で。キャリアを重ねると、新しいことができるということ自体、すごく貴重じゃないですか。与えられたことに感謝という気持ちでしたね。
2018年6月に入ってちょうど5か月ぐらいでしょうか。11月にリブート(再始動)号を発売しました。
それがほとんど記憶になくて(笑)。
僕に声をかけてくれた副編集長は残っていたのですが、ほぼイチからのチームビルディング。人を集めて、クリエイティブディレクターやデザイナーを探すところから始めました。とにかく雑誌の経験がなかったので、無我夢中で。書籍だと数十ページ増やす手間はそんなに変わらないのですが、雑誌の200ページ超えがこんなに大変だとは。見立てていたとおりには進まず、最後は合宿のようにしてつくり上げました。
これを教訓に、2号目では絶対ページ数を減らそうと思っていたら、DIGITAL WELL-BEINGという特集に入れたい企画がありすぎて、また220ページに(笑)。どんどん簡便で薄くなっていく世の流れに逆行していますね。
WIREDというブランドに助けられている部分はありますが、そう見ていただけるのはありがたいですね。書籍をつくっていたころから、自分のおもしろいと思うものや大事だと思えるものを世に出す、プロダクトアウト型のつくり方をしてきて、良くも悪くもマーケットインのセンスがないんじゃないかと。
変な言い方をすると、紙の雑誌も書籍もみんな読んでいない。でも、だからこそ本当に刺さる人たちに濃く強くメッセージを伝えられると思っているんです。それって、すごくラグジュアリーなこと。雑誌や本をつくることも、それを手に取って読む時間も。
一方でWEBメディアというのは、すべて数値がとれて最適化しやすい。特性を活かしてWEBでは幅広くどんどんコンテンツが生成されるようにしていくと、紙媒体ではより感情を揺さぶるためのクリエイティブの強度を上げていけると考えています。
それは読んで情報や知識を得るとか、「すごい!」というだけじゃなく、感情がザワザワするようなテーマでありビジュアルであり。WIREDってインターネットでつながるというだけでなく、「電気にビリビリ触れて驚く」みたいなニュアンスの言葉でもある。そういう媒体を目指しています。
【後編】新たな時代で「よりよく生きる」には、あいまいな悲観をやめることから
『WIRED』公式サイト
- TEXT :
- 佐藤久美子さん エディター・ライター
- PHOTO :
- 佐藤岳彦