真実ではない「桜の木の逸話」が、なぜ学習教材に載るほどまで広まった?
トランプ大統領訪日の余波が、まだまだホットな今日この頃。そこで今回は、初代アメリカ大統領にして、現在も首都の地名としてその名を冠されているジョージ・ワシントンと、彼にまつわる有名な逸話が広まった背景に触れてみようと思います。
ワシントンの幼少期のエピソードとされてきたこの「桜の木の逸話」が、実は事実ではなかった、という話題、すでにご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか?
ジョージ・ワシントンの「桜の木の逸話」とは?
まず、前提となる「桜の木の逸話」の内容をおさらいします。
~幼少期のジョージ・ワシントンが、斧の切れ味を試したくなり、自宅の庭の桜の木を切り倒してしまった。しかしその木は実は、父親が大切にしていた桜。のちにジョージ少年は父親から「あの美しい桜を切ったのは誰か、知っているか?」と問われ、「僕は嘘はつけない…」と逡巡しながらも、「お父さん、僕が斧で桜の木を切りました」と正直に打ち明けると、父は怒るどころか「勇気ある行動(正直な告白)に価値がある」と息子をゆるし、褒めた。~
この逸話を収録したワシントンの伝記はとても多く、小学生時代に子供向けの学習教材で触れた、という方も少なくないでしょう。目的が「歴史の学習」であることが明確な学習教材に、まさか史実と異なる逸話が収録されているとは!
その衝撃から、昨今メディアなどでも「この逸話は、実は捏造」という話題を目にする機会がしばしばあります。しかし「捏造」という印象は残るものの、「ではなぜ、この逸話がこんなに広まったのか?」という背景まで迫るメディアは多くありません。「嘘だったらしい」という結果より、「嘘なのに、なぜまことしやかに、しかも伝記という正攻法で広まったの?」という背景、知りたくなってきませんか?
「桜の木の逸話」の初出は、19世紀初頭に流行した幼児向けのワシントン偉人伝の、第5版で加筆されたもの!
「桜の木の逸話」は、メーソン・ロック・ウィームズ著『ジョージ・ワシントンの生涯と記憶すべき行い』の第5版に初めて登場しました。つまり、初版から第4版まで、桜の木のエピソードは存在していなかったのです。
メーソン・ロック・ウィームズがこの作品を書いたのは、ワシントンの死後・19世紀初頭です。子供向けの内容ながら、ベストセラーとしてアメリカ国民全体に親しまれました。
19世紀初頭といえば、アメリカが新国家として世界で台頭していこう、という意欲にあふれていた時代です。独立戦争の立役者であり、アメリカ合衆国の初代大統領に選出されたジョージ・ワシントンはまさに「国家のヒーロー」。ワシントンの偉業や徳行の情報を、全国民が「欲しがっていた」時代、と言えそうです。
現代のような多様な情報ソースもないころに、「欲しい情報」を手元で繰り返し確認できる"書籍"がいかに愛されたかは、想像に難くありません。
「伝記の主人公たちの名誉になるならば、どんな話を載せても許される」
ちなみにウィームズの作風は、軽妙で流麗…つまり、大衆が読みやすい文章で、ウケる要素がたくさんちりばめられていました。ウィームズ作品で有名なものは、みな偉人伝なのですが、読みやすさと内容の真実性が反比例している、という見解が、現在の主流です。
19世紀後半、複数の著者によって書かれたアメリカのベストセラー『アップルトンのアメリカ人名事典』では、ウィームズについて「彼が、伝記の主人公たちの名誉になるならば、どんな話を載せても許されると考えていたことは確実である」と記されています(参考:『Appletons' Cyclopædia of American Biography』1889)。
また、現代のニューヨーク・タイムズでも、ウィームズ作品について「沼のキツネ (Swamp Fox) ことフランシス・マリオンをアメリカのパンテオンにまつらせ、またそこにジョージ・ワシントンのための場所を確保した」という皮肉めいた記事が載せられています(参考:1997年7月4日The New York Times)。
桜の木の逸話については、ウィームズが「ジョージ・ワシントンの生家ととても深い交流をした女性から聞いた」と言った、というエピソードが散見されますが、真偽については推して知るべし…というところでしょう。
では、ジョージ・ワシントンは実際、どんな人物だった?
ノンフィクション作家?いえいえ歴史をモチーフにした小説家!…的な評価の多いウィームズ作品はともあれ、ジョージ・ワシントンその人は実際、どんな人物だったのでしょうか?
兄弟の多い家に生まれ、父から受け継いだ地所はわずかだったものの、青年期に学んだ測量の技術で堅実に財を得たり、当時の要人に引き立てられたり…と、実力で人生を切り開いた人物です。
更にアメリカ合衆国の大統領に「満場一致」で選出されるカリスマ性を持ちながら、国議会で決定した高額な棒給を本人は辞退するなど、質実剛健な人間性を伺わせ、政治手腕の評価も非常に高い。
現代でいうところの「アメリカン・ドリーム」を体現した、最初の人物と言えるかもしれません。
とはいえ、軍人時代にネイティブ・アメリカンを大量虐殺するなどの側面もあったジョージ・ワシントン。彼の偉人伝として、キリスト教会での「懺悔」とリンクするような「正直で勇気ある告白とゆるし」のエピソードが盛り込まれ、それが広く受け入れられたこと、更にそれが世界的に広まった(広めた?)という経緯に、建国から200年余りで、世界の強国としての位置を確立した国家のパワーの一端が、垣間見られる気もいたします。
- TEXT :
- Precious.jp編集部
- ILLUSTRATION :
- 小出 真朱