1960年代後期から’70年代初期まで、日本の高度成長期を象徴するかのように、天使のような笑顔を振りまいたティナ・ラッツ。時代の顔として一躍人気の絶頂へと登りつめたものの、あっさりと渡英。そして22歳のときロンドンで結婚したのが、本当のファッションアイコンとしての始まりだった。
若い才能がひしめき競い合っていた70年代のロンドンや80年代の ニューヨークで、アンディ・ウォーホル、ヘルムート・ニュートン、キース・ヘリングなど時代の申し子のようなアーティストたちのミューズとなり、41歳でエイズ合併症で亡くなる。エイズであることを自ら発表した最初の著名な女性でもある。
私の記憶の中にいるふたりのティナ。ひとりは資生堂の『ピンクポップ』のCMに登場し、弾けるようなまあるい頬とキラキラ輝く瞳で、天真爛漫な笑顔を振りまいていた少女だった。
ティナ本人を最初に見たのはランウエイだった。「真の友人」とのちにティナが述べているヨーガン・レールのショー。すでに80年代だったから、ティナは、スノッブなレストランのオーナーであり富豪のマイケル・チャウの夫人、ミセス・チャウとなっていた。ショー会場では「今日はティナが出るんだって!」と結構な騒ぎになっていた。登場したティナも、笑顔の魅力はそのままに大人の落ち着いた美しさをたたえ、髪もショートヘアになっていた。それでも、なぜか私のなかでは、あのCMや表紙の綺麗なモデルにとどまっていた。
本当にティナを“見た”のは、ロンドンの「ブラウンズ」だった。80年代の中盤だったように思う。「ブラウンズ」といえば、ロンドンのセレクトショップのカリスマ的存在。アレキサンダー・マックイーンやジョン・ガリアーノもいち早くラインアップされていた。
美術館のようにディスプレイされた服を見ていたとき、急に周囲の空気が見る見る変わってゆく気配を感じて辺りを見回した。
店内のいちばん奥まった場所にある、ガラスのジュエリーケースを中腰になって見つめているほっそりした女性に、店中の視線が集中しているのに気が付いた。
「ティナ・ラッツだ!」
白いTシャツに深い紺のテーラードのパンツスーツ。明らかに“ジョルジオ アルマーニ”のパンツスーツ。真剣な眼差しの先には、繊細な竹籠にくるまれた大きなクリスタルのペンダントがあった。
ティナは、自分の作品がどのようにディスプレイされているのかを見に来たのだろう。安堵した表情を浮かべると、まるで煙のようにいなくなった。ティナの懸命に見つめる眼差しと同化したような、張り詰めた緊張が店内に漂い、ロンドン中の憧れのミューズがすぐそこにいるという事実に圧倒された人々は、姿が消えるまで言葉が出なかった。ティナがいなくなると、販売員が「ティナだったわね!」と囁き始めた。まるで空気が溶けてゆくようだった。
そして、私はといえば、あまりの美しさに、ひと目惚れしてしまったのだ。幸福を体現したような輝く無邪気さは消えていた。丸かった頬は削げて直線的になり、大きな瞳には、哀しみや苦しさ、心の痛み、そんな感情を通過した人だけが知るアンニュイが宿り、この世のものとは思えない凄惨ささえ漂っていた。
ちょうどそのころ、ティナは夜ごとのセレブリティとのパーティに倦み疲れ、美しい被写体としてだけの自分に満足せず、必死で自分の存在を模索している時期であった。アンディ・ウォーホルに薦められたクリスタルのアクセサリー製作にのめり込んでいた。
パートナーのマイケル・チャウは、中国本土にいた家族が文化大革命で投獄され、数年前に死亡したことを知り、立ち直れないでいた。レストランもティナ任せになって、ティナがほかのことに興味をもつのを嫌がり、夫婦の心はしだいに離れていった。ヘルムート・ニュートンが、“シャネル”を着たティナが店のバーカウンターに縛られ、カウンターに座ったマイケルが横目で冷ややかにその姿を見ているという写真を発表したのもそのころだ。まるで夫婦の状況を切り取ったかのような1枚だった。人気モデルから、富豪のセレブリティとの結婚、そこで繋がったアーティストたちとの華やかな交遊、同時代の写真家との記録的なセッション数。しかし、だれかに付属するだけではない自分自身をジュエリーのクリエイターとして探し当てたとき、皮肉にもティナは、エイズにかかっていることを宣告されたのである。
離婚調停段階での辛い発病であった。当時はまだ、治療薬の開発も進んでいなかった。だが、ダライラマを信奉していたティナは穏やかに死の準備を進め、同時にメキシコのエイズホスピス「ティナズハウス」の後ろ盾となり、エイズ患者のために食事の用意と配達をするプロジェクト「エンジェルフード」でボランティア活動も始めていた。エイズチャリティが、結果的にティナのライフワークになったのも不思議な因縁である。
ティナの人生に照らし出された光と闇。それは生身の美の存在 と、究極の彼方にある「死」さえ新たな美として想像させる神々しさをまとっていた。
- TEXT :
- 藤岡篤子さん ファッションジャーナリスト
- クレジット :
- 文/藤岡篤子 写真提供/上:資生堂、中2点:Getty Images、下:AFLO 構成/吉川 純(LIVErary.tokyo)