“伝説のファッショニスタ”と呼ばれるダイアナ・ヴリーランド。

『ハーパーズ バザー』のファッション担当から『ヴォーグ』の編集長へと引き抜かれ、その後、ニューヨークのメトロポリタン美術館衣装研究所の顧問に就任。86歳で亡くなるまでファッションへの情熱は衰えることなく、彼女の猛禽類のような鋭い眼差しが示した“スタイル”への追求、“ヴィジョン”へのこだわりは、現在のファッションの基本となっている。

“伝説のファッショニスタ”と呼ばれるダイアナ・ヴリーランド(左) Prod DB © Estate of James Karales - Gloss Studio / DR DIANA VREELAND: THE EYE HAS TO TRAVEL documentaire de Lisa Immordino Vreeland 2012 USA avec Diana Vreeland et Marisa Berenson |

ビキニ、ヌード、ブルージーンズ

意外なことにダイアナは、お洒落ではあったが、ファッションとは無縁な生活環境にあった。

編集の仕事を始めるきっかけは、ニューヨークのセントレジスホテルでシャネルのドレスを着て踊っていた彼女を、当時の『ハーパーズ バザー』編集長カーメル・スノウが惚れ込み「なんて素敵な着こなし、貴方の黒髪にぴったり。ファッションの仕事をしてみない?」と、その場で彼女をスカウトしたことであった。

近づきつつあった第一次世界大戦の足音などものともせず、ダイアナの「Why don’t you?(なぜやらないの?)」というコラムは、例えば「ケント公爵夫人のように、大粒のダイアモンドを三つ、頭の中央に飾ってみたら?」など、浮世離れした内容であったが話題になった。その後、編集者に抜擢。ダイアナの創造力と感性が大きく花開き始めた瞬間であった。

ビキニ、ヌード、ブルージーンズなどを初めて取り上げ、それまでの上流夫人用の保守的なファッションから、“働きに出るのは粋なこと”と思う女性のための雑誌に変化させ、『ハーパーズ バザー』の黄金時代を創った。

ダイアナ・ヴリーランド Prod DB © Priscilla Rattazzi - Gloss Studio / DR DIANA VREELAND: THE EYE HAS TO TRAVEL documentaire de Lisa Immordino Vreeland 2012 USA avec Diana Vreeland |

だが、彼女はそれでも物足りなかった。『ハーパーズ バザー』から、ライバル誌『ヴォーグ』の編集長に引き抜かれたとき、その理由に「高額な報酬と潤沢に使える編集コスト」を挙げている。高額な報酬はうなずけるとして、最も魅力的だったのは潤沢な編集コストだったのではないか。

インドへ白い虎を撮りにいく

壮麗で前例のない彼女の“ヴィジョン”をフォトストーリーとして紡ぎ出せるカメラマン、モデル、ヘア&メイクアップなどをそろえ、細部まで気に入る一枚ができあがるよう、やり直し、撮り直しを要求した。“インドへ白虎を撮りに”“エジプトへクレオパトラをイメージした”3週間のロケなど、ダイアナが要求したのはポーズを撮った服の写真ではなく、驚きと壮大な叙事詩であった。例えば日本へロケを敢行した特集「ザ グレート ファー キャラバン」は、フォトグラファーのリチャード・アヴェドン、モデルのヴェルーシュカなど超一流の才能を結集させ、5週間も滞在している。

余談だが、ダイアナは大の日本びいきで「神はゴールドもダイアモンドも石油も与えなかったが、日本にはスタイルがある」と語り、世界初の女流文学者が書いた『源氏物語』に深い関心を持ち、自らも歌舞伎役者のように耳に紅を塗ったことでも知られている。

無名の存在であったリチャード・アヴェドン、デイヴィッド・ベイリーの才能を見抜き、ツィッギーやヴェルーシュカ、ペネロペ・ツリーなどの個性豊かなモデル見いだし、ミック・ジャガーやイーディー・セジウィックなどにいち早く注目、時代の寵児に仕立て上げた。

デヴィッド・ボウイ(左)とダイアナ・ヴリーランド。David Bowie and Diana Vreeland during David Bowie Opens In "The Elephant Man" at Booth Theatre in New York City, New York, United States. (Photo by Ron Galella/WireImage)

「成功したければ突出しなければ」と“退屈”を何より嫌ったダイアナが、こだわったのは“スタイル”であった。「スタイルこそすべて。まさに生き方。スタイル無しじゃ価値がない」という姿勢を貫いた。彼女の深紅に飾られたリビングルーム(ダイアナは地獄の庭と呼んでいた)に象徴されるように、「自然体? 退屈よ。怠惰の一形態だわ」と一蹴した。今聞いても胸のすくような言葉である。

だが装飾的で過剰な’60年代が過ぎ、’70年代初頭、ダイアナのスタイルが時代に合わなくなってきた時、編集長を解雇される。

情熱の行き場をなくしたダイアナを救ったのは、デザイナー、オスカー・デ・ラ・レンタの妻であった。メトロポリタン美術館の衣装研究所の顧問に声がかかったものの、予算がなかった美術館に、名士達から寄付を募ったのだ。

来場者も少なかった美術館の、退屈な衣装研究所。だが、ここでもダイアナは歴史に残る企画を連発した。研究所に眠る膨大な衣装を研究の対象だけではなく、展覧会として大衆に披露するという前例のない独創的な企画であった。それもとびきりエキセントリックな方法で。天井まで届く鬘(かつら)を付けた18世紀のドレスや、’60年代のドレスを着せたメタリックなマネキンなど、衣装の持つ世界観を“8才の女の子”にもわかるようにドラマティックに展示し、来場者は激増した。

バレンシアガから始まり、存命のデザイナーとして初めて展覧会を開催したイブ・サンローランまで、「これがアートよ」とダイアナが宣言するものは、まるでミダス王が触れるものをすべて黄金に変えたように、何もかもが意味を持ち、生き生きと精彩を放った。

Prod DB © Horst P. Horst - Gloss Studio / DR DIANA VREELAND: THE EYE HAS TO TRAVEL documentaire de Lisa Immordino Vreeland 2012 USA avec Diana Vreeland en 1979 |

「前例があるものなど退屈なだけ」と言うに違いない、この不世出の女性は、ある意味、ファッションのモンスターでもあったのだ。

 

MOVIE
映画『ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショ二スタ』
自伝出版のために受けたインタビューを元に、ダイアナ本人をはじめ、肉親や彼女を知るセレブリティが登場。稀代のファッショニスタの生涯と実像に迫るドキュメンタリーは、必見!
この記事の執筆者
1987年、国際羊毛事務局婦人服ディレクターとしてジャパンウールコレクションをプロデュース。退任後パリ、ミラノ、ロンドン、マドリードなど世界のコレクションを取材開始。朝日、毎日、日経など新聞でコレクション情報を掲載。女性誌にもソーシャライツやブランドストーリーなどを連載。2000年より情報用語辞典『イミダス』でファッション分野を執筆。毎シーズン2回開催するコレクショントレンドセミナーは、日本最大の来場者数を誇る。好きなもの:ワンピースドレス、タイトスカート、映画『男と女』のアナーク・エーメ、映画『ワイルドバンチ』のウォーレン・オーツ、村上春樹、須賀敦子、山田詠美、トム・フォード、沢木耕太郎の映画評論、アーネスト・ヘミングウエイの『エデンの園』、フランソワーズ ・サガン、キース・リチャーズ、ミウッチャ・プラダ、シャンパン、ワインは“ジンファンデル”、福島屋、自転車、海沿いの家、犬、パリ、ロンドンのウェイトローズ(スーパー)
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文/藤岡篤子 写真提供/1点目:Getty Images、その他:AFLO 構成/吉川 純