お針子から世界に影響を与えるクリエイターに。ガブリエル・シャネルの生涯

ガブリエル・シャネルは、1883年に生まれ、幸せとはいえない子供時代を経て、孤児院を出た後、お針子として働き始めます。当時は、産業革命により急速に近代化が進んだ時代。

パリにエッフェル塔が建造され、移動手段の主流だった馬車から徐々に自動車に変わっていき、また地下鉄が走り始めます。1914年までは「ベル・エポック」と呼ばれる、享楽的な消費に走る時代です。

彼女は、織物会社の御曹司で競走馬のオーナーだった、エティエンヌ・バルサンと知り合い、フランス北部のロワイヤリューで一緒に暮らすようになります。当時女性の服といえば、リボンやレースがついたドレスでしたが、彼女はメンズウェアに着想を得た服を着ていました。すでに、このときから革新的だったのです。

服以外も彼女がつくったリボンやレースでシンプルに飾ったシックな帽子が好評で、周囲の女性たちから製作を依頼されるようになり、自信がついたガブリエルは帽子屋になろうと決意します。

実業家ガブリエル・シャネルの先を見る力

1910年、当時恋人だったイギリス人青年実業家 アーサー・カペルの助けで、カンボン通りに帽子のブティック「シャネル モード」をオープン。

1913年にはビーチリゾートのドーヴィルに新しいブティックをオープンします。カンボンのブティックは帽子を取り扱っていたので、ファッションの店としては、このドーヴィルの店が第1号となります。このとき、カペルが着ていたニットなどから、多くのインスピレーションを得たといわれています。

ドーヴィルは当時、有産階級が集まるリゾート地だったので、店をもつにはうってつけでした。この点でも、ガブリエルは先見性があるといえます。

世界の概念を覆した、ファッション史に残る名作「シャージー」コレクション

1913年、ファッション史に残る名作、初めての「ジャージーのコレクション」を発表します。ジャージーは当時、男性用下着などに使われていたやわらかい素材ですが、これの厚手のタイプを選んで女性用のスーツ、シャツブラウス、ドレスを製作したのです。

ゆったりと体を包むこれらのアイテムは、コルセットなしで着られるもので、大きなポケットがつけられ、実用的でもありました。

「贅沢なシンプルさ」こそ、シャネルの真骨頂。2019年の現在、「エフォートレス・シック」「リラックス・シック」がトレンドですが、シャネルはそのさきがけだったといえます。

素材だけなく、フォルムも重視し、着心地のよさを実現しています。のちに彼女が言ったように、「ファッションは建築であり、すなわち、プロポーションの問題です(“La mode, c'est de l'architecture, une question de proportions.")」。

ジャージー・コレクションの人気により、上流階級からその審美眼を認められ、ガブリエルは一目置かれる存在になりました。まさに、ガブリエル・シャネルがオートクチュールの流れを変えた瞬間、そして才能によって階級を超越し、人生に勝利した瞬間でした。

翌年に第一次世界大戦が勃発したため、1915年、戦火を免れていたビアリッツに初めてのクチュール ハウスをオープン。ドーヴィルは寂れてしまいましたが、中立だったスペインに隣接するビアリッツには、王侯貴族やアーティストが集まっていました。

女性の解放、社会進出と共に生まれた香水「シャネル N°5」

1918年、第一次世界大戦が終戦を迎えます。

この大戦は女性、そしてファッションにも大きな影響を与えました。男性が戦場に駆り出されたため、女性が社会に進出する必要性に迫られたのです。それが女性の解放を推し進め、シャネルのシンプルなファッションがより支持されるようになりました。

ヨーロッパでの、本格的なモーターリゼーションの波も無視できません。馬車はすっかり消え、車がパリを行き交います。人々の活動範囲が広がって、動きやすい服装が求められていったのです。

第一次世界大戦後は「レザネ・フォル(狂乱の時代)」と呼ばれる時代がやってきます。1918年には、カンボン通り31番地にクチュール ハウスをオープン。

この時期、ガブリエル・シャネルはピカソ、ジャン・コクトー、ディアギレフらと親交を結びます。さらに、交際していたディミトリ ・パヴロヴィチ大公から、調香師エルネスト・ボーを紹介してもらい、女性の香りのするフレグランスを依頼します。

この時代は、単一の花の香りのフレグランスばかりで、自分を含めた新しい女性に似合うフレグランスがないと彼女が感じていたからです。80種以上の素材を調合した重層的な香りが、無駄な装飾を省いたアール・デコ様式を思わせるフラコンに入れられ、誕生したのが「シャネル N°5」です。

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左は、1921年の「シャネル N°5」。フラコンは時代に合わせて角が角ばっていたり、丸みを帯びていたり、若干の変化が加えられました。右は、2018年に発表された赤いリミテッド・エディション。

彼女は、フレグランスを手がけるファッション・デザイナーのさきがけのひとりとなりました。「シャネル N°5」は莫大な額の成功を収め続け、今なお30秒に1本、世界のどこかで売れていると言われています。

ファッション業界にとってフレグランスが重要なアイテムであるのは、今でこそ明らかですが、この当時、いち早くローンチし、しかもいかなる時代の女性にも愛される、普遍性までも兼ね備えている比類ない逸品です。

さらに1926年には、黒いクレープデシン素材、体にフィットする襟なしで長袖のドレス「プティット・ローブ・ノワール」、1929年には、パーティーでも両手が使えるようにと、ショルダーバッグを発表します。

特に、着ている人を際立たせる「プティット・ローブ・ノワール」は、喪服の色だった黒をシックな色へと人々の認識を変えさせ、また、シンプルさの魅力によって、装飾過多なオートクチュールと決別させる結果になりました。

時代にとらわれず、「贅沢でシンプル」なハイジュエリーコレクションを

社会情勢により装飾は減少する運命にありました。1929年に世界恐慌が勃発したのです。世界恐慌でオートクチュールをはじめとする高級品業界に激震が走ります。

多くの国で関税が設けられ、例えばアメリカは、1930年にスムート・ホーリー法により、刺繍、ラメ、レースなどの装飾品に90%の関税をかけました。1929〜1935年までにオートクチュール界の売り上げの5分の3を占めていた海外輸出は、70%もダウンしたのです。

そんな厳しい時代にあって、ダイヤモンドの販売促進を願うイギリスの団体からの依頼を受け、1932年、ガブリエル・シャネルはハイジュエリーコレクションを発表します。

彼女はコスチューム・ジュエリーで有名でしたが、実際はウエストミンスター公爵から贈られたジュエリーや、自身で購入したジュエリーを分解したり、自分のスタイルで楽しんでいました。

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1932年に発表されたハイジュエリーコレクション。コメット(左)やリボンがモチーフ。シンプルで個性的なデザイン。

ハイジュエリー製作にあたって、彼女はダイヤモンドを選びます。

「私がダイヤモンドを選んだのは、最小のボリュームで最大の価値を表現できるから(Si j'ai choisi le diamant, c'est parce qu'il représente, avec sa densité la valeur la plus grande sous le plus petit volume.)」。

贅沢にしてシンプル、というコンセプトはハイジュエリーにも貫かれているわけです。

このときすでに、ネックレスとブローチの2WAYで着用できる仕組みを取り入れているのは、驚きです。ハイジュエリーでも、やはりガブリエル・シャネルは革新的でした。モチーフはコメット(彗星)を採用し、これは今でもシャネルのハイジュエリーのアイコン的存在となっています。


ガブリエル・シャネルは、逆境に抗って自分の力だけで莫大な富を築いた、世界最初の女性クリエイターであり、実業家です。まだ女性が経済力や影響力をもつことが少なかった時代に、多くのアーティストや名士から学び、自分を高め、新しいものを創造し、経済的に自立しました。

クリエイションでも生き方でも、文字通り「イノヴェーター(革新者)」。ガブリエル・シャネルの功績は計り知れません。

ガブリエル・シャネルの創造性に触れられるイベントが開催中

そんなシャネルの創造の源をひもとく特別な展覧会「マドモアゼル プリヴェ展―ガブリエル シャネルの世界へ」が現在、天王洲アイルで開催中です(2019年12月1日まで)。イノヴェーターであり女性起業家の先駆けであるガブリエル・シャネルの偉大な足跡を感じ取るには、またとない機会。気になる方は是非、足を運んでみてはいかがでしょうか?

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「マドモアゼル プリヴェ展―ガブリエル シャネルの世界へ」のビジュアル

展覧会概要

問い合わせ先

参考文献

・『L’irrégulière ou mon itinéraire Chanel』Edmonde Charles-Roux
・『Histoire de la mode』Didier Grumbach
・『Vogue on Coco Chanel』Bronwyn Cosgrave
​・『シャネルの真実』山口昌子
「Les étoiles filantes de Chanel 」– Le Point
この記事の執筆者
某女性誌編集者を経て2003年に渡仏。東京とパリを行き来しながら、食、旅、デザイン、モード、ビューティなどの広い分野を手掛ける。趣味は“料理”と“健康”と“ワイン”。2013年南仏プロヴァンスのシャンブル・ドットのインテリアと暮らし方を取り上げた『憧れのプロヴァンス流インテリアスタイル』(講談社刊)の著者として、2016年から年1回、英語版東京シティガイドブック『Tokyo Now』(igrecca inc.刊)を主幹として上梓。
PHOTO :
© Boris Lipnitzki Roger-Viollet(記事トップ画像)