人生100年時代なんて言われても、途方もなくてとまどってしまう。仕事や子育てに追われ、なんとなく停滞感を抱いている。本当にやりたいことはなんだろう?――そんな行き詰まりをふと感じることはありませんか?
角野栄子さんは、長く第一線で活躍する現役作家でありながら、実は少し遅咲き。子育てをしながら35歳で作家デビュー、人気作となった「アッチ・コッチ・ソッチの小さなおばけ」シリーズは44歳で始め、50歳で出版した『魔女の宅急便』が世界で愛されるロングセラーに。
60代で鎌倉に居を移し、80歳を超えてからも書き続けて子供たちに新作を届けています。幼いころ、優しさとユーモアあふれる物語に励まされた人も多いのではないでしょうか。
だれもが作家になれるわけではないけれど、角野さんの人生の楽しみ方には学びがいっぱい。過去でもなく未来でもなく、今を面白く! 現在進行形で生きる魅力を教えていただきました。
公式インスタグラム@eiko.kadono
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誰にも見せずに、7年描き続けた日々
30代で初めて書いた本は、依頼されて書いたもの。まさか自分が作家になるなんて思ってもみなかったんですよ。大学卒業後は出版社に勤め、結婚してから2年ほどブラジルで暮らしました。帰国後はアルバイトで映画のパンフレットの翻訳をしていましたが、31歳で娘が生まれてしばらくは育児にかかりきり。いずれ外国に関わる仕事はしたいなと思っていたけれど、何をしていいかわからなかったんです。
何者かになりたい、という気持ちはだれでも持っているけれど、やはりそれだけでは進めないのよね。好きなものを見つけないと。
やってみないとね、わからない。私も、初めはできるわけがないと思ってお断りしていたんですよ。「ブラジルでの生活を書いてみたら」と大学の恩師に編集者を紹介されたものの、取材を受けて、だれかが代わりに書いてくださるのかと思っていたら、「そんな甘い考えじゃなくて、自分で書くんだ!」と先生に言われて。
だから苦しみながらうまくいかなくても、とにかく書いてみた。何回も書き直しましたね。でも、それがイヤじゃなかった。自分は書くことが好きなんだな、と気づいたんです。
ただ、次の本を出したのは42歳のとき。それまでの7年間はひとりで書いていました。
人に何か言われて憂鬱な気分になるのもイヤだし、それで書くものが変わるならたいしたものじゃない。きっと褒めてくれる人はいるだろうけど、「…だけど、ここはね」と物言いがつくでしょう? そういうことに縛られずに、趣味で自由にやらせてもらおうと。
普通はそうですよね。でも、これは日本人特有じゃないでしょうか。もちろん、外国でも何かしたらご近所で噂になるとかそういうことはあるだろうけど、ことクリエイションにかけては、自由だし自己主張が強い。あくまで自分が基準。私が作品を出版社にもっていったのは、「これなら人に見せてもいい」と自分で思えたから。納得できるのに、7年かかりました。
好きだったらできる。頼まれたわけでも誰に見せるわけでもないのに、毎日書いてましたから。保育園なんてほとんどない時代に子育てをしていたので、社会とのつながりもないですよね。夫は高度経済成長期の男性で、とにかく忙しい。家族と過ごす時間もなかなかとれなかった。子供はかわいいけれど、ひとりの大人としては孤独。何かをせずにはいられなかったんです。書くことが、拠りどころでもありましたね。
50歳で書いた『魔女の宅急便』が、人生を自由にしてくれた
『魔女の宅急便』は社会的な評価の助けもあって、出版の4年後に宮崎駿さんが映画にされて広く知っていただきました。でも、主人公の13歳から30歳までを描いているので、読者は少し上の世代ですね。40代で書き始めた「アッチ・コッチ・ソッチの小さなおばけ」シリーズは、幼稚園から小学校低学年の子供たちにすごく愛された。作家としてやってこれたのは、去年40周年を迎えたこの作品が大きいと思っています。
それはもう、真剣勝負です。子供たちとの信頼がかかっていますから。でも、「子供はこういうものが好きだろう」と、おもねるのもダメ。あくまで自分が許せるものでなければ、世には出さないようにしていましたね。
それはないですね。すごく評判がよくても、次はちゃんと書けるだろうかと不安になる。書き始めると楽しいから問題ではなくなるのだけど。
成功って、だいたいみなさんお金と結びつけるでしょう? でも、作家なんて印税で暮らせていいなとか言われても、それだけで暮らせない人もたくさんいます。お金や地位より、もっと目に見えない部分に自分の楽しみを見つけることのほうが大切。想像して自分の心を広げていくことが、対価としていくらになるかは計れないですよね。
ひとりで生きていけるわけですよね。経済的に自立して、仕事で心も充実する。それは自由だなと思いました。
他の人に干渉しないで済むようになるんです。たとえば、身近な人に対して「あなたこんなことしないほうがいいわよ」とか「もっとこうしたら?」とか、言ってしまいがちなことってありますよね。それが、気にならなくなって。お互いのテイストや領域を、うまく浸食しないようになれたかなと思います。
60代半ばで、鎌倉での暮らしをスタート
地縁があったわけではなくて、家を建てることになっていろいろ探していたら、ちょうどいい土地があった。いわば衝動ですね。
鎌倉は駅や海までの道に高低差がなくて楽ちんですね。よく歩いています。車は好きで長く運転していましたが、狭い道が多くて危ないので、転居して2、3年でやめてしまいました。もし事故でも起こしてしまったら、大変なことだから。
子供のころから、いまだに3食しっかり食べないと機嫌が悪くなっちゃう(笑)。散歩は、60歳くらいから歩くと面白いなと思って続けています。食材の買い物を兼ねているから、どうしても駅前が多くなりますけれど。
鎌倉駅西口の御成通りから続く路地にある「Vicolo(ヴィコロ)」という、小さなイタリアンバール。エスプレッソがすごくおいしい! ブラジルのカフェを思い出すのです。近くを通るときは、必ず立ち寄って飲んでいくほど好きですね。
友人と食事をするときは、ビストロ「パパノエル」へ。地元鎌倉の野菜をふんだんに使った家庭的なフレンチです。「ラッテリア ベベ カマクラ」の自家製モッツァレラチーズは、手土産にしたりしますね。
コーディネートは、娘さんとのLINEでチェック
体に合う型で、ワンピースを仕立ててもらっています。2~3年前から、娘に私のスケジュールを伝えると、彼女がコーディネートをつくってくれるように。
元々は、私もファッションが好きなのですが、忙しいときはなかなか時間がかけられなくて。講演や取材など、場に合わせて靴下までそろえて、写真に撮っておいてくれるので、迷わなくていいんです。ちょっとお見せしますね。
そうそう。自分でも服が好きだからこだわり出すと、出かける直前まで「やっぱり変えたい」と迷ってしまう。でも、「もう決まってる」と思えば、そのまま着て出ていけます(笑)。
あれは白のワンピースに、いわゆる「イチゴ色」アクセサリーでした。髪が白くなり始めたころから、赤いものを身につけることが多くなりました。家を建てるときにもイチゴ色をベースにデザインしてもらって。娘が生まれたときは、ベビー用品を薄いブルーで統一しましたね。自分の色を決めると便利ですよ。
以前、ポルトガルのコスタ・ノヴァという港町に行ったら、ボート小屋の壁が全部ストライプですごく素敵だったんですよ。日本の街並みもせめて屋根くらい色を合わせたら、もう少しデザイン性が高まると思うけど、お隣のことを気にするわりにそういうところは無頓着よね(笑)。
目に見える数字に頼りすぎると、安心だけど楽しくはない
日常のすぐそばにある不思議をとりあげるファンタジーですね。そういうジャンルがあると私もこの本をつくるときに知ったんですが、自分の書く分野にピッタリだなと。
異世界を描くようなハイ・ファンタジーは、『指輪物語』でも『ナルニア国物語』でも、ふたつの力のたいていが戦いの物語。光と闇、生と死、そしてイデオロギーの戦いになる。だから私はあえて書かないようにしてきました。
日常の中にも見えないけれど、面白いものはたくさんあって、それを見つける心の目をもつことは年をとってからでも生きがいになる。やりたいことが見つからないという方々は、園芸でも絵でもなんでもいいから、面白いと思ったらどんどん調べてやってみるといい思います。
よく「絵がヘタだから描けません」と聞くけれど、ヘタも何もだれが評価するの? 見せるでもないのだから、どんな絵でもいい。続けるときっと楽しくなってきます。それが職業になるかはわからないけど、少なくとも面白さを見つけたら、生きていることに退屈はしない。
なんでもかんでもグラフにしてしまうんですよね。安心するけれど、楽しくはない。それに、ひと目でわかる数字に頼ると「もっと大きくしよう」「まだ足りない」という焦りが生まれてくる。生活を便利にしてくれる道具だって、元をたどればどれもこれも人の願いと想像力の産物。そういった数字の奥にある見えない世界から姿を現したはずなのにね。
若い人たちに、大人の答えを押しつけない
月に1回、4年目になります。毎月通ってくれる子もいますね。お話中は、言葉のリズムを大事にして、なるべく絵は見せない。それでも真剣に聞いてくれるんですよ。それで、「面白い絵があったら見てみたい?」と聞く。「見てみたい!」と返ってきたら、1枚だけ見せるんです。耳から入ってくる言葉には映像があるから、想像していたイメージが膨らんで目が輝く。言葉の造形美ですよね。
細々したセッティングは娘がやってくれています。9か月弱で1万8000人くらいフォローしてくださったみたい。初めは顔を出すのに抵抗があったけれど、「今は幅広い人に届けようと思ったら、新聞もSNSに敵わないのよ」と娘に教えられて。出版文化が特別な人のものになってきてしまっているから、若い人に知ってもらえるのはいいですね。
大人が既成の答えを押しつけるものではないですし、子供も若い人も生きる力があって面白いですよね。
2022年には、生まれ育った東京都江戸川区に「角野栄子児童文学館(仮称)」がオープンする予定です。緑豊かな公園の中に建設してくださるそうで楽しみ。何が起きるかわからない年だけど、しっかり立ってテープカットをしたい(笑)。元気にオープンを迎えたいですね。
- TEXT :
- 佐藤久美子さん エディター・ライター
- PHOTO :
- 菊池良助