仕事も人生も、自分らしいスタイルを少しずつ「更新」させながらライフステージの「踊り場」を果敢に乗り越えてきた40~50代の女性たち。
現役でいられる時間が延びる人生100年時代の今、自らの心の声に耳を傾けて「生き方や働き方の軸足」自体をシフトさせる人も増えています。それまでもっていた価値観を見直して、変化させたことで人生がより味わい深く。「新しい働き方」を選んだ女性たちの深化の物語をお届けします。
今回は48歳で新聞記者から、保育園経営にライフシフトした及川敬子さんにお話を伺いました。
情報や人脈、すべてにアンテナを張り巡らせ大きな夢を実現
及川さんが部屋に入ると、「聞いて昨日ね〜」「このおやつおいしいね」…元気な保育園児の声があちこちから飛んでくる、ここは文京区にある小規模保育園。及川さんが3年前に開園した保育園です。
大学卒業後から新聞社で記者として働き、主に生活報道を担当した及川さんは、出産前までは山梨や青森、名古屋とさまざまな場所に赴任し、各地で暮らしにまつわる記事を書いていました。
育休後は区立保育園に子供を預け、本社へ復帰しますが、このとき住んでいたエリアで区立保育園の民営化案が浮上。保護者と区は話し合いの場を設けました。これが及川さんにとって、のちに保育園経営にシフトするほどの大きな転機となってゆきます。
「協議会では、保育の質とは、いい保育とはなんだろうと何度も集まり、真剣に話し合い、改めて保育の奥深さに気づきました。また、この場を通して保護者同士のネットワークも生まれ、今でもその時の仲間が保育事業を支えてくれています」
及川さんが保育事業に転身した根底には、子育て中に感じた思いもありました。
「社会と切り離された、子供とふたりきりの時間はとても孤独でした。そのとき周りの人に助けられたからなんとか乗り切れた。いつかは私も助ける側に回りたいと思っていました」
「いつか」は思いのほか早くやってきた。47歳のとき、深夜出勤の部署に異動になり、及川さんは退社を決意します。
「会社員人生はあと10年で終わるけれど、人生はまだ長い。深夜勤務になれば体力も時間もすり減ってしまう。会社員人生はここでゲームオーバーにして、これからは社会のために働こう」 そう決めた及川さんは、15年から小規模保育が制度化されることを取材で知り、そこに参入のチャンスがあると考えました。
退社後は3年間ボランティアで子育て広場を開設。同時に、地域メディアを立ち上げ、人脈づくりをしました。思いきって退職金を使って物件探しから準備をし、迎えた開園では園児は即定員に達し、今日までの経営も順調です。
「記者時代は、子育ての記事を取材してもどこか自分は『傍観者』の気がしていました。今は、実際に子供の成長にやりがいを感じて保育に関われる『実践者』になれた。それもうれしい」 保育園は4月に新たにふたつ開園するとうれしそうに語る及川さん。彼女のチャレンジはまだまだ続きそうです。
今の自分を自己評価するなら…?
「やるじゃん、私!(笑)。新聞社を辞めた時点では、保育園経営なんて夢物語で、自分が実際にできるなんて思わなかったです。これからさらに2園増えますが、それも実は最初のころに『3つくらい拠点があったらいいなあ』と考えていたんです」(及川さん)
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- PHOTO :
- 高木亜麗
- EDIT&WRITING :
- 大庭典子、佐藤友貴絵(Precious)