「代官山 蔦屋書店」文学コンシェルジュの間室道子さんがおすすめする本をご紹介する【Precious Culture/Book】連載、今回は江國香織さんのエッセイ『旅ドロップ』の魅力をお届けします。

なんとも予想外で、独特の浮遊感に満ちた江國香織流の旅エッセイ

『旅ドロップ』表紙
『旅ドロップ』著=江國香織 小学館 ¥1,400

本を読んでいて「これでこの人のナゾが解けた!」と叫びたくなる瞬間がある。江國香織さんは大好きな作家ですべて読んできたのだけど、小説にしろエッセイにしろ、あの独特の「はずれていく感じ」はなんだろうと思いながら表せなかった。でもこの旅エッセイでわかった。

冒頭の話に「あの町この町」という昭和の唱歌が出てくる。『あのまちこのまち日がくれる』で始まり、二番の出だしは『おうちがだんだんとおくなる』である。存在は知っていたけど曲として聞いたことがなかったので、You Tubeで女性のピアノの弾き語りを聞き震えあがった。なんという不安定!

歌詞にもメロディにも怖さはないし、演奏にもおかしなところはない。でも正確にやればやるほど、どこか調子っぱずれになっていくのである。夕暮れがテーマの歌はいくつもあるけれど、ほの暗さのケタがちがう。子供が歌うより、はすっぱなバーの女の人が外で夕涼みしながら口ずさんでいたら、すごく粋だと思う。そしてこれが江國香織作品の本質だ、と気づいた。

いいお家の少女が裏街のお姉さんに抱く憧れ。無鉄砲さの裏にある「なんとしてもこれをやりとげる」という意志。男の人はいてもいいけど即座に「そう重要じゃない」にしてしまえるかっこよさ。江國さんのもつエッセンスが「あの町この町」にはつまっている。

『旅ドロップ』の「ドロップ」はお菓子を差すほかに、『ドロップ・アウト=逸脱』を意味してるんじゃないかと思うくらい、本書の旅は大胆で予想外。そのただならなさを事故とか不運ではなく、日常のようにすいすいわたっていくのが江國さんだ。

「旅に出るにはどうしても、いったん家を『捨てる』必要がある」という感覚、70代のお母さんを江國さん姉妹でプーケットに連れていった後日、お母さんが言った一言、ケニアに行くはずだったのに現地の空港が閉鎖されたため、まったく唐突に「そこ行きの航空券が買えたから」という理由でローマに行ったことなど、エピソードに仰天したりハッとさせられたりしながら、すべての底に「あの町この町」が低く流れているのを感じる。遠出が楽しいのは帰れる場所があってこそだが「でも帰らなかったら?」を想像したことはないだろうか?

日が暮れて、おうちがだんだん遠くなる。ピンクから藍、黒へと変わる空。その心細さの中の甘美、身を任せてしまいたい衝動。旅はそう、恋愛にも似ているのである。ゴールデンウィーク前におすすめの一冊。

◾️『旅ドロップ』

著=江國香織 小学館 ¥1,400

2016年から2019年にかけて、JR九州の車内誌『Please プリーズ』に連載されていたエッセーに、旅がテーマの長編エッセーと三篇の詩を収録。著者が旅した場所の空気や出会う人々の体温まで伝わってくる、妄想旅にぴったりの一冊。37篇から成る、まるで物語のような旅エッセイ集。

※掲載した商品の価格は、すべて税抜きです。

 

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この記事の執筆者
TEXT :
間室道子さん 代官山 蔦屋書店コンシェルジュ
BY :
『Precious5月号』小学館、2020年
岩手県生まれ。幼いころから「本屋の娘」として大量の本を読んで育つ。2011年入社。書店勤務の傍ら、テレビや雑誌など、さまざまなメディアでオススメ本を紹介する文学担当コンシェルジュ。文庫解説に『タイニーストーリーズ』(山田詠美/文春文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/早川クリスティ―文庫)などがある。 好きなもの:青空柄のカーテン、ハワイ、ミステリー、『アメトーーク』(テレビ朝日)
WRITING :
間室道子(「代官山 蔦屋書店」文学コンシェルジュ)
EDIT :
宮田典子(HATSU)、喜多容子(Precious)