有言実行、ハイブリッドな日本人女性がホテル業界を変える!
「オリンピックまでにGM(総支配人)になって東京に戻ってくる」──。そう宣言し渡米、ハワイでキャリアを積んだという、アマン東京・総支配人兼アマン日本地区担当ディレクターの八木朋子さん。目指すべき確固たるゴールを描き、それに向け着実なキャリアパスを選び、グローバルなホテルウーマンとしての道を歩んできました。
八木さんは東京生まれ。日本のテレビ番組は禁止、帰国子女の母親との会話は英語、というインターナショナルなご家庭に育ちます。学生時代はスノーボードに励み、指導員の資格を取得されオリンピックを目指すなど、スポーツウーマンの一面も。海外出張が多く、N.Y.での赴任経験もある父親に同行した際に触れた、煌びやかな世界で働くホテルマンのかっこよさに憧れ、ホテル業界へ進むことを決意したそうです。
ハワイ州立大学マノア校観光産業学部ホテル経営学科を卒業後、2001年ハワイ島のヒルトン・ワイコロア・ヴィレッジに入社。ハウスキーピング サービス マネージャーとしてホテルでのキャリアをスタート。帰国後は、複数の外資系ラグジュアリーシティホテルで経験を積み、そのうちのひとつに勤務している際にコーネル大学観光産業学部ホスピタリティーコースを修了しました。2014年に再びハワイに渡り、ハレクラニで宿泊部長として勤務します。2016年4月に帰国し、アマン東京の副総支配人としてアマンに入社。そして2017年、アマン東京の総支配人に就任し、都内外資系ラグジュアリーホテル初の日本人女性総支配人となりました。現在はさらに昇進し、日本の3つのアマンの責任者である日本地区担当ディレクターです。
それでは早速、東京の高層ビルに現れた静謐なリゾート「アマン東京」、そして伊勢志摩「アマネム」と「アマン京都」も含めて日本を総括される八木さんに伺った、キャリアに関するエトセトラを、ご覧ください。
アマン東京総支配人・八木朋子さんへ、10の質問
「ホノルルでインターンはやっていましたが、初めてお金をいただくお仕事はハワイ島でした。ちょうど『911』が起こった2001年で、ハワイはちょっと鎖国のような、コロナ禍の現在と似た状況でした。ハウスキーピングのマネージャーとして入社したのですが、マネージメントの仕事の前に2か月ほど、現場の仕事をオン・ザ・ジョブでみっちりやりました。ひとりで1日16部屋の掃除を、テストに合格するまでやるんですよ。そこで、メイドさんはホテルの背骨であることを学びました」
「島には街灯や信号がなく、朝5:00に家を出るとまだ暗くて『月が綺麗~!』という世界でした。グレーで暗闇と見分けにくい野生のロバを車で轢かないように、と注意されたりもしました。そこでの仕事はビザの関係で1年間で、その後は日本に戻り、東京のラグジュアリーホテルに勤務しました」
「都内のあるラグジュアリーホテルに勤務していた際、とても厳しいGM(総支配人)のもとで働きました。彼に毎朝のブリーフィングでさまざまな指摘をされ、詰めの甘い自分の至らなさが悔しくて、よく泣きました。でも、あそこであれほど厳しい上司と仕事をしなかったら、30代半ばにして再渡米し、全員外国人のハレクラニで働こうとは思わなかった。そして、ハレクラニがなければ、現在のポジションは得られなかったので、彼との出会いがターニングポイントだったと言えます。日本にずっといたらチャンスがなかったと思いますし、きっと宿泊部長で終わっていました。その後、2016年に副総支配人としてアマン東京へ入社が決まり帰国、その翌年に総支配人に昇進しました」
「現在の仕事は、朝9:00に全体ブリーフィングという、エクゼクティブコミッティー(経営陣)のミーティングの進行役をすることから始まります。その後、確認事項や相談のある各マネージャーやスタッフが私のもとを訪れ、11:00くらいにホテル内を見て回るようにしています。12:00のチェックアウトと15:00のチェックインの際はお客様へのご挨拶、VIPがホテルへ戻られた際は声かけなど、あとは午後もミーティングをしていることが多いですね。
夕方にはスイスにある本社がオープンし、抱えている案件によっては23:00まで残業することも。ときには夜中の1:00に会議の招集がかかることもあります。でも、私は20時間くらいは寝溜めができるので、睡眠不足でも乗り越えられます」
外資系ホテルへ一流江戸前鮨を!仕事人生をかけた一大ミッション
「私の前任者時代からの、お鮨屋さんのプロジェクトです。いわゆるホテルのお寿司屋さんでなく、そこだけ異世界のようなお店を目指しました。建築はうまく進んだのですが、肝心の鮨を握る職人さんを選ぶのが大変でした。テナントとして場所を貸すつもりではなかったので、一国一城の主のような方をサラリーマンになりませんか、と誘うようなもの。うちの社員になっていただき、『アマン東京のお客様に握りたい』と同じ気持ちになってくださる方を探し、ご納得いただき、入社していただくのがとても大変でした」
「仕事に対する姿勢でもセンスでも、この方!と思った方(現在の『武蔵 by アマン』の親方)のもとに毎日のように通い、『この方がダメだったら責任をとって辞職かな?』というくらい重圧でした。外国人の経営陣に職人による奥深い江戸前鮨のこだわりの世界が伝わらず、なかなか双方との話がまとまらず。お店の工事だけがどんどん進み、お腹が痛くなりました。最後の最後は親方の武蔵さんが『八木さんが可哀想だからやる』、とおっしゃってくださって(笑) 2019年10月にオープンした際は涙が出ました。日本酒や焼き物、江戸切子など、日本文化をお客様に伝えられますし、私自身もこの経験は良い勉強になりました」
「諦めないこと。できない、と思ったことがないんです。仕事なので結局やらなければならないですし、ベストな結果も出さなければならない。責任もありますし。それだったら楽しくやった方が良いですよね。ネガティブに、できないことを羅列するのにエネルギーを使うんだったら、ポジティブにそれを使いたいと思っています」
「次のステージに行くのが楽しいと思うので、恐怖はないかもしれません。ただ、接客出身ではないので人前で話すのが苦手で、パーティも好きではないんです。下の人をインスパイアしていく話術は必要と思いますが、私の場合は、背中を見て育ってもらっています。
先日、首相官邸でプレゼンテーションする機会があり、4分間でしたがとても緊張しました。パブリックスピーキングといいますか、自分のことを知らない人の前でのスピーチがまだ苦手です。実は手のひらに人の字を書いて飲み込んだりもしてるんですよ(笑)
ただ、緊張しているのと怒っているのが、あまり他人には伝わらないようで、テンパっているのが周囲はわからないようです……。経験に勝るものはないので、乗り越えるには数をこなす、ということなんでしょうね」
ホテル業界は天職!苦労も必要なステップ
「このホテルが、他のホテルと全く違う、文化へのリスペクトが高い美しいラグジュアリーホテルであり、独自のおもてなしの哲学を持っているところ。また、それぞれのホテルに、ある程度ホテルの運営の仕方を任せてくれるブランドであること。そしてその舵取りをしている私を守ってくれる人が増えたことです。また逆に、アマンで働くどの職種の人にも愛情を感じますし、守っていかなければ、と思います。客室84、従業員266名(2020年7月現在)の小規模なホテルなので、声が届きやすい反面、言葉には気をつけていますね。
(ホテル業界は)あらゆる点で天職だと思っています。多分この先も居続けると思います。おばに『あなたはが高校生のときにホテルマンになりたい、と言っていたけれど、そこから一人前になって食べていけるようになる人って本当にひと握り。それを叶えたのだから、頑張りなさいね』とよく言われます」
「一つもないんですよね。苦労もしましたが、全てが必要なステップでした。ホテルにはそれぞれカラーがありますから、それが合わないホテルで働くのは自分が好きでやっている仕事なだけに、辛くて辞めてしまったことも。
あるホテルを退職し、キャリアを再度築き直すときに、自分が最終的にどうなりたいのか、目標を決めました。それに必要な役職が苦手な役職──、自分の場合はフロント業務でしたが、その経験をもらうためだけに、次のホテルは、計画の一つのステップとして勤めました」
日本人はトップになれない──、その「ガラスの天井」を破った!
「ホテル業界には年齢や性別の垣根がないと思います。女性としてのハンディはあまり感じません。またアマン東京では男性で育休を取得された人もいます。国籍、性別関係なく結果を出せれば良い、というタイプの会社かと思います。アマングループの会長はロシアの方ですが、私自身共感する点があります。
逆に日本人対外国人、というのが古くからあるかもしれません。私もそこを破るので必死でした。女性、というより日本人で部長職に就くのが難しかったんです。ホテルの上層部の人はすべて欧米人、特にヨーロッパの人が多く、日本人に限らずアジア人のトップはいなかったんです。以前は西洋式の5スターホテルのやり方が主流で、どこでも同じく、ヨーロッパ式のサービスが求められていました。その後、観光立国した日本のおもてなしが評価され、アジア人でも、外国で勤務した経験や学歴といった『ハイブリッド』な部分があると、昇進しやすくなったようです。ちなみに私は、都内の別のホテルで宿泊部長に3回チャレンジし、落とされる度に外国人がその役職に就く──、を繰り返し、4回目でやっと叶いました。そのときに、自分で『ガラスの天井を破った』と思えました。
当時は、そこまでやる日本人がいなかったのかもしれません。性格的にプロセス オリエンテッド(それぞれのプロセスを大事にする)な考え方をせず、ゴール オリエンテッド(目標重視)なのも外国人的と言われます。自分のできないことはプロに任せてしまいますし、マイクロマネジメント(管理者である上司が部下の業務に強い監督・干渉を行うこと)はしません」
「4か月間ホテルをクローズしましたが、この期間をどう乗り越えるのか、初動対応に気を配りました。本社に対して理解を求めることへも必死でした。ホテルの支配人というと、以前は通常の会社のトップと異なり、経営や数字的なことは本社に任せ、フロントに立ち、どれだけお客様と話すか、のようなことで評価されていたように思いますが、今はそれもだいぶ変わってきてると思いますし、特にこのホテルでは違うかもしれません。宿泊の8割はインバウンドでしたので、外国人のお客様が戻らない限りは以前と同じようにはいかず、今はそれをどうしていくのかを考えています。
日本地区担当ディレクターとして3つのホテルを見ているので、もともと対本社の仕事が多く、オンライン会議はしていましたが、出張はなくなりました。国内でさえも今はありません。アマネムとアマン京都の現場チェックを直接できないもどかしさはあります。コミュニケーションをより多くとるようにしたり、向こうに届くゲストコメントにも目を通し、少しでも思うことがあれば訊くようにしています」
「家族や周りにいる人たちの理解を得ることが一番大事だと思います。私は主人が何も言わず、応援してくれるので恵まれているかな(笑)ちょうど宿泊部長になったときに、ハワイ大学の同窓会を通して知り合った彼と結婚しました。
2011年の東日本大震災の際、外国人である主人がシンガポールへ異動に。当時、私には守るべきチームがいるからついていかない、という選択をしたことに彼はショックを受けたみたいです。でも、そのときに私の『ホテルを守っていく』という意志を理解してくれたようです。その後、再渡米した私に合わせ、主人は共に暮らすために転職し、私のいるハワイへ。みんながみんな、そういうパートナーに出会えるわけではないですが……、家族の協力と理解は働く上で必要だと思います」
以上、アマン東京総支配人兼アマン日本地区担当ディレクターの八木朋子さんに伺った、キャリアについての10の質問でした。
明日公開の【ライフスタイル篇】では、モーニングルーティンや愛犬と過ごすバカンスなど、キャリア女性的プライベートについて、Precious.jpに語ってくださいます。どうぞお楽しみに!
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- TEXT :
- 神田 朝子さん ライター/ピアニスト
公式サイト:epiphany piano studio
- WRITING :
- 神田朝子