1937年、創業からちょうど100年後にリリースされた初めてのエルメスのシルク製品は、『オムニバスゲームと白い貴婦人』という婦人用カレ(スカーフ)だった。では紳士用のシルク製品は何であったかというと、これには紳士用品ならではの逸話がある。誕生は1949年の南仏カンヌ。
カジノは正装で訪れるべしというドレスコードがあったため、エルメスのブティックに当時は存在しなかったネクタイを求めて、来る日も来る日も紳士たちが訪れ、遂に店長がパリ本社にネクタイの製作を依頼したというわけだ。紳士向けシルク製品としては、現在ネクタイ、蝶ネクタイのほか、ネッククロス、カレ、ポケットチーフを展開している。各国のブティックは自国の市場に合ったアイテムを選んで展開しているので、ブティックによって展開される商品は異なる。
エルメスのネクタイはカンヌの出来事から誕生
エルメスのネクタイは明らかに別格だ。最高級の糸をたっぷり打ち込んでいるためしっかりした手触りがあり、ドレープは滑らかな曲線を描き、気品ある光沢を放つ。そんな上質なシルク生地の原料となるのが、繊維が長い特徴を持つ最高級のブラジル・パラナ州産の生糸。ちなみにパラナ州は日系移民の代表的な開拓地。エルメスのパートナーも日系移民3世だそうで日本との意外なつながりがうれしい。
その生糸はリヨンのアトリエに送られ織物となり、さらにプリントが施される。この土地は伝統的に絹織物製造業が盛んだ。中世にはイタリア商人がアラビアからもたらした生糸を使い、北イタリアで絹織物が生産され、フランスへと輸出されていた。自国生産し、輸入費を削減しようとするフランスの政策により、16世紀頃リヨンに絹織物生産の誘致が行われた。リヨンに優れたアトリエがいくつもありノウハウが保たれているのは必然なのだ。規則正しく、見事な透明感を持つ最高の生糸と、リヨンが誇る伝統技術を惜しみなく使い、極上の光沢や流れるようなドレープを誇るエルメスのシルクはでき上がる。
エルメスのテキスタイル部門HTH(ホールディング・テキスタイル・エルメス)傘下にはなんとアトリエ10社があるが、今回はその中から、リヨン近郊でシルク製品のプリントやコンピューターグラフィック、製版工程などに携わる「ITH」と「SIEGL」を訪ねた。
「ITH」はスチールの枠に貼ったポリエステルにデザインを転写する製版と、でき上がったプリント地を裁断して縫製を行うアトリエだ。その昔は梨の木に模様を彫刻して版画状にプリントしていたそうだが、現在は、細かいモチーフも実現可能な「ア・ラ・リヨネーズ」と呼ばれるシルクスクリーン(インクが通過する穴と通過しない穴を持つ版をつくり印刷する技術)を採用している。
まずデザインをコンピュータ上で分解し製版の指示をつくる。そして枠にはめたポリエステルに青い色糊を塗り、レーザーを当てて模様を入れて版を製作。1色に1枚の版(枠)を使うので、たとえば6色のデザインの場合は、6枚の版が必要。エルメスには46色使用したスカーフがあり、その場合は46枚の版を使用し、1色ずつプリントするのだから大変に時間と手間がかかる。しかも製作中も欠陥がないか、人間の目でのチェックを欠かさない。
熱を持つ職人が完璧さと品質を追求
その版型を使いプリントを行うのが「SIEGL」。広大な作業場にプリント用機械がずらりと並び、模様を刻んだ版型が台に置かれて1色ごとにプリントが施される。インクは特注で、なんと7万5千色以上も数えるという。プリントしている間も人間の目で幾度もチェックされている。少しでもずれがあった場合はすぐ修正されるのだ。すべての色がプリントされると、台から剝がされて乾燥へ。
プリントされた生地は再び「ITH」に持ち込まれ裁断、縫製される。たとえばネクタイは裁断の後、コットンウールの芯を入れて組み立てられるが、その縫製は熟練した職人による手縫い。内側にはたるみ糸が仕込まれる。
この糸はネクタイのシワを取るための仕組みで、引っ張った後にまっすぐに伸ばすとシワが見事に取れる、高級品ならではの手の込んだつくりだ。さらにでき上がった後も品質チェックを行い、正しい位置にネームが入っているか、たるみ糸が正しく機能するかなどをチェックし、合格したものだけがブティックに送られることになる。
エルメスのメンズシルク部門クリエイティブ・ディレクターのクリストフ・ゴワノー氏は、アトリエに全幅の信頼を置く。彼はデザインの選定のみならず、新しいメンズシルクコレクションにおける色と素材の開発を取り仕切っている。
「職人たちは情熱を持って仕事に取り組んでおり、細部まで何時間も取り組んで、素晴しいものの創出を追求しています。まさにエルメスの真骨頂です」
クリエイションの面では、メンズのアーティスティックディレクターと共に、様々な要素のバランスを取りながらその世界観を表現している。
「エルメスというブランドでは時間の概念が長いのです。できるだけ長く身につけたいと思うものだからこそ、バランスとハーモニーがとても大切です」クリエイションこそ至高であって、エルメスらしいスタイルの表現を何より重要視する。その確固たる姿勢は、時を経ても揺るぎない。
彼は男性の服装に関しては、近年、変化が見られると考えている。
「近年はカジュアルの波が到来して、より快適さが重視されるようになりました。また、’80年代はネクタイがユニフォームの一部のように義務的な存在だったのに対して、現代ではより自分らしい装いが好まれています。でもどんな時代でも、男性にはエレガンスと機能性を兼ね備えた首回りのアクセサリーは必要です」
エルメスのシルク製品といえば芸術家とのコラボレーションものも有名だが、ゴワノー氏は今までにデザイナー兼イラストレーターの野村大輔氏など日本人クリエイターとの仕事も手がけてきた。
「’10年にネクタイのコンクールを開催した際、大輔がエルメスのロゴモチーフを骸骨にしたデザインを考案しました。今シーズンはこれを異なる色で裏表にプリントした、ダブルフェイスのスカーフとして採用。私はこの技術を誇らしく思うとともに、職人の才能に敬意を表します」
そんな最新技術だけでなく、実はゴワノー氏はシルクスクリーン以前の、梨の木のブロックを使った初期のプリントにも興味を持っている。
「初期のプリントには詩的で心動かすものがある。それもまたプロダクトの魂だと思うんです」
新旧のプリント技術を融合した、まったく新しい魅力を持つシルク製品が生まれる日が楽しみだ。
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- TEXT :
- MEN'S Precious編集部
- BY :
- MEN'S Precious2020年春号より
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- 武田正彦