みなさんは、「だいく」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか。ベートーヴェンによる『交響曲第9番』、いわゆる「第九」が真っ先に浮かんだという方も多いのではないかと思います。年末にはTV特番などで頻繁に流れ、全国的に演奏会も数多く行われる「第九」。しかし、これは世界的なものではなく、日本だけの珍しい慣習なのです。

では、なぜ日本では「第九」が年末に演奏されるようになり、ここまで身近な作品となっていったのでしょうか。演奏会が本格化する12月を前に、「第九」の歴史を踏まえながら、その秘密を紐解いていきます。

楽聖・ベートーヴェンが完成させた最後の交響曲「第九」

作曲家、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが晩年に作曲した大作であり、完成させた最後の交響曲でもある『交響曲第9番』。4楽章からなる本作ですが、なかでもフリードリヒ・フォン・シラーの詩が歌詞に用いられた、合唱付の最終楽章は特に有名です。主題部分は『歓喜の歌』としても知られ、EU(ヨーロッパ連合)では『欧州の歌』として採択、1989年のベルリンの壁崩壊後には、ドイツ語の歌詞を「Freude(歓喜)」から「Freiheit(自由)」に変えて歌われるなど、世界中で多くの人に親しまれています。

第一次世界大戦中、ドイツ人捕虜たちが日本国内で演奏したのがはじまり

ドイツ人捕虜たちによる「徳島オーケストラ」©『交響曲「第九」の秘密』(ワニブックス刊)
ドイツ人捕虜たちによる「徳島オーケストラ」©『交響曲「第九」の秘密』(ワニブックス刊)

そんな「第九」が日本で初めて演奏されたのは、第一次世界大戦中の1918年。徳島の板東俘虜収容所内でのこと。当時の収容所内には、「青島の戦い」後に発生した約1000人のドイツ人捕虜がいたとされますが、その扱いは世界に類を見ないほど極めて人道的なものでした。これは、所長であった松江豊寿大佐の方針によるもので、広大な収容所内では、運動場や菜園などが設置されていたほか、ドイツ人捕虜たちにより食料品店なども運営されていました。そのため、音楽をはじめとする文化的な面においても可能な限りの自由が許されており、収容所内ではオーケストラなどが結成され、演奏会も度々開催されていたといいます。

『交響曲「第九」の秘密』¥830(税抜・ワニブックス刊)
『交響曲「第九」の秘密』¥830(税抜・ワニブックス刊)

そして、1918年の6月。収容所内の「徳島オーケストラ」によって、ベートーヴェンの『交響曲第9番』が、日本の地で初めて演奏されます。このエピソードは、現在まで色褪せることなく語り継がれており、近年では『バルトの楽園』として映画化。その経緯は、今年9月に発売された書籍『交響曲「第九」の秘密』でも詳しく紹介されています。

しかし、ここで「第九」が演奏されたのは6月のこと。私たちがイメージする、「年末」のできごとではありませんでした。では、なぜ年末に「第九」が演奏されるようになっていったのでしょうか? それは、日本での初演から約20年後、ある指揮者の来日に端を発します。

偉大な指揮者・ローゼンシュトックから始まった、年末の「第九」

1938年12月に歌舞伎座で行われた、新交響楽団の特別演奏会©️玉川学園
1938年12月に歌舞伎座で行われた、新交響楽団の特別演奏会©️玉川学園

板東俘虜収容所での初演以降、少しずつ日本にも浸透していった「第九」。やがて日本のオーケストラでも演奏される作品となり、全国へと広まっていきます。そして1936年、日本のプロオーケストラであった新交響楽団(現・NHK交響楽団)の新たな指揮者に就任するため、ある人物が来日。それが、世界的に活躍した指揮者であり、年末に「第九」が演奏されるきっかけをつくった、ヨーゼフ・ローゼンシュトックその人でした。

1937年5月に、日比谷公会堂で行われた新交響楽団の定期演奏会では、プログラムのひとつとして「第九」を演奏。翌年の1938年12月にも、ローゼンシュトックの指揮により歌舞伎座で「第九」の特別演奏会が行われ、4楽章の合唱には東京高等音楽学院(現・国立音楽大学)と玉川学園の学生も参加しました。現在でも、大学の必修科目として「第九」の合唱に取り組み、1938年の演奏会にも参加した玉川学園によると、12月に行われたこの演奏会の成功をきっかけに、新交響楽団の年末の恒例演目として「第九」が定着。その背景には、ローゼンシュトック本人からの働きかけがあったのだといいます。

NHK交響楽団が大晦日にラジオで生放送

さらに、1940年の大晦日には、同じくローゼンシュトックの指揮により、新交響楽団がラジオで「第九」を生放送。これにより、年末の「第九」が急速に広まっていきました。戦後には、日本交響楽団(現・NHK交響楽団、1942年より新交響楽団から改称)が12月に「第九」演奏会を開始。日本各地のオーケストラもこれに追随し、年末の「第九」が恒例行事として定着していくこととなったのです。

 

これ以外にも、そのはじまりには諸説ある「日本の年末の第九」。いずれにせよ、これほど多くの人に親しまれ、年末にかけてプロ・アマチュア問わず演奏されている作品はほかにはないでしょう。

暮れも押し迫ったこの時期、今年も各地で「第九」の演奏会が数多く行われます。その歴史に思いを馳せながら、演奏会へと足を運んでみてはいかがでしょうか。

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この記事の執筆者
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COOPERATION :
ワニブックス、玉川学園
EDIT&WRITING :
難波寛彦