暖かく肌触りのよい生地、上品な光沢と希少性から「繊維の宝石」と呼ばれるカシミヤ。ニットやコートなど、好んでカシミヤのファッションアイテムを選ぶという方も、多いのではないでしょうか? 軽くて保温性のある生地は、レイヤードで重くなりがちな冬のファッションを軽やかにしてくれますよね。
今でこそ一般的な素材として親しまれているカシミヤですが、その歴史はインドから始まります。では、今日のように私たちが身に纏えるほど市場に出回るまで、どのような経緯をたどって広まったのでしょうか。そんな「カシミヤ」の歴史や豆知識をご紹介します。
■そもそもカシミヤ(cashmere)とは?
カシミヤとは、インド北部のカシミール地方を原産とし、寒暖の差が激しい内陸部のモンゴルやイランなどの山岳地帯に生息するカシミヤ山羊から採取した毛のこと。
故に「カシミヤ」は発祥の地、カシミールが名前の由来です。
カシミヤ山羊の毛は古くから、牧畜民たちが厳しい環境から身をしのぐため、貴重な資源として用いられていました。
高地の厳しい寒さや乾燥した気候に生息していたカシミヤ山羊は、全身が粗い毛で覆われ、その厚い毛の下に非常に細くてやわらかい産毛が生えているのが特徴です。そして一頭から採取できる量が少ない、このやわらかい毛のみがカシミヤ繊維となるのです。
■古くから人々を魅了し続けてきた素材
希少で美しい肌触りと軽量で断熱性が高い長所が商人達や皇帝、貴族階級の人々を魅了し、高級素材となったカシミヤ。
ときにこの上質な繊維は、文明の発展を経て東洋と西洋の文化を結びつけてきました。
皇帝ナポレオン1世が1798年エジプト遠征のお土産に妻ジョセ・フィーヌへ持ち帰ったものがインド産のカシミヤ・ショールだったという話もあるほど。ジョセ・フィーヌは、絹のようにしなやかで、素朴さと豪華さが同存するカシミヤ・ショールをとても気に入った、という逸話も残されています。
そして、当時フランスのファッションリーダーであったジョセ・フィーヌの影響により、カシミヤ・ショールの流行は、瞬く間にヨーロッパの上流社会に広まったのです。
■フランスのブルジョワジー御用達の素材へ
19世紀に入るとフランスでは産業化と都市化が進み、資産のあるブルジョワジーが増加していきました。
ブルジョワ家庭では、妻は家庭の消費生活の管理と育児を任せられるようになり、今でいう「主婦」の役割が生まれました。
当時の華やいだ生活は、布地のきらびやかさと刺しゅうの豪華さなどによって趣向を表現していました。
織物工業の発展によって、布地は豊富に出回り、チュールや絹、ビロードといった高級生地のなかにカシミヤも含まれていったのです。
カシミヤのショールはこの時代、防寒用に用いられ、アクセサリーとしても人気が高かったアイテム。インドのカシミール地方を原産とした山羊の毛で織られたものは、当時は非常に高価な代物で、上流家庭の夫人しか購入できませんでした。
そんな上流階級への憧れもあってか、資産をもつようになったブルジョア家庭の女性は、木綿のショールではなく、カシミヤのものを使うようになりました。カシミヤが上流階級からブルジョワジーへと広まったのは、当時の発展の象徴でもあったのです。
では、ときを同じくして産業が発達したイギリスではカシミヤはどのように広まったのでしょう?
■イギリス産「カシミヤ・ショール」は産業発展の証
イギリスでは18世紀末にインド産の手織りのカシミヤ・ショールが高値で売られていました。
そして時が経ち、19世紀初期。女性は一年中薄手の綿でできたモスリンのドレスを着用していたので、寒さから身を守るためにウールのショールをはおるようになりました。
19世紀半ばになるとスコットランドのペイズリー産の機械織りショールが出回り、イギリス産のカシミヤ・ショールが初めて市場へと流れます。
カシミヤ・ショールは当時以前、インドから輸入したものが主流でした。しかしイギリスで発明された力織機によって、美しい模造品がつくられることとなるのです。
■ときの発展を経て、民間へ広がったカシミヤ
古くから、富豪たちに愛され好まれてきたカシミヤ。産業の発展とともに民衆へ広まることとなりましたが、その希少性は依然として変わらず、高価な素材として取り扱われています。
遊牧民たちが纏っていたこの素材は価値を見いだされ、女性たちを虜にしてきた歴史があります。そして上質なカシミヤのうっとりするほどの肌触りは、温かく身体を包み、今もなお多くの人たちを魅了し続けているのでしょう。
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- TEXT :
- Precious.jp編集部
- EDIT&WRITING :
- 高橋優海(東京通信社)