最近女性による加齢をテーマにした本が目立つ。紹介するのは角田光代さんの『わたしの容れもの』と中島京子さんの『彼女に関する十二章』。前者はエッセイで、後者は小説仕立てで「私の体と心にこんなことが!」と、ユーモアをもって描いている。
男性作家はこのテのものは書かない。「加齢の到達点で!」だと赤瀬川原平さんの『老人力』があるが、男性は「衰え中」を書かない。男の人って「気力と体力がなくなったらオレは終わり」と思いがちだから、「何々ができなくなった」を世間にさらすのは耐えられないんだろうと思う。でもハイハイや泥水遊びなど、幼児のころは平気でも、大人になったらできなくなったことは多々ある。そっちを「成長」とし、老化を「劣化」と嘆くだけでは人生もったいない。
角田さんのエッセイは最近漫画が読めなくなったことや薄着問題、転倒の恐怖まで、「容れものとしてのわたしの体」を興味津々で見つめている。がっかりもあるけれど、角田さんはそれらを「新しい自分になっていく」と捉えている。
中島さんの作品は50歳の主婦が「あがった」シーンから始まる。「女でなくなるもの悲しさ」という視線で描かれることの多い閉経だが、生理痛に悩まされてきた彼女は解放感を味わう。そして中年女性のファッションは、紫外線や冷えから体を守る武器の要素重視であること、勤め先での時間を増やす決意表明をしたところ、夫から返ってきたのは「晩飯はどうなる」のひと言で、その背中に向け殺気を送るシーンなど、こちらも中年女性のシビアでユーモラスな心身の変化と、職場や家族との新たな関係性が描かれていて共感必至。
若返りを目指すよりフレッシュなアラフォー、アラフィフ、その先でいたい。そう思えてくる2冊。
- TEXT :
- 間室道子さん 代官山 蔦屋書店コンシェルジュ
- クレジット :
- 撮影/田村昌裕(FREAKS) 文/間室道子