「船のわたしたちは、ほとんどが処女だった」。このように語り出される本書は、100年ほど前に、「写真」だけを見てアメリカへ嫁いだ、日本人女性たちの声の物語だ。
「あの人のことを好きになるかしら」。不安と期待に運ばれる船内で「わたしたちは、背が高くて美しくなった自分の夢を見た。あれほど逃げ出したくてたまらなかった田んぼに戻っている夢を見た」。
ある者は両親に結納金目当てに身売りされ、ある者はまだ12歳。ある者はこの村にいたら、一生嫁にゆけないと言われて船に乗った。
だが船から降りれば、待っていたのは写真とはまるで違う男。20年前の写真だった。そこから壮絶な苦労が始まる。ある者は子をなし家族をつくるも、やがて日米開戦。敵性外国人として、逮捕、強制立ち退き、収容所への移送。
著者ジュリー・オオツカは膨大な日系移民の体験談から本書の着想を得たという。オオツカ自身、日系アメリカ人で、処女作『天皇が神だったころ』に続く本書には、オオツカ自身の家族の歴史も重なっている。
絵画を学んだという著者は、一瞬を強い握力で象徴的に描き出す名手でもある。航海途中、「クジラの黒くなめらかな脇腹が突然海から現れて消え、一瞬、わたしたちは息を飲んだ。仏さまの目を覗き込んだようだったわ」と書かれた箇所がある。絶望の連続が描写されていくが、ところどころこのように、「わたしたち」を見つめる神様・仏様の慈悲の「目」を感じる。本書を長い長い「詩」、あるいは「流れ」、「お経」と呼んでもいいかもしれない。ひとりの「わたし」を無数に描き重ねることで、「わたしたち」という重層的な響きの人称に達している。
なお、巻末の「訳者あとがき」で、本書の翻訳家、岩本正恵氏が若くして亡くなったことを知った。「わたしたち」の響きの内に岩本さんの魂もそっと加わっている。
- TEXT :
- 小池昌代さん 詩人・作家
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- クレジット :
- 撮影/田村昌裕(FREAKS) 文/小池昌代