訃報が届いた8月18日、ご自宅前にはファンからのたくさんの献花が置かれた。

【目次】


プロフィール


名前:アラン・ドロン(Alain Delon)

出生地:フランス共和国オー=ド=セーヌ県ソー

生年月日:1935年11月8日

1957年公開の『女が事件にからむ時』でスクリーンデビュー。1960年公開の『太陽がいっぱい』で世界的な知名度を得たのち、数多くの映画に出演しつつ、製作や脚本にも関わる。1981年公開の『危険なささやき』では、自身が初監督・製作・主演を務めた。2017年に引退を表明し、2019年5月の第72回カンヌ国際映画祭出席をもって俳優業を引退。

私生活では、1964年にナタリー・バルテルミー(のちにナタリー・ドロンと改名)と結婚したが、1969年に離婚。数々の恋愛を経て数人の子どもをもうけており、ナタリーとの間にもうけたアントニー・ドロン、オランダ人モデルのロザリー・ファン・ブレーメンとの間にもうけたアヌーシュカ・ドロン、アラン=ファビアン・ドロンは俳優としてデビューしている。引退から間もない2019年8月、脳卒中のためスイスで療養していることが報じられた。

「若いころ」「昔」の写真10選


最初に、アラン・ドロンの「若いころ」「昔」の写真をピックアップ。

1958年ごろ(22歳ごろ)『恋ひとすじに』の撮影現場

共演相手のロミー・シュナイダーと。この共演がきっかけで交際・婚約に発展するも、1963年に破局。
共演相手のロミー・シュナイダーと。この共演がきっかけで交際・婚約に発展するも、1963年に破局。

1960年ごろ(25歳ごろ)

タバコをくわえながらサインの練習をする光景。
タバコをくわえながらサインの練習をする光景。

1960年ごろ(25歳ごろ)

1961年5月(25歳)カンヌ国際映画祭

1963年1月(27歳)フランスのウィンタースポーツイベント

当時の婚約者、ロミー・シュナイダーと。
当時の婚約者、ロミー・シュナイダーと。

1963年4月(27歳)東京

第3回フランス映画祭への出席のため初来日。箸を使って和食を堪能する光景。
第3回フランス映画祭への出席のため初来日。箸を使って和食を堪能する光景。

1963年ごろ(28歳ごろ)

フランスで撮影されたポートレート
フランスで撮影されたポートレート

1964年ごろ(29歳ごろ)

1965年ごろ(30歳ごろ)

1967年10月(31歳)フランス

『あの胸にもういちど』のロケ中、共演相手のマリアンヌ・フェイスフルと。
『あの胸にもういちど』のロケ中、共演相手のマリアンヌ・フェイスフルと。

「映画」代表作10選


続いて、アラン・ドロンが出演した代表的な映画のうち、おすすめの10本をご紹介します。

『恋ひとすじに』(1958年)

アラン・ドロンとロミー・シュナイダーの初共演作。ロミーが演じる歌手を志す美しき娘・クリスチーヌと恋に落ちる若き少尉、フリッツ・ロープハイマー役。

あらすじ:フリッツは、友人に誘われて出かけた酒場で出会ったクリスチーヌと恋に落ちた。しかし、フリッツはエッガースドルフ男爵(カール・ラング)の妻・レナ(ミシュリーヌ・プレール)と不倫関係にあった。クリスチーヌに心を奪われたフリッツはレナとの関係を終わらせようとするも、事実を知った男爵から決闘を要求される。

『太陽がいっぱい』(1960年)

アラン・ドロンの名を世界に轟かせた名作。大富豪の息子である友人を殺害し「完全犯罪」を画策する貧乏な青年、トム・リプレイを演じた。

あらすじ:トムは、友人で大富豪の息子であるフィリップ(モーリス・ロネ)を連れ戻すよう、彼の父親から依頼を受けた。しかしフィリップは、トムや婚約者のマルジェ(マリー・ラフォレ)をぞんざいに扱う。フィリップによって裸のまま炎天下のボート上に数時間放置され、全身にやけどを負ったトムは、フィリップの殺害を決意する。

『地下室のメロディー』(1963年)

アラン・ドロンと同じくフランス映画のスターとして知られたジャン・ギャバンとの共演作。主人公のシャルルと行動を共にするチンピラ、フランシス・ヴェルロットの役を演じた。

あらすじ:刑期を終えて出所したギャングの老人シャルル(ジャン・ギャバン)は、昔の仲間と共にカジノの金庫から大金を強奪する計画を立てる。シャルルは、新たな仲間としてフランシスとルイ(モーリス・ビロー)を雇った。カジノ襲撃には成功するが、不測の事態によりフランシスの正体が警察に知られそうになる。

『山猫』(1963年)

国際的な高評価を獲得した人気作で、日本では本編より短縮化された英語国際版が1964年1月に公開されている。バート・ランカスターが演じるサリナ公爵の甥、タンクレディ役で出演。

あらすじ:イタリア統一運動中の1860年、ガリバルディ軍に合流していたタンクレディは、市長・セダーラ(パオロ・ストッパ)の娘アンジェリカ(クラウディア・カルディナーレ)に恋をする。しかしサリナ公爵の娘コンセッタ(ルッチラ・モルラッキ)も、タンクレディに恋をしていた。公爵は、タンクレディとアンジェリカの仲人を引き受ける。

『冒険者たち』(1967年)

ロケ中のアラン・ドロンと共演相手のジョアンナ・シムカス
ロケ中のアラン・ドロンと共演相手のジョアンナ・シムカス

製作40周年記念版やオマージュ作品が作られるなど、長年にわたって支持されている名作。若くハンサムだが無鉄砲な性格のパイロット、マヌー・ボレリー役として出演。

あらすじ:中年の自動車技師ローラン(リノ・ヴァンチュラ)、若くてハンサムなパイロットのマヌー、駆け出しの女性彫刻家レティシア(ジョアンナ・シムカス)は、それぞれの夢を実現すべく支え合った。しかし、それぞれの夢は無残に砕かれた。一方で、コンゴの海に眠る財宝の噂を聞いた3人は、宝探しを始める。

『サムライ』(1967年)

主人公で「一匹狼」の殺し屋、ジェフ・コステロ役を演じた。本作でスクリーンデビューした当時の妻ナタリーは、ジェフの恋人ジャーヌ役で出演。

あらすじ:ナイトクラブ支配人殺しの依頼を遂行したジェフは、クラブ専属のピアニスト、バレリー(カティ・ロジエ)に顔を見られてしまう。警察の取り調べ対象となったジェフは犯人と断定されかけるが、唯一の目撃者であるバレリーは彼の犯行を否定する。一旦解放されたものの、ジェフは警察による尾行の対象となる。

『ボルサリーノ』(1970年)

1970年3月、プレミア上映会に姿を見せたアラン・ドロンとパートナーのミレーユ・ダルク。
1970年3月、プレミア上映会に姿を見せたアラン・ドロンとパートナーのミレーユ・ダルク。

3か月という短期刑を終えて出所したギャング、ロッコ・シフレディを演じる。アランは、本作において製作も担当している。1974年には、続編となる『ボルサリーノ2』が公開された。

あらすじ:短期刑を終えて出所したシフレディは、自分を密告した男が経営するバーを襲撃。その後「なじみの女」ことローラ(カトリーヌ・ルーヴェル)に会いに行くが、ローラを取り合ってカペラ(ジャン=ポール・ベルモンド)と殴り合いに発展。しかし、このケンカがきっかけで二人の友情が成立する。

『レッド・サン』(1971年)

アメリカ西部の強盗団ボスの相棒・ゴーシュを演じた。フランス映画界のスターであるアラン、ハリウッド映画界のスターであるチャールズ・ブロンソン、日本映画界のスター・三船敏郎が共演したことで知られる。

あらすじ:アメリカ西部にて日米修好の任務を帯びた日本国全権大使、坂口備前守(中村哲)と武士・黒田重兵衛(三船敏郎)らを乗せて走っていた列車が、リンク(チャールズ・ブロンソン)とゴーシュ率いる強盗団に襲撃された。ボスの座を狙っていたゴーシュは、大統領に献上する宝刀を奪ったのち、リンクを列車ごと爆破して殺害しようとする。

『パリの灯は遠く』(1976年)

「ヴェロドローム・ディヴェール大量検挙事件」という、実在の事件に基づいた作品。第二次世界大戦中のナチス占領下にあったパリで美術商を営むロベール・クラインを演じた。

あらすじ:美術商ロベールは、ユダヤ人が手放した美術品を安値で買い付けることで利益を得ていた。ある日、ユダヤ人の情報交換手段として秘密裏に用いられていた「ユダヤ通信」が届き、ユダヤ人ではないロベールは不安感と焦燥感に駆られた。同姓同名の別人と間違われたロベールは、自身の潔白を証明するために奔走する。

『危険なささやき』(1981年)

アラン・ドロンが初めて監督を務めた作品。主演はもちろん、製作も担当している。かつての敏腕刑事で現在は私立探偵事務所を営むシュカスを演じた。

あらすじ:シュカスが営む探偵事務所に、イザベル・ピゴ(アニク・アラーヌ)が失踪した娘の捜索依頼に訪れる。顔なじみの警察官・コシオリ(ダニエル・チェカルディ)から依頼料1,000フランで引き受けるように言われ調査を開始するシュカスだが、不審な出来事や事件が相次いで発生する。

「妻/子ども」の写真10選


アラン・ドロンは数々の恋愛遍歴の持ち主ですが、正式に結婚していたのは2021年に亡くなったナタリー・ドロンのみ。1964年に結婚し、1969年に離婚しました。ナタリーを含む複数の女性との間にもうけた子どものうち、アントニー・ドロン、アヌーシュカ・ドロン、アラン=ファビアン・ドロンは俳優として活躍しています。アランドロンは、遺書にて、遺産の半分を最愛の娘アヌーシュカに譲り、残りの半分を息子ふたりが折半するように遺言した、と報じられています。

ここでは、「妻/子ども」の写真をピックアップしてご紹介します。

1965年ごろ アラン・ドロンと妻ナタリー

1968年 イギリスで撮影されたナタリー

2014年5月 ナイトショーに出席するナタリー

パリで開催されたナイトショー「ミュグレーフォリー」に出席。
パリで開催されたナイトショー「ミュグレーフォリー」に出席。

2008年9月 息子のアントニー

第34回ドーヴィルアメリカ映画祭に出席
第34回ドーヴィルアメリカ映画祭に出席

2010年4月 ハリウッドで撮影されたアントニー

ハリウッドのアークライトシネマズで行われた『幸せがおカネで買えるワケ』のプレミア試写会に出席。
ハリウッドのアークライトシネマズで行われた『幸せがおカネで買えるワケ』のプレミア試写会に出席。

2022年5月 第75回カンヌ国際映画祭に出席するアントニー

『トップガン マーヴェリック』の上映に出席。
『トップガン マーヴェリック』の上映に出席。

2019年5月 娘のアヌーシュカ

第72回カンヌ国際映画祭に出席。
第72回カンヌ国際映画祭に出席。

2022年7月 ファッションショーに出席するアヌーシュカ

2017年8月 息子のアラン=ファビアン

2021年8月 アラン=ファビアン

第14回アングレームフランス語圏映画祭に出席。
第14回アングレームフランス語圏映画祭に出席。

「男前遍歴」15選


アラン・ドロンは「世紀の二枚目」と評されるほど端正なルックスで、世界中の女性を魅了しました。美男子としても名を馳せたアラン・ドロンの「男前遍歴」写真をピックアップしてご紹介します。

1958年ごろ(22歳ごろ)『恋ひとすじに』より

1959年ごろ(24歳ごろ)

1960年(24歳)『太陽がいっぱい』より

1963年1月(27歳)

1964年(28歳)『黒いチューリップ』より

1965年ごろ(30歳ごろ)

1966年(30歳)『テキサス』より

1970年ごろ(35歳ごろ)

1975年ごろ(40歳ごろ)

1977年ごろ(42歳ごろ)

1980年ごろ(45歳ごろ)

1983年ごろ(48歳ごろ)

1986年5月(50歳)

芸術文化勲章を授与。母親とのツーショット。
芸術文化勲章を授与。母親とのツーショット。

1988年ごろ(53歳ごろ)

1991年ごろ(56歳ごろ)

「現在」の写真5選


アラン・ドロンは2017年に引退を宣言。2019年5月に開催された第72回カンヌ国際映画祭への出席を最後に、表舞台から去っていきました。同年、スイスで病気療養していることが報じられていました。そして、2024年8月18日に訃報が届きました。家族に見守られ、安らかに息を引き取ったと報じられています。88歳でした。最後は引退直前の写真に加え、引退後に撮影された貴重なショットをご覧ください。

2019年3月(83歳)パリ・エリゼ宮殿での国賓晩餐会

フランスのエマニュエル・マクロン大統領と中国の習近平主席との国賓晩餐会に出席
フランスのエマニュエル・マクロン大統領と中国の習近平主席との国賓晩餐会に出席

2019年5月(83歳)第72回カンヌ国際映画祭

2019年5月(83歳)第72回カンヌ国際映画祭

レッドカーペットにて
レッドカーペットにて

2019年5月(83歳)パルムドール名誉賞のセレモニー

第72回カンヌ国際映画祭にて、娘のアヌーシュカからパルムドール名誉賞の記念品を受け取るアラン・ドロン。
第72回カンヌ国際映画祭にて、娘のアヌーシュカからパルムドール名誉賞の記念品を受け取るアラン・ドロン。

2021年9月(85歳)

フランスの代表的な俳優、ジャン=ポール・ベルモンドの葬儀に息子のアントニーと参列。
フランスの代表的な俳優、ジャン=ポール・ベルモンドの葬儀に息子のアントニーと参列。

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