目次
内藤町の場所は?「最寄り駅」と「地図」
内藤町の「場所」
現在の内藤町の大部分は広大な新宿御苑が占めています。住宅街になっているのは新宿御苑の東側と、外苑西通りに沿った限られた範囲。そのため物件は希少性が高く、価格ともども、手に入りにくくなっています。
内藤町の「最寄り駅」
東京メトロ丸ノ内線の「四谷三丁目駅」や「新宿御苑前駅」などが最寄り駅です。そのほか、都営大江戸線の「国立競技場駅」、JR中央・総武線の「千駄ケ谷駅」なども利用できます。また、都営地下鉄新宿線や東京メトロ丸ノ内線、副都心線の通る「新宿三丁目駅」からも歩くことができます。
内藤町の「地図」
内藤町の「由来」と「歴史」
「由来」
「内藤町」は、この場所が江戸時代に信濃国高遠藩(現在の長野県伊那市高遠町)の内藤家の拝領地だったことに由来しています。
「歴史」
内藤町の歴史は、その大部分を占める新宿御苑の歴史とともにあります。天生18年(1590年)に豊臣秀吉から関八州を与えられた徳川家康は江戸城への入城が決定すると、腹心の部下であった内藤氏に命じて密使を送り、四谷周辺を調べさせました。その功績と、江戸城西側の交通要所を守る目的で、2代内藤清成に下屋敷として与えられた場所が新宿御苑のある場所です。のちの甲州街道や青梅街道になる江戸から西にのびる街道と、鎌倉街道が交差する要所であったことから、この一帯の警護など軍事的な目的があったとされています。
明治5年(1872年)、内藤家の屋敷地を大蔵省が買収しました。そして、ここに農業試験場を作りました。野菜や果樹の栽培、養蚕などの研究が行われました。明治12年には、宮内省に移管され、「植物御苑」と名付けられ、温室や西洋式の庭園が造られました。明治39年(1906年)に「新宿御苑」と呼ばれるようになります。大正年間には西洋庭園が9ホールのゴルフコースとしても利用されていたようです。戦後になって東京都へ移管され、一般の解放されるようになりました。
内藤町の「魅力」
■1: 新宿御苑が近い
新宿御苑は、58.3ヘクタール、周囲3.5kmの大きな庭園です。現在の大木戸門を入った突き当りにある日本庭園は、安永元年(1772年)に玉川上水の余水を利用して完成した内藤家の庭園の一部です。
桜の時期は花見の名所として有名。約1000本の桜が、春になると咲き誇ります。秋になるとイチョウやカエデなど紅葉も見応え十分。春と秋に咲くバラ園もあり、四季折々の花々が鑑賞できます。広い芝生があり、新宿御苑内は夏でも涼しい場所です。
■2: 新宿駅が近い
元禄12年(1699年)に宿場「内藤新宿」が設けられました。ちょうど、現在の新宿御苑の北側あたりです。新宿と呼ばれるようになったのは、大正9年(1920年)のことだそう。明治時代になると新宿駅ができて、賑やかさは現在の新宿駅周辺へと移り変わっていきました。時代を経て新宿は発展し続けます。現在の新宿駅は、12の路線が乗り入れるターミナル駅です。なかでも、小田急線や京王線は、新宿駅を起点に運行しています。
また、伊勢丹 新宿店、小田急百貨店 新宿店、京王百貨店 新宿店、新宿高島屋、新宿マルイ、ルミネ新宿などたくさんの百貨店が集まっています。
■3: 図書館や病院も近い
新宿御苑の北東にある大木戸門を出るとすぐに、「四谷区民センター」があり、建物内には区民ホールや四谷図書館も設けられています。
区民センターから外苑西通りの西側を沿う細い道を南へと進むと、「多武峯内藤神社」があります。ここは内藤家の先祖である藤原鎌足を祀る神社です。この辺りには、高級マンションが並んでおり、人気の高い場所です。近くには、慶應義塾大学病院があります。高度医療を提供する「特定機能病院」です。
内藤町の中で住宅街になっているのは、新宿御苑の東側と、外苑西通りに沿った区域。限られた範囲にある物件です。「新宿御苑」という大きな公園にも近く、江戸時代から交通の要であった「新宿」にも近いのでアクセスも抜群。高級住宅街「内藤町」の人気が高いのもうなずけます。
- TEXT :
- Precious.jp編集部
- PHOTO :
- AC,Getty
- WRITING :
- 柳堀栄子