【目次】

奥沢ってどこにあるの?「場所」

奥沢2丁目あたりの高級住宅街。一戸建てが多く、その宅地内には庭木があり、素敵な植栽が植えられている。
奥沢2丁目あたりの高級住宅街。一戸建て住宅が多く、その宅地内には素敵な庭木が植えられている。

広い世田谷区の東南端に位置している奥沢。奥沢の北側には目黒区「自由が丘」が、そして南側には大田区の「田園調布」があります。ふたつの著名な高級住宅街に挟まれている奥沢は、それらに比べてアットホームで穏やかな空気感があるのが魅力です。奥沢1丁目から8丁目まであり、東は東急大井町線の緑が丘駅から、西は九品仏駅の辺りまで横に広がっています。また、奥沢1丁目から3丁目、その南にある世田谷区東玉川1丁目と2丁目を合わせて奥沢地区とも呼ばれています。

奥沢の「最寄り駅」

東急大井町線奥沢駅前噴水広場。レトロな外観の「サンケイプラザ」という商業施設が駅前にあり、区民センターや図書館などが入る。
東急目黒線奥沢駅前の噴水広場。レトロな外観の「サンケイプラザ」という商業施設が駅前にあり、区民センターや図書館などが入る。

実は、奥沢はさまざまな路線に挟まれた交通の便がよい場所です。 まず、奥沢1丁目・3丁目と、2丁目の間を東西に通るのが東急目黒線。この路線には、23区内では珍しいレトロな雰囲気の「奥沢駅」があります。そのほかには、 東急大井町線と東急東横線の通る「自由が丘駅」や、東急大井町線の通る「緑が丘駅」と「九品仏駅」、東急東横線と東急目黒線の通る「田園調布駅」も徒歩圏内です。自由が丘駅から乗車できる東急東横線は、みなとみらい線や東京メトロ副都心線と相互直通運転をしています。

また、2023年3月18日には東急電鉄と相模鉄道が直通する相鉄・東急新横浜線が開業。東急東横線・目黒線は「日吉駅」から「新横浜駅」を通って相鉄線「西谷駅」までつながりました。乗り入れ線も増え続けており、乗り換えなしでいろいろな場所に行くことができます。

奥沢の「地図」

奥沢の「歴史」と「由来」

大正時代まで、この辺りは水が湧き出る湿地や田んぼの広がるのどかな田園地帯でした。移住する人が増えたのは大正12(1923)年の関東大震災のあと。「郊外へ住みたい」と下町から人が流れてきました。そして鉄道の開通と共に住宅地へと変わっていきます。東京近郊で行われた宅地造成工事で最大規模を誇ったのが「玉川全円耕地整理」です。その組合である「玉川全円耕地整理組合」が大正14(1925)年に設立されたのち、いち早く着工できたのが奥沢を含む玉川村の東部地区でした。この辺りは先に開発が進んでいた田園調布にも近く、耕地整理への機運が高い地域でした。「玉川全円耕地整理」は、昭和3(1928)年に着工し、およそ30年をかけて昭和29(1954)年に完了しました。

現在の地図を見ると、奥沢は碁盤の目のように道路がきれいに組まれています。なかでも奥沢駅前から東南方向にある奥沢子安公園方面へ斜めに延びる道「道祖神通り」が特徴的ですが、この碁盤の目のような道路も、斜めの道も耕地整理のときに整備されました。

駅に向かって斜めに延びている通称道祖神(どうそじん)通り。正面の建物が奥沢駅。直角に区画された区画に斜めに通る道が重なり、独特な街並みが形成されている。
駅に向かって斜めに延びている通称「道祖神通り」。真っ直ぐ進むと奥沢駅に。直角の区画に斜めに通る道が重なり、独特な街並みが形成されている。

大正期から昭和初期にかけて有力地主の所有地が多い奥沢2丁目は、それが海軍関係者などに賃貸されていたために「海軍村」と呼ばれていました。奥沢は海軍省のあった虎ノ門と、軍港のある横須賀の中間にあって利便性のよい場所でした。

奥沢2丁目には、「海軍村」当時の面影を残す昭和初期の住宅も残されている。
奥沢2丁目には、「海軍村」当時の面影を残す昭和初期の住宅も残されている。

奥沢7丁目にある九品仏浄真寺(九品山唯在念佛院淨眞寺)は歴史が古く、もともと中世の世田谷領主・世田谷吉良氏の奥沢城があった場所です。境内には古木がたくさんあり、なかには推定樹齢が700年以上というものも。寺の創建は延宝6(1678)年で、「江戸名所図絵」にも描かれています。堂塔の配置は当時と今とで、ほぼ変わりがないそう。寺域全体が極楽浄土の様相にかたどられています。

九品仏浄真寺にある仁王門。こちらは寛政5(1793)年の建立だ。風神・雷神の像もある。
九品仏浄真寺にある仁王門。こちらは寛政5(1793)年の建立。左右に金剛力士像、裏側には風神雷神像が安置されている。

奥沢の「由来」

自由が丘駅周辺の九品仏川。自由が丘駅に近いが、この辺りの住所は奥沢。九品仏川は暗渠化され緑道になっている。
自由が丘駅周辺の九品仏川緑道。自由が丘駅のすぐ南側にあってこの辺りの住所は奥沢。

この地に奥沢という名前が付けられた由来には、世田谷区、目黒区、大田区の3つの区をまたがって流れている「呑川」という川が関わっているようです。呑川は世田谷区新町辺りから始まり、九品仏川や洗足池からの流れが各地で合流して東京湾に注いでいますが、この呑川の下流方向から見て「奥深い沢地」という意味で、「奥沢」という地名になったという説があります。九品仏川と合流する地点より上流の呑川は、現在は暗渠化されています。また、九品仏川じたいも暗渠化され、遊歩道となっています。

明治22年に、奥沢・尾山・等々力・下野毛・上野毛・野良田・用賀・瀬田の8村が合併して玉川村が成立します。そして、奥沢村は玉川村大字奥沢となりました。昭和7年に世田谷区が成立し、昭和45年の住居表示の実施で奥沢は1〜8丁目に区画され現在に至ります。

奥沢の3つの「魅力」

■1:おいしいカフェ巡りができます

実は、奥沢はコーヒーショップ激戦区なんです。奥沢駅周辺の商店街沿いには、こだわりのコーヒー焙煎機を置いたお店が複数あります。自由が丘の隣に位置し、気軽に歩ける距離にある奥沢は、おしゃれなお店や個性的なお店が多く、お散歩の楽しいエリアです。

奥沢3丁目にある「木曜日のやきいもとコーヒー」。週末まであとちょっとをコンセプトにおいしい焼き芋とコーヒーを提供するお店。
奥沢3丁目にあるカフェ「木曜日のやきいもとコーヒー」。週末まであとちょっとをコンセプトにおいしい焼き芋とコーヒーを提供する。
奥沢4丁目にある「KUZUNERUYA」では吉野本葛を使用した葛餅や葛湯が堪能できる。
奥沢4丁目にある「KUDZUNERUYA」では吉野本葛を使用した葛餅や葛湯が堪能できる。

■2:住宅街には緑が多く、歩いているだけで癒されます奥沢1丁目周辺の住宅街。道路幅も広く車移動もしやすい。高木が住宅街の所々に残されていて緑を感じる。

奥沢1丁目周辺の住宅街。道路幅も広く車移動もしやすい。高木が住宅街の所々に残されていて緑の爽やかさを感じる。

奥沢1丁目から3丁目界隈は 「奥沢1~3丁目等界わい形成地区~みどりと人がつなぐおくさわの風景づくり~」に指定されていて戸建て住宅を含む建築物などに細やかな基準があります。そして、建物の色彩を落ち着いた色味にする、敷地の道路に面する部分を緑化する、などの奥沢の風景を守る取り組みが進められています。そのため、それぞれの住宅の庭先に植えられた緑がつながって見え、通りを歩いていてとても気持ちのよい住宅街です。

九品仏浄真寺の参道に並ぶ木々は見事。寺内には、東京都の文化財に指定された9品の阿弥陀佛が安置されている。
九品仏浄真寺の参道に連なる木々は見事。寺内には、東京都の文化財に指定された9体の阿弥陀如来坐像が安置されている。

また、前述の九品仏浄真寺内に入ると大きな木々や緑に圧倒されます。まるで京都や鎌倉を訪れたかのような静寂な空間に心が洗われるような気持ちに。秋には木々の葉が赤や黄色に色づき、絶景に癒されます。

■3:車での移動も便利な位置にあります

自由通り
自由が丘へと向かう自由通り。奥沢駅から九品仏川緑道に向かって緩やかな下り坂になっている。

また、車での移動も便利です。奥沢エリアの南側には環八通りが通り、北側には目黒通りが通っています。そして、奥沢の中心を南北に走っているのが自由通りで、自由が丘と雪が谷大塚を結びます。第三京浜道路や東名高速、首都高速にも環八通り経由でアクセスできるので車で遠出をするにもうれしい場所にあります。

***

自由が丘まで徒歩圏内にある奥沢は、自由が丘の雰囲気に影響を受けながらも、自然豊かな落ち着いた住環境を保っていてとても魅力的に感じました。カフェ巡りをしたり、歴史のある寺で自然を満喫したり、自由が丘にショッピングに出かけたり、さまざまな楽しみ方ができるこの場所に暮らしてみたら、充実した毎日が過ごせそうです。

参考:世田谷区ホームページ
   世田谷の土地〜絵図と図面を読み解く〜(世田谷区立郷土資料館)
   九品山唯在念佛院淨眞寺
   奥沢本町商店会
この記事の執筆者
Precious.jp編集部は、使える実用的なラグジュアリー情報をお届けするデジタル&エディトリアル集団です。ファッション、美容、お出かけ、ライフスタイル、カルチャー、ブランドなどの厳選された情報を、ていねいな解説と上質で美しいビジュアルでお伝えします。
PHOTO :
AC,柳堀栄子
WRITING :
柳堀栄子