【目次】

久が原ってどこにあるの?「場所」

久が原の北東部には呑川が流れています。呑川は、世田谷区から目黒区を通って大田区を流れ東京湾に注ぎます。
久が原の北東部には呑川(のみがわ)が流れている。呑川は、世田谷区から目黒区を通って大田区を流れ東京湾に注ぐ。

東京都大田区久が原は、武蔵野台地の突端にある「久が原台」と呼ばれる台地にある高級住宅街です。大田区の北西部にあり、川崎や横浜にも近い位置です。久が原の西側には環状8号線が、東部には五反田から神奈川県境の多摩川までを結ぶ第二京浜(国道1号)が通っています。幹線道路に挟まれた高級住宅街ですが、久が原の住宅地内は車通りも少なく、とても静かな環境が整っています。

そして、エリアの北側には湘南新宿ラインや横須賀線などの通るJR線路があり、南東は大田区池上に、南側は大田区千鳥に接しています。

久が原の「最寄り駅」

東急池上線「久が原駅」。3両編成の短い電車が通る。
東急池上線「久が原駅」。駅前には商店街があり買い物には困らない。

久が原の地区内には駅はありませんが、エリアの一部は東海道新幹線の線路に接していて、最寄り駅としては、東急池上線の「御殿山駅」「久が原駅」「千鳥町駅」が使えます。

五反田駅前には飲食店が並ぶ。「五反田駅」から東京の玄関口でもある「品川駅」まではJR山手線で6分程度です。
五反田駅前には飲食店が並ぶ。「五反田駅」から東京の玄関口でもある「品川駅」まではJR山手線で6分程度。

東急池上線は、「五反田駅」から出発して「蒲田駅」までを結んでいます。ローカルなイメージが強い電車ですが、通勤時間帯は本数も多く利用しやすい路線です。「久が原駅」から15分程度で到着する「五反田駅」では、都営浅草線やJR山手線に乗り換えることができます。東急池上線からJR山手線への乗り換えもスムーズです。また、「久が原駅」から10分程度の「旗の台駅」では、東急大井町線に乗り換えることもできます。

久が原の「地図」

久が原の「歴史」と「由来」

東京では、農業用地の利用促進を目的に、明治42年以降から耕地整理が始まりました。これまで農地だった土地が宅地化され、大正から昭和初期にかけて耕地整理事業地域への人口の流入が進みます。

「久が原」の住宅地はどこまでも真っ直ぐな道が特徴です。
「久が原」の住宅地は直線道路が長い。

久が原地区は、もともとは農村でした。そして、大正12年の関東大震災(大正12年)の影響を受けて郊外住宅の需要が拡大した際に、宅地化が進められました。大正15(1926)年に発足した「池上西部耕地整理組合」により、久が原地区が開発された当時、田園調布の開発に続いたため、ここは「新田園調布」とも称されたそうです。耕地整理が終了したのは昭和12年。区画が碁盤の目のように整然としているのが特徴です。昭和2(1927)年の土地区画整理事業中には、久が原4〜6丁目で弥生時代後期の竪穴住居跡と弥生土器が発見され、この遺跡は「久ヶ原遺跡」と呼ばれています。

久が原の「由来」

東部八幡神社の拝殿は文久2(1862)年に建てられたそうで、江戸末期の神社建築です。
東部八幡神社の拝殿は文久2(1862)年に建てられた江戸末期の神社建築。

久が原の地名の由来はいまだ定まっていないそう。かつては「久我原」や「久ケ原」と表記されることも多かったようです。

江戸時代には、「久ヶ原村(久我原村)」が東の「馬込領久ヶ原」と西の「六郷領久ヶ原」のふたつの村に分かれました。そして「馬込領久ヶ原」の鎮守が、上の写真の「東部八幡神社」(久が原2丁目)です。一方、久が原4丁目の高台には「西部八幡神社」があります。こちらの神社が、「六郷領久ヶ原」の鎮守でした。このふたつの村は明治5(1872)年に再度合併されて「久ヶ原村」となりました。

久が原の3つの「魅力」

■1:東京23区内では珍しい、まっすぐな道路があります

久が原の住宅地
久が原の住宅地を歩いていると、青い空が広々と見える。

平坦な場所で、これだけビシッと真っ直ぐな道で、さらに道路幅が7メートルある住宅地というのは、東京都内で探してもなかなか見つけることができません。久が原エリアは高さ制限が10メートルに指定された第一種低層住居専用地域も多く、高い建物がないので街なかに圧迫感がないのも魅力。一戸建てに住み、静かにゆったりと暮らすには最適な場所です。

■2:太古から人々の生活が営まれていた場所です

「久原(くがはら)小学校」は昭和26年まで「きゅうげん」と読まれていた。
写真左手にある「久原(くがはら)小学校」は昭和26年まで「きゅうげん」と読まれていた。

海や川が近くにあり、そして地盤が硬いといわれる久が原台地では、縄文・弥生土器などが数多く発掘されています。そう、太古から人々の生活が営まれている場所だったんです。久が原4丁目にある「久原小学校」内には、関東ローム層の地層があります。現在の地面より約6メートル下まで発掘調査をしたところ、旧石器時代・約2万年前の焼礫(調理などを行なった跡)と剥片(石器製作の時に生じた石の破片)が発見されました。こちらは、現在、大田区最古の遺跡です。

現在は宅地化が進み、遺跡を見ることはできません。出土した資料は南馬込にある郷土博物館に保管されています。
現在は宅地化が進み、遺跡を見ることはできないが、出土した資料は南馬込にある大田区郷土博物館に保管されている。

そして、久が原台地南部にあたる久が原4〜6丁目には、旧石器時代から中世までの複合遺跡「久ヶ原遺跡」が見つかっています。この辺りには、弥生時代後期に大集落があったとか。多くの住居跡と弥生土器が発見され、住居跡からは炭化したコメや木器なども見つかりました。米作りの村だったようです。近くで縄文時代の貝塚も発見されていることから、台地の辺縁部まで海が入り込んでいたことがわかります。水に恵まれて地盤も強固なこの台地では、大昔から人々の豊かな暮らしがありました。

■3:羽田空港にアクセスしやすい場所です

第二京浜
第二京浜は西五反田から桜田通りとなり日本橋方面へと向かうことができる。

住宅地のすぐそばには、第二京浜と環状8号線が通っており、都心へのアクセスもスムーズ。また、羽田空港までも車で25分程度と近い距離にあるのも魅力的です。新幹線の停車駅である品川駅も車で25分程度、電車なら東急池上線と山手線を乗り継いで25分程度で到着できます。久我原は、国内外への移動の多い人にとって、とても便利な場所と言えそうです。

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久が原を歩いていたら、高い建物がないためか、青い空がどこまでも広く感じました。さすが、古代から人々がこの場所に好んで住んでいたというだけあって、日当たりもよい高台にありながらも歩きやすい平坦な道が続きます。車の駐車が苦手な人でも家の前にこれだけの幅のある道路なら安心です。もちろん、駅前には商店街があるので買い物環境も困りません。このエリアに住んでみたら、ゆったりした生活ができそうです。

参考:大田区ホームページ
   大田区歴史散策ガイドブック(池上、久が原編)
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PHOTO :
AC,柳堀栄子
WRITING :
柳堀栄子