【目次】

山王ってどこにあるの?「場所」

高台にある山王は階段や坂道の多いエリア。
高台にある山王は階段や坂道の多いエリア。

大田区の高級住宅街として、田園調布と並んで称されている「山王」。知名度は田園調布のほうが高いですが、高級住宅街としての歴史は「山王」のほうが長いのです。「山王」は武蔵野台地の東端に位置し、1〜4丁目まであります。最寄り駅は、京浜東北・根岸線沿いの「大森駅」です。そして、「大森駅」の西側には南北に「池上通り」が通っています。この「池上通り」の西側辺りから、さらに西側を南北に通る環状7号線までが山王エリアです。ちなみに、「山王」の北側は品川区西大井・大井に接しています。

ジャーマン通り
赤レンガの道が美しい「ジャーマン通り」。写真右手には大田区立山王小学校がある。ここはかつて明治の政治家・井上馨の別荘地だった。

「山王」エリアの北側には「ジャーマン通り」という池上通りと環状7号線を結ぶ通りがあります。これは、大正14(1925)年、この通り沿いに関東大震災により移転した「ドイツ学園(現在の東京横浜独逸学園)」が設立されたことに由来します。

西口駅前には高層ビルが立ち並ぶ
大森駅東口駅前は高層ビルが多く、数多くの飲食店が並ぶ。

「大森駅」の駅前には複合商業施設「アトレ」や、たくさんの飲食店などが軒を連ねる賑やかな雰囲気の商店街があります。

高台にある住宅街には素敵な一戸建てが並ぶ。
「山王」の高台にある住宅街には、かつて政治家や実業家が住まいを構えたという。

大森駅西口のすぐ近くではあるものの、高台にある「山王」は駅前の賑やかな雰囲気から一転し、一戸建て住宅が並ぶ閑静な住宅街です。

山王の「最寄り駅」

大森駅東口。大森駅には150年近くの長い歴史がある。
大森駅東口。大森駅には150年近くの長い歴史がある。

山王の最寄り駅は「大森駅」です。「大森駅」には、埼玉県の「大宮駅」から東京都を通って、神奈川県の「大船駅」までを結ぶ京浜東北・根岸線が通っています。「品川駅」からは2駅ほどの距離にあります。

日本最初の鉄道が通ったのは、現在の京浜東北・根岸線が通る新橋〜横浜間で、明治5(1872)年のこと。そのころから大森駅には鉄道工事作業員用の詰め所や臨時の停車場があり、その約4年後には、旅客用の駅として開業しました。歴史の古い駅なんです。また、大森駅東口から東京湾の方へ徒歩で10分ほどの距離には、京急本線の「大森海岸駅」があります。

山王の「地図」

山王の「歴史」と「由来」

とても立派な大森貝塚の発掘記念碑は、京浜東北・根岸線の線路沿いにある。
とても立派な大森貝塚の発掘記念碑「大森貝墟碑」は、京浜東北・根岸線の線路沿いにある。

大森といえば、明治10(1877)年にアメリカの動物学者、エドワード・S・モース博士が横浜から新橋へと向かう鉄道の車窓から発見したという「大森貝塚」が有名です。「大森貝塚」は日本で最初に科学的な発掘調査が行われた遺跡のため、大森は「日本考古学発祥の地」ともいわれています。この貝塚は縄文時代後期から晩期にかけて形成され、土器なども出土しています。かつてこの辺りまで海があり、人々は小さな集落を作ってこの自然豊かな場所で暮らしていたようです。ちなみに、現在、「大森貝塚」にまつわる石碑は2か所あり、ひとつはのちほど紹介する「大森貝塚遺跡庭園」(品川区大井6丁目)、もうひとつが、この「大森貝塚碑」(大田区山王1丁目)です。

中世の道路跡は写真左手の山王1丁目付近で発見された。
中世の道路跡は、大森貝塚の近く、写真左手の山王1丁目付近で発見された。写真正面の真っ直ぐのびる道が「ジャーマン通り」。

また、平成13(2001)年、池上通り(バス通り)に沿って中世の道路跡や室町時代の土器が発見されました。その路面下からは奈良時代の須恵器(すえき)も出土しています。そのことから、この道路跡が古代東海道に関連しているともいわれています。歴史のロマンを感じ取れるのが山王に住む魅力のひとつです。

池上通りから明治時代にあった遊園地「八景園」へと続く坂道。昼間でも暗かったことから「闇坂」と呼ばれている。
池上通りから明治時代にあった遊園地「八景園」へと続く坂道。昼間でも暗かったことから「闇坂(くらやみざか)」と呼ばれている。

山王の高台は大森海岸を見下ろせる風光明媚な場所でした。明治5年に日本で最初の鉄道が開通し、明治22年には東京と神戸を結ぶ東海道線が全線開通します。そして、大森は楽しい行楽地へと進化していきました。明治17年には、実業家の久我邦太郎が土地を開発することを目的に八景坂上の畑地などを買い取って遊園地「八景園」を開園させました。

山王2丁目にある「八景園地域安全センター」。八景園という名はこの辺りから美しい景色が見渡せたことから名付けられたそう。
山王2丁目にある「八景園地域安全センター」。八景園という名はこの辺りから美しい景色が見渡せたことから名付けられたそう。

遊園地といっても、「八景園」はジェットコースターや観覧車などの乗り物がある「遊園地」ではなく、梅や桜の木を植えて美しい景色を作り、約50坪のかやぶき屋根の料理屋「三宜楼」を開業させたもの。この料理屋は明治30年には廃業してしまいましたが、その後も「八景園」は、眺望のよい行楽地として人気がありました。明治35年には明治天皇の皇后(のちの昭憲皇太后)も行啓したそう。

久我邦太郎は、明治24年頃に大森本町1~2丁目辺りの海岸(現在の大森海岸駅周辺)に東京初の海水浴場「大森(八幡)海岸海水浴場」も開設しました。こちらも東京の近郊という立地により、多くの人が訪れたのだとか。

大森テニスクラブは大森駅から徒歩5分程度の高台にある。
「大森テニスクラブ」は大森駅から徒歩5分程度の高台にある。

明治22(1889)年から昭和12(1937)年ごろまで、山王2丁目辺りには本郷から移転してきた射的場(大森射的場)がありました。敷地は約1万5千坪ほどあったようです。その後、敷地内にテニスコートが作られ、大正12年には「大森庭球倶楽部」が開設されます。周囲が宅地化されたことにより、昭和12年に射撃場のみ横浜の鶴見へと移転。テニスコートは現在も「大森テニスクラブ」として使われています。

大田区山王3丁目にある「区立山王公園」。この場所に「旧大森ホテル」があった。そのすぐ近くに「望翠楼ホテル」もあったという。
大田区山王3丁目にある「区立山王公園」。この場所に「大森ホテル」があった。そのすぐ近くに「望翠楼ホテル」もあった。

大正1年、現在の山王3丁目に「望翠楼(ぼうすいろう)ホテル」がオープン。大正11年にはそのすぐ北側に「大森ホテル」が完成します。このふたつのホテルの創設により、山王は内外要人の社交場として人気を集めることに。そして、政財界人や文化人、軍人や外国人が敷地を所有するようになり、高級住宅街となりました。

山王の「由来」

大森山王日枝神社は山王1丁目にある。
大森山王日枝神社は山王1丁目にある。

江戸時代、この辺りは「新井宿」と呼ばれていました。それが「山王」となったのは、「大森山王日枝神社」にあると言われています。大森山王日枝神社は、地域の人たちに「大森の山王さま」と呼び親しまれている神社で、新井宿村の名主で「新井宿義民六人衆」のひとりでもある酒井権左衛門が山王権現を祭祀させたのが始まりと言われています。

「新井宿義民六人衆」とは、延宝年間(1673〜1681年)に、領主木原氏の厳しい年貢の取り立てに耐えかねて、幕府に直訴することを計画した村役人6人のこと。しかし、直訴する前に事前に役人に知られてしまい、延宝5年に全員が斬罪に処せられました。山王3丁目にある「善慶寺」は義民六人衆霊場でもあり、ひっそりと彼らの墓が残されています。

山王の3つの「魅力」

■1:創作活動に適した自然豊かな環境がありました

馬込文士村
馬込文士村に住んだ代表的な作家は、尾﨑士郎、宇野千代、川端康成、室生犀星、萩原朔太郎など。

大正末期から昭和戦前期にかけて、現在の大田区山王・馬込一帯に文士や画家が多く移り住み、いつしか「馬込文士村」と呼ばれるようになりました。上でも紹介した「望翠楼ホテル」では画家たちの展示会「木原会」が開催され、これを引き継いで「大森丘の会」が発足。馬込に住む文士や画家たちの和やかな交流が盛んに行われるようになり、各地から多くの芸術家が集まるようになりました。彼らは宅地化が進むなかで、まだ田園風景の残されたこの地を好んで住んでいたそう。今も感じられる、そんなアカデミックな雰囲気は、山王の魅力のひとつです。

山王1丁目にある「尾﨑士郎記念館」。尾﨑の旧居が復元されている。
山王1丁目にある「尾﨑士郎記念館」。尾﨑の旧居が復元されている。

大正12(1923)年、『人生劇場』で知られる作家の尾﨑士郎は、作家の宇野千代と新婚生活を送るために馬込村中井(現在の南馬込) に居を構えました。一時的な転居を除き、尾﨑は馬込を中心として隣接した山王や新井宿などで作家生活を送ったそう。尾崎は多くの文士仲間を自宅に呼び、文士村の中心人物となりました。

「山王草堂記念館」には徳富蘇峰の旧宅の一部や書斎部分が保存され、原稿なども展示されている。
「山王草堂記念館」には徳富蘇峰の旧宅の一部や書斎部分が保存され、原稿なども展示されている。

同じく山王1丁目、尾﨑士郎記念館の近くには「山王草堂記念館」があります。ここには、 日本で最初の総合雑誌『国民之友』を創刊、全100巻の『近世日本国民史』を刊行したジャーナリスト・徳富蘇峰(とくとみそほう)の旧宅が保存されています。

■2:大森周辺にはのんびり過ごせる公園も充実

大きな公園が近くに複数あるので、ファミリー層にもうれしい環境です。いくつかご紹介しましょう。

■大森貝塚遺跡庭園

山王のすぐお隣は品川区。池上通り沿いの品川区大井6丁目には「大森貝塚遺跡庭園」があります。貝塚の標本などもあり、縄文時代や大森貝塚について学べる公園です。

大森貝塚遺跡公園
大森貝塚遺跡公園は大森駅北口から5分ほどの距離にある。

■しながわ区民公園

品川区勝島3丁目にはとても大きな「しながわ区民公園」があります。勝島運河を埋め立てて造られた公園で、園内には桜の広場やスポーツ施設があります。敷地内にある「しながわ水族館」も子どもたちに大人気です。

しながわ区民公園には芝生広場やふわふわドームなどの多彩な遊具、泥遊びなどができる森の冒険広場がある。
しながわ区民公園には芝生広場やふわふわドームなどの多彩な遊具、泥遊びなどができる森の冒険広場がある。

■平和の森公園

しながわ区民公園の南側、大田区平和の森公園2丁目にはフィールドアスレチックのある「平和の森公園」があります。こちらの公園も自然が豊かで広大です。

大田区平和の森公園は自然に恵まれた公園で、40種類の遊具がある。
大田区平和の森公園は自然に恵まれた公園で、40種類の遊具がある。

■3:駅前の買い物環境が充実しています

大森駅東口だけでなく西口にも商店街が広がる。
大森駅東口だけでなく西口にも商店街が広がる。

大森駅東口にある「アトレ大森」は駅に直結している大型の複合商業施設で、スーパーマーケットの東急ストアやスターバックスコーヒー、KALDI、さらには書店や惣菜店などお店の種類は多彩です。また、西口駅前の池上通り沿いには商店街があり、こちらにもスーパーマーケット、薬局などが揃っています。東口にも昔ながらの商店街があり、個性豊かな飲食店が豊富。大森駅周辺には、普段使いに便利な買い物環境や食事処がしっかりと整っているのも魅力です。

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高級住宅街「山王」は、遡ること縄文時代から人々の暮らしの歴史があり魅力のつまった場所です。品川駅から2駅という好立地で、駅前には商店街や大型の複合施設があり、買い物環境も抜群にいい。でも、駅前の喧騒から離れた高台にある山王には、とても静かで高級感のある住宅地が整っています。かつて政治家や文士、芸術家たちが住まいを構えたというのも納得の立地。ここに住んだら、その便利さから離れられなくなりそうです。

参考:大田区ホームページ
   『大田区歴史散策ガイドブック(大森、山王編)』
   『大昔の大田区(原始・古代の遺跡ガイドブック)』大田区立郷土博物館
   大森テニスクラブ
   山王草堂記念館
   尾﨑士郎記念館
   善慶寺
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PHOTO :
AC,柳堀栄子
WRITING :
柳堀栄子