【目次】
- 南荻窪ってどこにあるの?「読み方」「場所」「最寄り駅」
- 南荻窪の「歴史」と「由来」
- 住みやすさは?南荻窪の「魅力」
南荻窪ってどこにあるの?「読み方」「場所」「最寄り駅」
南荻窪の「読み方」
東京都杉並区の中央に位置する「南荻窪」は「みなみおぎくぼ」と読み、1丁目から4丁目まであります。
南荻窪の「場所」、新宿までの距離は?
南荻窪があるのは、JR中央・総武線の通る「荻窪駅」の南側。都心に近く、荻窪駅から新宿駅まではJR中央線快速で10分程度。通勤や通学にも便利な場所です。
位置をイメージしていただくために、まずは最寄り駅の荻窪駅周辺の町名をご紹介しましょう。駅北口から出ると、杉並区上荻(かみおぎ)、駅南口を出ると、杉並区荻窪です。そして、環八通りを隔てて西側が南荻窪です。荻窪の西側に南荻窪があるのは、ちょっと紛らわしいかもしれませんね。
そして、その南荻窪は、荻窪駅から徒歩10分程度の高台にあります。環八通りを隔てていることもあって、駅前の喧騒からは想像できないほど、静かな住環境が整っており、高級住宅街の名にふさわしい豪邸が建ち並んでいます。そして、緩やかな坂を下ると善福寺川が流れいます。
南荻窪の「最寄り駅」
最寄り駅である荻窪駅はJR中央・総武線と東京メトロ丸ノ内線の2路線が通っています。JR中央線の快速電車は休日になると停車駅が減ってしまうのですが、荻窪駅は休日も快速が停車します。快速を使えば、東京駅まで乗り換えなしで25分程度で到着できます。渋谷駅へは、新宿駅でJR山手線に乗り換える必要がありますが、こちらも25分程度。新宿駅では、山手線のほかに、京王線や小田急小田原線、都営地下鉄新宿線・大江戸線など複数の路線が利用できます。東京メトロ丸ノ内線は荻窪駅が始発駅なので座って通勤することも可能。丸ノ内線を使うと銀座駅までは乗り換えなしで30分程度です。
南荻窪の「地図」
南荻窪の「治安」は?
杉並区は東京23区の中でも犯罪が少なく、治安がよいといわれています。警視庁が発表した令和4年の杉並区「罪種別及び手口別認知件数」では、南荻窪1~4丁目の合計で22件と、杉並区の中でも少なめ。ちなみに同年の荻窪1~5丁目では85件、上荻1〜4丁目では105件です。荻窪や上荻に比べても犯罪は少なく、街中の安全性は高いと言えるでしょう。
南荻窪の「歴史」と「由来」
南荻窪の「歴史」
のどかな農村地だった荻窪周辺に「甲武鉄道」(現在のJR中央線)が新宿〜八王子間で開通したのは明治22(1889)年のこと。明治24年には「荻窪駅」ができました。当時は、美しい自然に恵まれた環境に惚れ込んだ政治家や学者、医師などの別荘地として好まれたそう。
善福寺川を一望できる高台で、富士山も見えたこの辺りを気に入ったのが、医師で東京帝国大学医科大学(現在の東京大学医学部)教授や、大正天皇の侍医頭を務めた入澤達吉氏です。入澤氏は土地を購入し、昭和2(1927)年、自身が休日を過ごすための別荘を建てます。別荘建築の指揮をしたのは、 築地本願寺などを設計した建築家の伊東忠太氏。伊東氏は建築史の研究を行う日本最初の建築史家としても有名です。昭和11年になると入澤氏は現在の文京区本駒込にあった本邸を売却してこの別荘を本邸とし、 建物を「楓荻荘(ふうてきそう)」、建物を含めた一連の敷地を「楓荻凹處(ふうてきおうしょ)」と名付けました。都心の家を売却してまで暮らしたいほど、ここが魅力的な場所だとわかるエピソードです。
昭和12(1937)年、「楓荻荘」は内閣総理大臣就任に伴う訪問客の多さから逃れるために、東京郊外に邸宅を探していた近衞文麿(このえふみまろ)に譲渡されました。そして 「楓荻荘」は 「荻外荘(てきがいそう)」と呼ばれるように。静かに暮らしたいという近衞氏の思いとは裏腹に、この荻外荘には政府要人が毎日のように訪れ、多くの政治会談の場としても利用されていたそう。荻外荘があったのは現在の荻窪2丁目ですが、南荻窪も含めたこの一帯は自然が多く、大正時代から昭和初期にかけては「西の鎌倉・東の荻窪」と称され、心を癒やすための別荘地として人気がありました。
南荻窪はなぜ高級住宅街になった?
農村地だったころの南荻窪は、道路は狭くて曲がりくねり、雨のぬかるみなどで農作物の出荷もままらないほどだったと言います。大正12(1923)年の関東大震災後、郊外の宅地化が進みますが、この辺りは注目度が高くなく、農地のままの土地が多かったそうです。やがて西荻窪駅が開設されたとき、これをチャンスと捉えた井荻村の内田秀五郎村長(後の井荻町長)が中心となって、南荻窪も含む地域の土地区画整理事業が行われました。これにより、道は真っ直ぐに整備され、今日に至る道路の骨組みが出来上がります。
土地区画整理事業を行えば耕地が減少するため、反対する住民者も少なからずいましたが、内田秀五郎氏は話し合いを重ねて仲間を増やし、整備を実現させていきました。そして、大規模な宅地造成と並行して上下水道や鉄道の施設、教育施設などのインフラ整備も行い、現在の高級住宅街としての基礎がつくられました。
南荻窪の「由来」
南荻窪の荻窪は、見た目がススキによく似たマメ科の植物、萩(はぎ)が周辺の低地に自生していたことに由来します。荻は河川敷などの湿地帯を好むそうで、善福寺川沿いなどに群生していたのかもしれません。
また、「飛鳥時代の和銅元(708)年にひとりの修行僧が千手観音様を背負ってこの地を通ると、不思議なことに急に観音様が重くなり、歩くことができなくなってしまいました。この地に縁があるのではと思い、付近一帯に自生していた荻を刈り取って観音さまを安置し、萩堂と名付けた」という伝説があり、そのお寺が荻窪駅近くにある「光明院」だとされています。それで、この「荻窪」の「荻」は「萩堂」の「萩」からつけられた、といういわれもあります。いずれにしても、荻窪の「窪」については、文献がなさそうです。
住みやすさは?南荻窪の「魅力」
■1:荻窪には3つの庭園があります
大正末期から昭和初期に行われた土地区画整理後、緑豊かで善福寺川を見下ろせる台地には、作家の与謝野鉄幹・晶子夫婦や、音楽評論家の大田黒元雄氏、出版業を営むと同時に俳人であった角川源義氏など、多くの文化人が荻窪駅南側の高台に住んでいました。現在、その場所は、それぞれ近隣住民の憩いの場となる公園となっています。
■与謝野公園
与謝野鉄幹・晶子夫婦の旧居跡につくられた公園で、園内には歌碑があります。
■大田黒公園
日本の音楽評論の草分け的存在である大田黒元雄氏の屋敷跡につくられた公園です。樹齢100年を超える銀杏並木や、書斎があったベンガラ色の記念館(国登録有形文化財)があります。旧書斎には、大田黒氏が愛用していたピアノなども展示されています。樹木も大きく、とても気持ちのよい公園です。
■角川庭園
角川書店の創設者である角川源義氏の旧邸宅が公園になっています。こちらの木造2階建の近代数寄屋造りの建物も、国登録有形文化財です。傾斜地にあるこの場所からは善福寺川がきれいに見えて、見晴らしのよい場所だったそう。
■2:南荻窪には縁起のよい松が庭木に並んでいます
庭木に松の木のある家を見かけることも都内ではかなり少なくなりました。ですが、南荻窪には気品と風格の漂う松の木が庭木に植えられた一戸建てが驚くほどたくさん並んでいるんです。松は、長寿を表す縁起のよい木だといわれています。
南荻窪には、代々住んでいるという方も多いからでしょうか。立派な松の木が植えられた一軒家が多いということは、この場所にしっかりと歴史が刻まれ、守られていることを示しています。街に帰ってきたらホッとする風景が広がっているのが南荻窪の特徴です。
■3:荻窪駅にはなんでも揃っています
「ラーメンの聖地」としても知られている荻窪駅周辺ですが、カレーファンに人気の行列必至のお店「トマト」など、個性的なカレーが食べられる店も多く揃っていて「カレー激戦区」になっています。また、おいしいコーヒーが楽しめるカフェも点在し、グルメ好きにはたまらない場所といえるでしょう。さらに、駅前には商業施設「ルミネ荻窪」や「荻窪タウンセブン」があり、商店街も複数あって買い物には困りません。そのほか、駅から徒歩3分の距離にサウナ好きも集う日帰り温泉施設も! 荻窪駅は一度住んだら離れられなくなるほど、なんでも揃っている、魅力がパンパンに詰まった駅なのです。
■4:住みたい街としても人気の吉祥寺が電車で3分の距離にあります
「アトレ吉祥寺」「吉祥寺パルコ」「吉祥寺マルイ」「東急百貨店 吉祥寺店」などの商業施設が揃った吉祥寺駅がJR中央線快速で1駅約3分の距離(各停なら2駅)にあります。吉祥寺駅周辺は商店街も充実していて、飲食店やおしゃれなカフェもたくさんあります。駅から南に5分程度歩いたところには桜の名所としても有名な「井の頭恩賜公園」があり、のんびりした空気が流れています。
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荻窪駅周辺は商店街やショッピングモールがあって、便利でとても賑わっていますが、そこから少し離れた場所にある南荻窪の住宅街はとても静か。緑が豊かな住宅街で、最近では少なくなってきた松を庭木にもつ家が複数ありました。昔から住んでいるという人も多く、ここならば地域の住民でお互いに助け合いながら安心して暮らすことができそうです。
- TEXT :
- Precious.jp編集部
- PHOTO :
- AC,柳堀栄子
- WRITING :
- 柳堀栄子