2023年の大晦日には『NHK紅白歌合戦』に出場し、翌2024年2月に日本ツアーを行った「クイーン+アダム・ランバート」。1971年の結成から50年以上経つ現在も熱狂的なファンをもち、さらには若者世代からも新たな支持を集めるロックバンド「クイーン」ですが、4月17日が「クイーンの日」であることは、ご存じでしたか? 今回は「クイーンの日」について、その由来や「クイーン」にまつわる雑学をご紹介します。

【目次】

「クイーン」と日本は相思相愛。
「クイーン」と日本は相思相愛。

【4月17日はクイーンの日。なぜ?いつから?「由来」を知りたい!】

■「クイーンの日」が4月17日なのはどうして?

1975年の4月17日。クイーンは初となる日本ツアーのため、羽田国際空港に降り立ちました。アルバム「シアー・ハート・アタック」のリリースに伴うツアーで、東京だけでなく、日本各地で2週間近くにわたり公演を行いました。このの来日により日本とクイーンの絆が生まれたことを記念し、ユニバーサルミュージック が「クイーンの日(The Queen Day)」を制定。初来日から40年経った2015年に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録されています。

■「クイーンの日」には何をする?

クイーンの初来日から40年目にあたる2015年4月17日には、クイーンともっともゆかりの深い場所ともいえる羽田空港で、「~Queen初来日40周年記念~ The Queen Day」が開催されました。これが「クイーンの日」として最初のイベントでした。以来、毎年「クイーンの日」近辺にはイベントが開催されています。初来日から50年となる2025年にはどんなイベントが企画されるのか、楽しみですね!


【クイーンはこれまで「何回」来日した?】

1991年に45歳の若さで亡くなった「クイーン」のヴォーカリスト、フレディ・マーキュリーはメンバーの中でもとりわけ、大の親日家として知られています。彼の存命時、1975年の初来日から10年の間に、「クイーン」は計6回の来日を果たし、全50回のコンサートを行っています。フレディはそのほかにも、プライベートでも数回日本を訪れていると言われていますよ。そして、2023年にロンドン市内で遺品がオークションに出品された際には、着物や木版画や漆器など、日本にまつわる遺品が200点以上、公開されました。また、「クイーン+アダム・ランバート」の結成以降も、クィーンは4回来日しています。


【「クイーン」と「クイーンの日」にまつわる「雑学」5選】

■そもそも「クイーン」って?

「クイーン」は、イギリス・ロンドン出身の男性4人(フレディ・マーキュリー、ブライアン・メイ、ジョン・ディーコン、ロジャー・テイラー)で構成されたロックバンドです。イギリス公式サイトでは、4人が揃った1971年を正式なバンド結成の年としています。「ボヘミアン・ラプソディ」や「キラー・クイーン」「伝説のチャンピオン」「ウィ・ウィル・ロック・ユー」など、数々の名曲を生み出し、日本をはじめ、世界中で最も成功したバンドのひとつに数えられています。ウォール・ストリート・ジャーナルの「史上最も人気のある100のロックバンド」では堂々第3位にランクイン。2001年には、マイケル・ジャクソン、エアロスミスらとともに、ロックへ与えた影響を称える賞「ロックの殿堂」入りを果たしています。

■世界的な「クイーン」人気は日本から始まったってホント?

本当です。1075年4月当時の「クイーン」は、3枚目のアルバム「シアー・ハート・アタック」を発表し「キラー・クイーン」がヒット。世界的な人気が上昇しはめた頃でした。とはいえ、本国イギリスでは新進気鋭の若手バンドに過ぎず、大規模なワールドツアーを組めるほどのトップアーティストではなかったのです。ところが4月17日、羽田空港に降り立ったメンバーを迎えたのは、1000人を超す、熱狂的な、しかも若い女性ファンたちでした。イギリスでは経験したことのないトップ・スター扱いとファンの歓迎にクイーンのメンバーは非常に感激し、その後の日本とクイーンとの親密な関係に繋がったと言われています。

■日本のファンのために作られた曲があるってホント?

本当です。タイトルは「手をとりあって」。英題も「Teo Torriatte(Let Us Cling Together)」と、日本語になっています。1976年発表の5thアルバム『A Day at the Races』の最後に収録されている曲です。日本限定の収録曲ではなく、全世界で共通するアルバムに収録されています。「手を取り合ってこのままいこう 愛する人よ」とサビの部分に日本語が用いられている曲で、1977年には日本限定でシングルリリースされました。そして、東日本大震災の復興支援を目的とした『Song For Japan』にも、ボブ・ディランやジョン・レノンたちの有名曲とともに、収録されています。また、この曲は日本以外でのライブでは演奏されたことがない、といわれています。

■フレディ・マーキュリー亡き後のヴォーカリストは?

「クイーン」のヴォーカリスト、フレディ・マーキュリーは、1991年に45歳の若さで亡くなりました。その後、2000年にバッド・カンパニーのポール・ロジャースをヴォーカルに迎え、「クイーン+ポール・ロジャース」として活動しました。現在のヴォーカリストであるアダム・ランバートと供に「クイーン+アダム・ランバート」を結成したのは、2012年のことです。以降12年にわたり活動を続けていますが、グループ名はあくまで「クイーン+アダム・ランバート」であることに、メンバーのフレディへのリスペクトが感じられますね。2024年のドームツアーでは、「アダムの声はフレディを思い出させる。パワフルで最高」とファンを熱狂させました。

■映画『ボヘミアン・ラプソディ』は本国を越えるヒットに

フレディ・マーキュリーの人生を名曲とともに描いた映画『ボヘミアン・ラプソディ』は、2018年に日本で劇場公開されると瞬く間に「第三次クイーン旋風」を巻き起こしました。結果、その年の国内映画興収ランキングNo.1に輝き、母国イギリスを遥かに凌ぐ大ヒットとなったのです。日本人の「クイーン推し」は健在。この映画を観て「クイーンのファンになった!」という若者世代も多かったようです。

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1991年に亡くなったフレディ・マーキュリーと、現ヴォーカリストであるアダム・ランバートには、セクシャルマイノリティ(ゲイ)という共通点があります。「クイーン+アダム・ランバート」が出場した2023年『紅白歌合戦』のテーマは「ボーダーレス」でした。今から50年近く前の1970年代、本国イギリスでは一部メディアから「イロモノ」扱いされていたという「クイーン」に対し、日本の女性たちは偏見をもつことなく、純粋に楽曲の素晴らしさや美麗なファッション性に熱狂したそうです。「多様性」に注目が集まる現代、いち早く「クイーン」の素晴らしさに気づき、世界のトップステージに押し上げた、先輩方の良識と審美眼が誇らしく思えますね!

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この記事の執筆者
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参考資料:ユニバーサルミュージックhttps://www.universal-music.co.jp/queen/2015_event/ :