関西を拠点に、国内外で活躍する女性たちの生き方を綴る連載「〜京都、大阪、神戸〜 彼女たちの三都物語」。第1回目は、日本はもちろん、海外でも活躍する写真家でありながら、550年続く老舗蕎麦店を継いだ女性、稲岡亜里子さんにお話をうかがいました。

本家尾張屋の入り口に立つ16代目当主、稲岡亜里子さん
本家尾張屋の入り口に立つ16代目当主、稲岡亜里子さん

写真家と老舗蕎麦店の16代目の2足のわらじ

応仁の乱の2年前にあたる寛正6年(1465年)に菓子店として創業し、現在は京都の由緒ある老舗蕎麦店として知られる「本家尾張屋」。稲岡亜里子さんはこちらの長女として生まれ、一度は家を出て、アメリカへ留学。その後もN.Y.や東京を拠点に写真家として世界を飛び回っていましたが、6年前に京都に本格的に帰京。現在も写真家と老舗蕎麦店16代目当主の2足のわらじ履く稲岡さんに迫ります。

17歳でアメリカ・サンディエゴに留学

話をする稲岡亜里子さん
話をする稲岡亜里子さん

「洋楽や外国の文化が好きで、幼い頃から海外に憧れがありました。また、母も若い時にフランスに留学していて、母が違う国の人としゃべっている姿を見ていました。

両親には高校卒業してからと言われていたのですが、アメリカの高校生活を味わいたいと思って、あきらめずに何度も留学をしたいとお願いしました」。

その後、サンディエゴでのハイスクール生活を無事スタートした稲岡さん(写真右上)。

稲岡亜里子さんと留学時代のクラスメイト
稲岡亜里子さんと留学時代のクラスメイト

「高校時代、選択科目で写真を専攻したら、すごくおもしろくて。同級生にモデルになってもらったり、学校の先生がやってるバンドのCDジャケットを撮らしてもらったり、学校からコンテストにも出展してもらったりと、写真を通していろんな人とコミュニケーションできるのが楽しかったんです。それに、サンディエゴのヒッピームーブメントを撮ったり、見たものや感じたことを形に変えていけるツールとしてもカメラが好きでした」。

N.Y.での刺激的な毎日

アメリカでの留学生活を送る稲岡亜里子さん(中央)
アメリカでの留学生活を送る稲岡亜里子さん(中央)

卒業後は、サンフランシスコの美術大学に進学。大学2年の時にN.Y.のパーソンズ スクール オブ デザインの写真科へ編入したそう。

「N.Y.では女の子のポートレートや友達の部屋をよく撮っていて、大学を卒業する際には、卒業賞に選ばれました」。

卒業後は、ファッション撮影を中心に活躍。作品が東京に住む知り合いのスタイリストの目にとまり、東京にも活動の場を広げることに。

撮影現場での稲岡亜里子さん
撮影現場での稲岡亜里子さん

「東京のマネージメント会社にも所属していたので、20代後半は、東京とN.Yを行ったり来たりしていました。そして、30歳で拠点を東京に移し、アフリカやインド、中米など、行ったことないところを旅をしたり、作品撮りをするようになりました。その時はまだ、家業を継ぐとはまったく思ってなかったんですよ」。

(c) Ariko Inaoka
(c) Ariko Inaoka

そんな稲岡さんが京都に帰り、家業を継ぐことになったきっかけはどんなことだったのでしょうか? 第2回に続きます。

>>【第2回】家業に入ってより大切に感じた人とのつながり
>>【第3回】「伝統を守っていく」意識を高めるためにできること
>>【第4回】16代目当主として、写真家として、老舗を守り革新する

稲岡 亜里子
写真家/本家尾張屋・16代目当主
(いなおか ありこ)京都生まれ。17歳でアメリカ・サンディエゴの高校に留学。99年ニューヨークの美術大学パーソンズスクール写真科卒業。05年東京にベースを移す。08年『SOL ARIKO』が赤々舎より出版される。11年より京都に戻り、実家である老舗蕎麦店「本家尾張屋」の16代目当主を務めながら写真家活動を行っている。
本家尾張屋Ariko Inaoka
この記事の執筆者
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クレジット :
撮影/香西ジュン 文/天野準子