N.Y.から活動の拠点を東京に移した稲岡亜里子さん。第2回では、550年続く家業を継ぐきっかけや、実際に継いだ後のお話をうかがいます。

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会話をする稲岡亜里子さん

写真集の出版が転機に

京都の老舗蕎麦店「本家尾張屋」の長女だった稲岡さんに、ご両親は「跡継ぎ」について、何も言わなかったそうです。

「私には妹と弟がいるのですが、私が東京を拠点にしていたころはふたりとも留学していて、彼らが進みたい道も決まっていました。私も妹弟も、両親に『店を継いでほしい』と言われたことは一度もないのですが、東京にいる私がいちばん、京都の近くにいるな…と思うようになって。それに、いろんな世界を見れば見るほど、京都に惹かれる自分がいました。でも、写真の仕事は京都に戻ったらできないな…と迷ったりもしましたね」。

そんな時に背中を押すきっかけになったのが、アイスランドの自然や水のある風景を撮影した写真集『SOL ARIKO』の出版だったそう。

写真集『SOL ARIKO』より。(c) Ariko Inaoka

「2002年から2007年までアイスランドに通って、水のある風景を撮影していたのですが、水は湯気になって、空にあがり、雲から雨となって降り、を繰り返して循環しています。水として見えている時だけではなく、目に見えていない時もちゃんと働いていて。人間も目に見えないいろんな力で生かされていると思うし、そういう見えないものの価値を大事にしたいと思って、撮影していました。私の実家も、先祖代々続いているのは目に見えない想いや力の積み重ねこそだ、と気づいたとき、アイスランドでの撮影を含め、これまでやってきたことと、家業を継ぐという運命がつながっていると感じました」。

見えないものを大事にする京都の街

「街角のお地蔵さんの前を通りすぎるとき、子供までもがちゃんと手を合わせて拝んでいたり、お地蔵さんの前はいつもキレイに掃除してあって、花もお供えされていたり。京都では、神様や先祖など、見えないものが大事にされています。家業を継ぐということは、おそば屋さんになるということだけじゃなく、仕事を通して京都に触れ、文化を学ぶことができるいい機会だと思って」。
稲岡さんの中で、そのようないろんな想いが重なり、時が満ち、2011年、36歳の時にアメリカ人のご主人とふたりで京都に移り住み、家業に入ることになります。

写真家とは勝手が違う経営者業

京都の老舗蕎麦店「本家尾張屋」の入り口

実際、家業に入ってからが大変だったという稲岡さん。

「実家の会社に入ってから、『絶対こうした方がいい』といろんなアドバイスをしたんです。でもいくら正しいことを言っていても、みんなが支持してくれないと、どうにもならなくて。うちはパートさんを含めると80人ぐらい従業員がいて、その方たちのチームワークによって店舗がうまく回っています。それなのに、急に帰ってきて、早く結果を出したいから言いたいことだけ言ってしまって…。あのころは完全に空回りしていましたね」。

人と人とのつながりを大切に

店内で話をする稲岡亜里子さん

「まずは信頼関係を築かないといけない、と感じました。じっくり時間をかけ、わかり合えてこそ前に進むことができる。これは、なんでも一人で決めていた写真家時代には学べなかったことですね。従業員や仕入れをさせてもらっている業者さん、何代にも渡って通ってくれているお客さんなど、代々のつながりと信頼関係の上に商売が成り立っていると思っています」。

そんな折、2013年にお父様が他界。その2か月後の春、稲岡さんは妊娠なさったそう。

「家業に入ってしばらくは父の元で仕事を覚えていけばいいと考えていました。しかしその2年後に父が亡くなり、私が代表にならざるを得なくなってしまって。プレッシャーを感じるというより、さすがにもう、みんなに助けてもらわないとやっていけないですし(笑)。また、子供ができたこともあり、人に委ねることもできるようになりました。そうすることで、お互いに信頼が深まっていったように思います」。

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稲岡 亜里子
写真家/本家尾張屋・16代目当主
(いなおか ありこ)京都生まれ。17歳でアメリカ・サンディエゴの高校に留学。99年ニューヨークの美術大学パーソンズスクール写真科卒業。05年東京にベースを移す。08年『SOL ARIKO』が赤々舎より出版される。11年より京都に戻り、実家である老舗蕎麦店「本家尾張屋」の16代目当主を務めながら写真家活動を行っている。
本家尾張屋Ariko Inaoka
この記事の執筆者
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Precious.jp編集部 
2017.7.9 更新
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クレジット :
撮影/香西ジュン 文/天野準子