NHK大河ドラマ『光る君へ』で描かれている平安時代中期、貴族たちは季節の移ろいを装いの色に映して身にまとい、香りを衣に焚きしめて、雅なお洒落を楽しんでいました。今回ご紹介する「伏籠」は、香りを衣にたきしめ、ふんわりと香らせるために欠かせない小道具のこと。『光る君へ』の第三十五回でも、一条天皇の初めての「お渡り(床を共にすること)」を前に、中宮彰子に使える女房たちが伏籠を使い、いそいそと彰子の衣にお香をたきしめる様子が描かれていました。ということで、今回は「伏籠」の意味や、平安時代に貴族たちの間で流行した、香りのお洒落について解説します。

【目次】

文字通り「伏せて使用する籠」を指します。
伏籠とは文字通り、「伏せて使用する籠」を指します。

【「伏籠」とは?「読み方」「意味」など「基礎知識」】

■「読み方」

「伏籠」は「ふせご」と読みます。「籠」は「かご」と読むため「ふせかご」と読んでしまいそうですね!「ふしごもり」でもありません。

■「意味」

伏籠は別名を「籠(こ)」とも言い、「伏せて使用する籠」を指します。「籠」とは「竹、つる、柳、針金など線状のもので編んだ入れ物」のことですね。小学館『デジタル大辞泉』によると、用途は主にふたつあります。

1)香炉や火鉢などの上に逆さに伏せておく籠。上に衣服を掛けて暖めたり、香を焚きしめたりする。
2)伏せて中に鶏を入れる籠。

平安中期、女性貴族の正装は、十二単(じゅうにひとえ)と呼ばれる、幾重にも組み合わされた美しい色彩の「襲(かさね)」という装いでした。貴族たちは男女の区別なく、伏籠を使って香りを衣に焚きしめて、フレグランスのお洒落を楽しみました。また、香りはファッション的な側面だけでなく、香りを楽しむ文化として浸透し、それを身にまとう人の知性や教養を示すアイコンとしても用いられたのです。お香の原料となる香木は当時非常に高価なものであったため、香りによって身分を推測できるなど、貴族のステータスシンボルとしても欠くことができない存在でした。

■伏籠の使い方は?

ここでは、香りを衣に焚きしめるための手順について説明しましょう。当時の香りは、練香(ねりこう)とも呼ばれるお香でした。貴族たちそれぞれが自家製で、いろいろな香料を練り合わせてつくっていたようです。伏籠を使う手順としては、まず灰を盛った香炉(こうろ)に練香を入れ、火をつけて煙と供に香りをくゆらせます。その上に伏籠をかぶせ、さらに衣裳を広げて掛けると、立ち上った薫煙により、衣裳に香りが移ります。髪に香りをつけたいときは、そばでお香を焚いて、パタパタと煙をあおぐのです。こうすることで、動く度にほんのりと全身からよい香りが立ち上ります。なんとも優雅ですね!


【『源氏物語』『光る君へ』に登場する「香り」と「伏籠」のエピソード】

平安時代の文学には、「香り/薫り」についてのエピソードが頻繁に登場します。そのうちのいくつかをご紹介しましょう。

■「薫」と「匂宮」

『源氏物語』において、光源氏亡きあとの、物語後半の主人公となる「薫(かおる)」と「匂宮(におうのみや)。「薫」(かおる)は、表向きは光源氏とその正妻である女三宮(おんなさんのみや)との間に生まれた息子ですが、実は柏木(かしわぎ:光源氏の友でありライバルの頭中将(とうのちゅうじょう)の長男)と女三宮の密通で生まれた不義の子です。

薫は生まれつき身体からよい香りがするという不思議な体質の持ち主として描かれ、それが名前の由来となっています。一方の匂宮は、紫の上が養育した明石の姫君の息子、つまり源氏の孫にあたる男児です。薫に張り合うように薫物を好み、自らさまざまなお香を作り、フレグランスを楽しんでいたと描写されています。いかがでしょう。このような人物描写だけでも、薫と匂宮の、男性としての魅力の違いが、はっきりと伝わってはきませんか?

当時、香りの調合はそれを身に付ける人の好みが色濃く反映され、自分にふさわしい、自分に似合うと感じられる香りに調合していたため、香りはそれをつける人自身の象徴、分身であると認識されていました。部屋の残り香などから、「誰がこの部屋に居合わせたのか?」も推測できたため、男女間のコミュニケーションツールとしても、かなり重要な役割を果たしていたようです。

■宣孝との喧嘩でまひろが投げつけたものは…?

『光る君へ』第二十六回では、吉高由里子さん演じる主人公、まひろと、佐々木蔵之介さん演じる夫・藤原宣孝との夫婦げんかのシーンが描かれていました。「お前の、そういう可愛げのないところに、左大臣様も嫌気がさしたのではないか、わかるな〜」と言い放った宣孝に対し、カッとなったまひろは、宣孝に向かって灰を投げつけてしまいます。これをきっかけに、宣孝の足は本格的にまひろから遠のいてしまうのですが、このときに放った灰は、香を焚くのに使う、香炉に入った灰でした。

実は『源氏物語』にも、夫に向かって香炉の灰を投げつける妻の描写が登場します。投げつけられたのは、髭黒(ひげぐろ)。頭中将の娘であり、光源氏の養女でもあった、玉鬘(たまかずら)の夫です。そして投げつけたのは、その北の方(正妻)。当時、夫の衣に香を焚きしめるのは妻の仕事でした。自分が香を焚きしめた衣を着て、玉鬘のもとへ出向こうとする夫に対して、妻は香炉の中の灰を投げつけたのでした。妻である女性の思い、嫉妬や悲しみを見事に浮かび上がらせた描写と言えますが、『光る君へ』でまひろが灰を投げつけるシーンは、源氏物語ファンの間では「この場面に由来するのでは」と言われています。

■「伏籠のうちに籠めたりつるもの」

「雀の子を、犬君(いぬき)が逃がしつる。伏籠の中に、籠めたりつるものを(雀の子を、いぬきが逃がしてしまったの。ちゃんとかごにいれておいたのに)」という有名なフレーズに、心当たりがある人は多いのではないでしょうか。この一文は、『源氏物語』「若紫」の章で、まだ子どもだった紫の上が光源氏と初めて出会った場面で、最初に口にした言葉で、このフレーズは、高校の授業で使われる、ほとんどの古典教科書に載っています。

犬君とは、紫上が召使っている女童の名前。そして、紫の上が雀を入れていたのが……そう、「伏籠」です。この記事の最初にご紹介した「伏籠」の意味のふたつめ、「伏せて中に鶏を入れる籠」として、「伏籠」が使われていたシーンです。そして『光る君へ』のファンであれば誰もが思い出すのが、ドラマの第一回、まだ幼かったまひろと三郎(後の藤原道長)が、初めて出会ったシーンではないでしょうか。籠に入れた小鳥をうっかり逃がしてしまい、涙を浮かべていたまひろに、三郎が「いかがした?」と声をかけます。「私は帝の血を引く姫君なの」と、つくり話をするまひろを「姫」と呼ぶ三郎。のちに、身分の違いに引き裂かれそうな恋に悩み、その苦しみを乗り越え、作家として『源氏物語』を書くことになる、まひろの将来を連想させる、印象深いシーンでした。

■『枕草子』に描かれた「心ときめくもの」

『枕草子』にも、香りのお洒落にまつわるエピソードは登場します。

「頭洗ひ化粧じて、香ばしうしみたる衣など着たる。ことに見る人なき所にても、心のうちは、なほいとをかし」

これは『枕草子』三巻本第二十六段「心ときめきするもの」に出てくる一説です。 「シャンプーしてメイクして、ふんわりいい匂いがする着物を着たときの気持ち。そういうときは、誰も見ていない所でも、心の中はわくわく気分!」(訳:『平安女子の楽しい!生活』川村裕子著 より)。長い長い髪の手入れを終え、香りのお洒落も完璧にできたときは、さぞ清々しい気分になって、気分も高揚したことでしょうね。

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史実では、999年に一条天皇に入内した藤原彰子が懐妊・出産するのは1008年です。大河ドラマ『光る君へ』でも描かれた、道長の金峰山詣(きんぶせんもうで)が行われたのは、1007年。入内から8年が経っても懐妊の兆しが見えなかった、娘・彰子の皇子懐妊祈願がいちばんの目的であったと言われています。その甲斐あってか、一条天皇からの寵愛を得た彰子は、難産の末に皇子(敦成:あつなり)を出産。結果として、皇太子(将来の天皇)の祖父として自らの権力を盤石なものとしたい道長にとって、彰子の元で育てられた皇后・定子の忘れ形見である敦康親王の存在は、己の望みを阻む邪魔な存在へとなっていきます――この後の展開に、ますます目が離せませんね!

この記事の執筆者
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参考資料: 『日本国語大辞典』(小学館) /『デジタル大辞泉』(小学館) /NHK大河ドラマ・ガイド『光る君へ 後編』(NHK出版)/『平安 もの こと ひと 事典』(朝日新聞出版) /『はじめての王朝文化辞典』(角川文庫) /『紫式部と藤原道長』(講談社現代新書) /『平安女子の楽しい!生活』(岩波ジュニア新書) :