愛されるが故に国を滅ぼしてしまう絶世の美女を「傾国の美女」と呼ぶ
「傾国の美女」という言葉がある。言うまでもなく、国を滅ぼしてしまうほどの"絶世の美女"のこと。その色香に溺れて、君主が心惑わせ、国政をないがしろにしてしまうという意味である。
最も有名なのは、やはり楊貴妃。中国・唐の玄宗皇帝がこの寵姫を寵愛しすぎたために、安史の乱を引き起こしたと言われるが、実は日本にも傾国の美女はいた。飛鳥時代の女性歌人、額田王(ぬかたのおおきみ)。天武天皇の妃となりながら、やがてはその兄である天智天皇の妃ともなっていて、額田王をめぐって兄弟が睨み合い、それが政治的対立にも発展したと言われる。
いずれにせよ、「傾国の美女」が歴史に名を残すことは確か。そしておそらくこの人も、何らかの形で歴史に残っていくのだろう。"美しすぎるファーストレディ"として、世界的にもその名を轟かした韓国のキム・ゴンヒ大統領夫人である。
ご存知の通り、夫であるユン・ソンニョル大統領は、突然のように"非常戒厳"を宣布して、韓国を大混乱に陥れた。当然のように国会は紛糾。大統領の行動を非難するソウル市内のデモは凄まじかった。
歴代の大統領と異なり、日本に悪感情を持っていなかったことから、この人のおかげで日韓関係は非常に良くなったはず。それもあって、日本では比較的好感度の高い大統領だったはずだが、韓国国内での支持率は終始、低めであったとされる。
整形疑惑に、経歴詐称……キム・ゴンヒ夫人は疑惑のデパート?
その原因とされたのが、キム・ゴンヒ夫人。夫が大統領になる前から、この妻には疑惑がたくさんあった。経歴詐称、整形疑惑、のちに株式操作への資金提供や、公式の外遊に民間人を同行させたなどというスキャンダルが、次々に飛び出して全くもって落ち着く時がなかったほど。
果ては、ディオールのバッグを受け取ったとか、新聞記者へのセクハラまで飛び出して、 まさに疑惑のデパートとなってしまった。
経歴詐称に関しては、過去の求職活動の際に、経歴や受賞歴をつい盛ってしまったり、修士論文において一部をどこかから盗用したというもの。京畿大学校芸術学部絵画科を卒業後、大学院でさらにアートを学び、自ら芸術展示の企画会社を立ち上げたり、私立大学において教授として教壇に立ったりするが、この際にプロフィールに脚色を加えたというのである。ただこれについては、夫の大統領選出馬に際し記者会見を開いて、公の場で詐称を認めて謝罪をしている。
また整形疑惑については、中学や高校の頃の写真が出回り、明らかに顔立ちが変わっていることが大きく取り沙汰されたが、これについても韓国ではある程度想定内のことであり、本人も目を二重にしたことなどを、具体的に認めている。
ちなみに女優パク・ミニョンなども美容整形を公に認めているが、それによって人気が落ちることもなく、韓国一の美人女優のポジションを今もキープし続けている。逆に、潔く認める方がダメージも少ないという証。この辺に関しては、一国のファーストレディも例外ではなかったはずだ。
そしてまた、高級ブランドのバッグをある牧師から受け取って収賄が疑われている件も、また取材に訪れた記者に対して、「本当に女の子が好きね」「夜の商売の方が向いているかも」といった大統領夫人の立場ではふさわしくない発言をしたという疑惑も、不自然な形で隠しカメラによる撮影がなされており、どちらかと言うと"ハメられた"という見方の方が強かったりする。
それも、元検事総長だったユン大統領には疑惑らしい疑惑もなく、およそツッコミどころがないので、矛先が妻のほうに向いたのではないか、それもわざわざ疑惑が仕掛けられたのではないかとさえ言われるのだ。
とすれば気の毒にもなるけれど、でもそのぐらい政敵の攻撃が激しかったということ。大した話じゃないと言ってしまったら語弊があるが、少なくとも"稀代の悪女"と呼べるほどの悪業を重ねたわけではない。生き馬の目を抜くような韓国社会において、これは特別な地位を得る人の宿命なのかもしれないのだ。
美貌も事業成功も手に入れた愛され妻は、激しい嫉妬の的となった
ましてやこの人は歴代の大統領夫人の中でもとりわけ若く、そして世界のファーストレディの中でもとりわけ美しかった。普通に考えれば、それを国民の誰もが誇りに思うはずだが、敵によるちょっとした印象操作だけで全て裏目に出てしまう、その典型的な例ではなかったか?
端正な顔立ちに、52歳という年齢が信じられないほどの美肌、それだけならまだしも、実業家としても成功し、資産は約7億円とも言われた。
しかも、12歳年上の元検事総長というエリートに見初められ、君が料理をしないなら僕が毎日でもあなたのために料理をするとプロポーズされ、結婚後も「妻のために料理を作っている時が至福の時」とのろけさせるほどに手厚く愛される妻なのだ。
それだけに、 この非常戒厳宣布も、妻のために断行したのではないかと言われるほど。もともと、一体何のメリットがあると思って行ったのか? と誰もが首をかしげ、「韓国史上最も不可解な出来事」とされるだけに、ならばやっぱり自分の妻を守るため? と。じつはその後も燻っていた夫人への疑惑を元に、特別検察が糾弾を始めると想定されていた日の直前に、前代未聞の戒厳令を決起したこともあり、それは決して偶然ではないという見方もできるのだ。
ともかくそこまで大統領に愛されていることに対し、国民が拍手するのかどうか? は甚だ疑問。少なくとも権力者に対してとりわけ厳しい目を向ける韓国の国民感情において、これらは全てが嫉妬につながっていると言わざるを得ない。きっと記憶にあるであろう大韓航空のナッツ姫事件のように、絶大な富や地位を持った人間に対しての"嫉妬含みの嫌悪感"は、韓国の場合半端ではなく、ドロドロ系韓国ドラマ顔負けの展開になることも少なくないのだ。
ひとたび嫉妬の対象となれば、その人にとって喜ばしい情報は、全て火に油を注ぐものとなる。例えばファーストレディとして行く先々で美しさを絶賛され、特にバイデン大統領のお気に入りであったとの報道は、複雑な国民感情を生んだはず。韓国の誇りにも思える一方で、夫人へのジェラシーはもう半端なものではなかったはずだ。勢い、基本的に温和であるとされる夫の大統領まで「憎し」となって、支持率がどんどん低下していったのではないだろうか。
天国から地獄へ、この人の人生は一体どうなってしまうのか?
まさに「傾国の美女」! ただし今の韓国は、国が滅びる代わりに、一国のリーダーを完膚なきまでに打ちのめす国となっている。かつて1000足を超える靴のコレクションなど"贅を尽くした宮殿生活"で、国政を圧迫し、クーデターで国を追われ亡命した"フィリピン元大統領のイメルダ夫人"も、アジアにおける「傾国の美女」とされ、このキム・ゴンヒ夫人は「韓国のイメルダ」などとも呼ばれる。しかしゴンヒ夫人は何も贅沢に明け暮れたわけではない。むしろ国民感情を刺激してしまったがために、国民に引きずり下ろされた形なのだろう。
かくして、ユン元大統領にとって、敵である「共に民主党」が政権を取れば、それは地獄行きを意味している。これは比喩ではない。本当に監獄行き。「韓国における大統領とは、監獄行き一歩手前の職業」と言われるように、大統領の職を追われて牢獄に入った元大統領は少なくない。さもなければ自殺……。本当に韓国ドラマをも超えるような、ありえない展開となっていくのだ。
美しすぎることが自らを窮地に追い込んでしまった「傾国の美女」は、一体これからどんな人生を送ることになるだろう。この人のトレードマークとなった"ネクタイを結ぶ"、ちょっとマニッシュなスーツは、はっとするほどクールでエレガントだった。日本人の目から見れば、それはそれは見事なファーストレディと映っていたが、たった2年程度の栄光の代わりに、人生を台無しにしてしまうことになった原因の半分が、自分自身のオーラの強さにあるとしたら、あまりにも皮肉な話。
天国から地獄へ、美しさが災いしたこの人の人生に、あなたは何を思うのだろうか。
- TEXT :
- 齋藤 薫さん 美容ジャーナリスト
- PHOTO :
- Getty Images
- WRITING :
- 齋藤薫
- EDIT :
- 三井三奈子