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プロフィール

 

名前:グレタ・ガルボ(Greta Garbo)
出生地:スウェーデン ストックホルム 
生年月日:1905年9月18日

スウェーデンのストックホルムで生まれ育ったグレタ・ガルボ。初等教育終了後、デパートに勤めたことをきっかけに帽子や女性服のモデルを務めるようになりました。
映画のエキストラ出演をきっかけに映画監督のモーリッツ・スティレルに見出され『イェスタ・ベルリングの伝説』(1924年)の主役に大抜擢されます。1925年ごろアメリカに渡り、ハリウッドにも進出。1926年に出演した映画『歓楽の港』『肉体の悪魔』が共に大ヒットし、一躍スターとなりました。
サイレント映画時代、すでに人気女優となっていたグレタ・ガルボですが、トーキー映画への移行によりさらなる人気を獲得。ミステリアスな美貌と魅惑的なハスキーボイスが評判となり『アンナ・クリスティ』(1930年)『アンナ・カレニナ』(1935年)『グランド・ホテル』(1932年)『椿姫』(1936年)『ニノチカ』(1939年)など、後世に残る名作に数多く出演しました。
しかし、1941年の映画『奥様は顔が二つ』への出演で女優業を引退。1990年4月、84歳で死去するまで表舞台に出ることはほとんどありませんでした。
出演作は生涯でわずか28作品ですが、ハリウッドの黄金時代を築き上げたスターとして今もなお多くのファンに愛されている伝説の女優です。

私生活では、映画で共演したジョン・ギルバートと交際していたことがあるものの、長い交際には至らず。その後も交際を公にしていた相手はおらず、生涯独身を貫いたことも知られています。

「若いころ」「昔」の写真11選

まず、グレタ・ガルボの「若いころ」「昔」の写真をピックアップ。

1918年(13歳)

 

1920年代 勤めていたデパートの女性服モデルをしていたことも

 

1923年(18歳)映画『イエスタ・ベルリングの伝説』より

 

1926年(21歳)映画『明眸罪あり』より

 

1927年(22歳)

 

1929年(24歳)映画『船出の朝』より

 

1927年(22歳)映画『アンナ・カレニナ』より

 

1928年(23歳)映画『女の秘密』より

 

1928年(23歳)スウェーデンに向かう船のデッキで

 

1929年(24歳)映画『接吻』より

 

1929年(24歳)映画『船出の朝』撮影中

 

「映画」代表作5選


ここからは、チェックしておきたいグレタ・ガルボの代表出演「映画」をご紹介します。

『アンナ・クリスティ』(1930年)

 

クラレンス・ブラウン監督。E・オニールの戯曲を映画化した作品。グレタ・ガルボ初のトーキー映画となり、大きな話題となった。

あらすじ:親戚の農園で育てられたアンナ・クリスティ(グレタ・ガルボ)は父親が暮らすニューヨークを訪れる。親戚のもとで酷いを扱いを受け、今では娼婦に身を落としているアンナ。父親と15年ぶりの再会を果たした一方で、アンナは水夫のマット(チャールズ・ビッグフォード)に出会い、恋に落ちる。しかし、自身の過去をマットに打ち明けることができずにいた。

『グランド・ホテル』(1932年)

右は、ジョン・バリモア。
右は、ジョン・バリモア。

エドマンド・グールディング監督。ヴィッキー・バウムの小説『人間廃業』が原作。群像劇映画の先駆けとなった作品。共演は、ジョン・バリモア、ウォーレス・ピアリーなど。

あらすじ:ベルリンの一流ホテル「グランド・ホテル」には、さまざまな事情を抱えた人々が滞在している。落ち目のプリマドンナ、グルシンスカヤ(グレタ・ガルボ)は自殺を考えていたところをフォン・ガイゲルン男爵(ジョン・バリモア)の説得で思いとどまる。一夜を共にしたふたりだが、ガイゲルン男爵には別の目的があった。彼は借金返済のため、グルシンスカヤの宝石を盗もうとしていたのだ。

『アンナ・カレニナ』(1935年)

右は、フレドリック・マーク。
右は、フレドリック・マーチ。

クラレンス・ブラウン監督。トルストイの小説が原作。グレタ・ガルボはサイレント映画時代にもアンナ役を演じている。共演は、ベイジー・ラスボーン、フレドリック・マーチなど。

あらすじ:ロシアの官僚カレーニン(ベイジル・ラスボーン)の妻アンナ(グレタ・ガルボ)は、若き将校ヴロンスキー(フレドリック・マーチ)と道ならぬ恋に落ちてしまう。幼い息子への愛はあるものの、ヴロンスキーへの想いも捨てきれないアンナ。世間体を気にするカレーニンは離婚に応じず、ついには駆け落ちを決行するふたり。しかし、情熱的な愛は悲劇の結末を迎えてしまう。

『椿姫』(1936年)

左は、ライオネル・バリモア。
左は、ライオネル・バリモア。

ジョージ・キューカー監督。アレクサンドル・デュマの小説が原作。共演は、ロバート・テイラー、ライオネル・バリモアなど。この作品でグレタ・ガルボはアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。

あらすじ:19世紀のパリ。高級娼婦のマルグリット(グレタ・ガルボ)は、椿姫の異名で金持ちの男たちにもてはやされ、贅沢な日々を過ごしていた。そんな生活に虚しさを感じていたマルグリットの前に、アルマン(ロバート・テイラー)という青年が現れる。アルマンの純粋な愛に心を動かされたマルグリットは、彼との新しい生活を夢見るが、アルマンの父親に交際を反対されてしまい…。

『ニノチカ』(1939年)

 

エルンスト・ルビッチ監督。グレタ・ガルボが初めてコメディ作品に出演し話題となった。この作品でグレタ・ガルボはアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。

あらすじ:冷静沈着で知られるソ連の官僚ニノチカ(グレタ・ガルボ)は、パリで任務に当たっている役人たちのお目付役としてパリに派遣される。ソ連とは何もかもが違うパリの街でニノチカはプレイボーイのレオン(メルヴィン・ダグラス)という男性に出会う。はじめは頑なだったニノチカだが、レオンのロマンチックなアプローチに心を開いていく。

「恋愛」の話題


ハリウッドのトップスターとして、恋愛面も注目されていたグレタ・ガルボ。いくつかの映画で共演したジョン・ギルバートとの交際や指揮者のレオポルド・ストコフスキーとの関係も当時話題となりましたが、私生活について公に語ることも少なく謎の多い女優とされていました。結婚歴はなく、生涯独身を貫いたことも知られています。

「美貌遍歴」12選


次に、1930年代からの「美貌遍歴」をお届けします。モノクロ写真からも伝わる、神々しいまでの美しさに見惚れてしまいます。

1930年ごろ

 

1930年ごろ

 

1930年ごろ

 

1931年(26歳)映画『マタ・ハリ』の衣装で

 

1931年(26歳)映画『マタ・ハリ』プロモーション写真

 

1931年月(26歳)映画『スザン・レノックス』プロモーション写真

 

1932年(27歳)映画『お気に召す儘』撮影中

 

1932年(27歳)映画『グランド・ホテル』撮影中

右は、ジョン・バリモア。
右は、ジョン・バリモア。

1935年(30歳)映画『アンナ・カレニナ』より

 

1936年(31歳)

 

1940年(35歳)

 

1941年(36歳)映画『奥様は顔が二つ』撮影中

 

「引退後」の写真2選


1941年の映画『奥様は顔が二つ』への出演を最後に、女優業を引退したグレタ・ガルボ。女優として絶頂期ともいえる36歳での引退は、世界中に衝撃を与えました。引退後はメディアの前に姿を現すこともなく、静かな日々を過ごしたとされています。
1990年4月、84歳で死去。引退から50年近く経っていたものの、ハリウッドの黄金期を築いた女優の訃報に多くのファンが哀悼の意を表明しました。

1946年(41歳)スウェーデンに向かう船のデッキで

 

1960年ごろ

 

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