2017年3月8日より国立新美術館にてスタートしたミュシャ展。多くのミュシャファン待望のシリーズ、スラヴ叙事詩がチェコの本国以外で、全20点世界初公開とあって、連日賑わいをみせています。この、素晴らしい大ヒット展覧会・ミュシャ展は、一体どのようにして実現したのでしょうか?

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「ミュシャ展」を担当した国立新美術館の本橋弥生さん
「ミュシャ展」を担当した国立新美術館の本橋弥生さん

このミュシャ展を担当した、国立新美術館の主任研究員兼広報・国際室長の本橋弥生さんに、その裏話を教えてもらいました。

――昨年から大きく話題になっていたミュシャ展ですが、現在のところどれくらいの動員があったのでしょうか?

本橋弥生さん(以下、本橋) 4月3日時点で、累計15万人を超えたそうです。想定外だったのが、会場に入るための行列ではなく、チケットとグッズを買うために行列ができているということです。

――グッズですか! どんなものが売れているんですか?

本橋 今回は図録がすごく売れていますね。通常の展覧会だと、図録が売れていると言われている場合でも入場者数の4~5%、多くても10%程度。でもこのミュシャ展では、初日で20%を超えていたのです。なので、最初の1週間で再版が決定して、今までそういった例はなかったので驚いています。

――それだけ関心が高いんですね! 入場は混雑していないのですか?

本橋 国立新美術館は、ほかの美術館だったら行列となるような人数でも、1時間に1000人くらいは入場できるので、今のところチケットを事前に購入していれば、あまり時間はかからないようです。チケットはローソンなどで事前に入手してきていただいたほうが、良いかもしれません。

――順調に来場数を伸ばしているようですが、予定と比べていかがですか?

本橋 多くの方にご高覧いただき、主催者一同とてもうれしく思っています。ミュシャは人気がありますが、今回はアール・ヌーヴォーの作品ではなく、スラヴ叙事詩というややとっつきにくいテーマを取り上げているので、どのように伝えるか苦心しました。ですが、多くの方にご覧いただけてうれしいですし、もっと見ていただけたらいいなと思います。

数年にわたる粘り強い交渉により実現

――今回のミュシャ展の準備は、いつごろから始めたのでしょうか?

本橋 かなりの時間を要した、数年越しの一大プロジェクトなんです。

――最初はどういったことからお話が始まったのでしょう。

本橋 ミュシャはアール・ヌーヴォーの作家としてすごく人気があり、日本でも1年中どこかでミュシャ展が開催されています。でも、ミュシャの画家としての度量はそれだけじゃない。どのミュシャ展でも、最後には「ミュシャは晩年スラヴ叙事詩を手がけました」という終わり方をしているので、いつか日本でそのスラヴ叙事詩を実際に紹介したいなという気持ちが主催者一同にあったのだと思います。実際に展示するならと考えたときに、8mの高さの作品が20点となると、ほかの美術館では難しく、当館のみでの開催となりました。

――それでもかなりの年月がかかってしまうんですね。

本橋 たいてい、展覧会は3年程度準備に時間がかかりますが、今回はさらに政治状況などもあり、時間がかかりましたね。今回は、プラハ市と共催でしたが、最終的にはチェコの文化大臣が開会式に出席されるなど、みなさんのご協力とご理解をいただいて、ようやく実現が可能となった、という感じです。

――チェコからすると国宝のような絵だと思いますが、どういった話し合いをされたのでしょうか。

本橋 いろいろと時間がかかりましたが、私個人としては感覚のすり合わせに時間がかかったように感じています。例えば、スラヴ叙事詩だけでいい、という主張がありましたが、こちらとしては、アール・ヌーヴォーの「ミュシャ」とスラヴ叙事詩の「ムハ(※ミュシャはフランス語での発音で、チェコではムハと呼ばれている)」の片方だけを切り取って展示しても、ミュシャの魅力は十分には伝えられない。見る人からは、「なぜ、ミュシャはスラヴ叙事詩を描いたのか」という疑問が当然起きるので、その答えを、ミュシャの画家としての足跡をたどりながら展示するようなストーリーで提示していくのが重要ですよね、などといった対話をひとつひとつ積み上げていきました(笑)。

美術専門のプロも悩んだ大規模作品

――このサイズの絵をどうやって運んできたのですか? 展示する作業自体も大変そうです。

本橋 カーペットのように巻いて、筒状にして輸送しました。この大きさだと、筒状になったものを開くのも、それを枠にきちんとした形で固定する作業も大変です。今回は、チェコから専門の修復家4名が来日しました。それに加え、ヤマトロジスティクスさんに美術専門の方々がいらっしゃるのですが、その方たちが10人がかりで展示しました。

――日本の方たちは、プロといってもこの大きさは初めてですよね。

本橋 そうですね、>はカンヴァスに描かれているんですが、この大きさの絵が20点もあるのは、世界でもこの作品くらいなんじゃないでしょうか。照明も大ベテランの方にお願いしましたが、こんな大きな作品はやったことがないとおっしゃっていましたね。

――絵を照らす照明にも、美術専門の方がいらっしゃるんですね。

本橋 照明は意外と難しくて、絵が痛まないよう明るさが制限されているんです。本当はもっと明るく見せたいけれど、強い光を当てずにこの巨大な作品をいかに見せるのか、難しかったと聞きました。どの担当もベテランばかりが集まっていましたが、誰にとっても未知の作業でした。

――開幕日が決まっている中で、作業は未知のゾーンというのは準備が大変でしたよね。

本橋 開幕に間に合わないというのはあってはならないことなので、チェコではどうやって展示していたのかなどのリサーチも重ねました。メールでも何度も写真を取り寄せて、どうやって2階に上げるのか、などいろいろ。(編注:今回の会場は国立新美術館の2階の展示室でした)。

――遠く離れているとコミュニケーションが難しいですよね。

本橋 距離もありますし、メールだけではわかりあえない部分がありました。

――交渉から実現まで、何から何まで時間をかけてようやく実現したのが、今回のミュシャ展というわけですね。

本橋 ようやく2012年になって、プラハでスラヴ叙事詩全20点が大々的に展示されました。それまでは、ミュシャが存命だった1928年に1点未完の作品を除いた19点が公開され、1960年以降に田舎の地方でひっそり人知れず展示されたことがあったくらいで、ほとんど見る機会がなかったんです。実は、今回の公開が終わって>がプラハに帰ったあとに、20点展示されるかどうかはわかりません。またしまい込まれてしまう可能性もある。おそらく、この先、私たちが生きている間に日本で見られることはないでしょうし、ではプラハに行ったら見られるかというと、それもわからない。そんな幻の作品が見られる機会は、奇跡に近いと思います。

メディアやSNSでもさかんに取り上げられている今回のミュシャ展。この展示が実現するまでに、主催者一同、スタッフのこんな苦労がありました。それをもってしてでも、見せるべき価値があると判断されたこの>。ミュシャの画家としての力量、そして圧倒的なスケール感を、ぜひ自分の目で確かめてみてください。

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この記事の執筆者
国立新美術館・主任研究員 広報・国際室長。2003年国立新美術館設立準備室の創設以来、国立新美術館に勤務。これまで担当した主な展覧会は、「スキン+ボーンズ――1980年代以降の建築とファッション」(2007年)、「大エルミタージュ展 世紀の顔」(2012年)、「カリフォルニア・デザイン1930-1965」(2013年)、「魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展」(2014年)、「MIYAKE ISSEY展:三宅一生の仕事」(2016年)など。好きなもの:旅行、スノーケリング、ファッション、映画
クレジット :
構成/安念美和子(LIVErary.tokyo)