多彩なジャンルや業態の飲食店が無数に存在し、世界的に見てもエキサイティングな東京のフードシーン。そのなかでも、この連載ではニューオープンを中心に「今」行きたい、大切な「人」を連れていきたい、“大人のためのレストラン”にフォーカス。

今回は、2018年6月29日にオープンした「INUA(イヌア)」をご紹介します。

「noma」の東京出店で芽生えた、日本への想い

今春、食通の間に駆け巡った“世界一のレストラン、「noma(ノーマ)」が日本に店舗をオープンする”という噂。噂は尾ひれはひれを纏うもの。「INUA」は独立した存在で、「noma」の支店ではありませんが、その絆と繋がりは家族ほどに強いもの。「noma」出身のシェフがなぜ東京に「INUA」をオープンしたのか? まずは「noma」時代に遡って話を伺いましょう。

「世界のベストレストラン」で4度1位を獲得し、“世界一予約の取れないレストラン”と称されるデンマーク コペンハーゲンの「noma」。地域性や自然、季節を反映させた新北欧料理(ニュー・ノルディック・キュイジーヌ)を牽引し、“卒業生”たちが世界各国でイノベーティブな料理をつくり出しています。その波及力は、「noma」を求めてデンマークを訪れる人が増え、地元の食産業を中心にデンマークの経済が活性化して“ノマノミクス”という言葉も生まれたほど。「noma」に約10年在籍し、ヘッドシェフであるレネ・レゼピ氏の右腕として活躍したのが「INUA」のヘッドシェフ、トーマス・フレベル氏です。

「レネとは、ここ10年間でもっとも多くの時間を共にしました。上司であり、先生であり、親友。共通する情熱や視点をもち、お互いに刺激し合あうことができる大切な存在です。現在も頻繁に連絡を取り合っていますし、INUAのスタッフにもnomaで一緒に働いた仲間が何人もいます。姉妹店ではありませんが、nomaとは深い関係にありますね」(トーマス氏)

ドイツ出身のトーマス・フレベル氏。2009年から「noma」に加わり、R&D(リサーチ、開発)チームのトップとして活躍。

東京出店への想いがトーマス氏に芽生えたのも、「noma」あってのこと。2015年に「noma」初となる国外でのポップアップレストランを東京で開催したときのことです。「その後シドニーとメキシコでもポップアップを行いますが、初めてで、いちばんタフだったのが東京。言葉も現地の食材もわからず、すべてが手探り。ブラックホールに飛び込んだような気持ちでした」(トーマス氏)。彼が直面したのは、ゼロから「noma」をつくり、週6日、昼・夜と世界中から訪れるゲストの期待に応えなければならない状況でした(なんとキャンセル待ちは6.5万人にも及んだとか)。個人的な感想で恐縮ですが、密着したドキュメンタリー映画でも、トーマス氏が悩み、ナーバスになっている様子は印象的でした。それだけに、なぜ東京を選んだのかが不思議だったのですが……。

ポップアップや食材探求など、「noma」を通して世界を巡った彼から見ても東京は“食の中心”だといいます。「そういう場所で挑戦をしてみたかったということもありますが、いちばんの理由は日本が好きだから。ポップアップが終了して日本を去るとき、『ここでやり残したことがある』『まだ終わっていない』と痛烈に感じました。日本以外にこんな感情を抱いた国はありません」。食材を求めて日本各地を訪れ、自然に触れ、生産者に接し、すっかり日本に恋をしたのだとか。

インテリアのコンセプトは“日本と北欧の融合”。ビルの9階に位置し、都心にありながら開放感たっぷり。無垢のオーク材や諸所に配置されたグリーンなど、ナチュラルなものを中心に構成された空間です。トーマス氏が選んだ北欧と日本の作家によるアートの数々にも注目を。

「INUA」のフィルターを通して味わう、まだ知らぬ日本の魅力 

「日本のどこに魅力を感じるのかといえば、まずは自然。季節と地域によって多様な気候があること。伝統を大切にすると同時に、新しい物事にも敏感であること。新旧をはじめ、相反するものが融合している点です」と語るトーマス氏。「INUA」が提供するのは、まさにその想いを皿に描いたような料理たち。

例えば、コースの冒頭に登場するスナックパインと柑橘類の一皿。

料理は12〜13品¥29,000のコース1本。こちらは1品めに登場する「シトラス-沖縄のスナックパインとシトラス」。ドリンクもペアリングのコースを用意し、ワインペアリングは¥16,000〜。ナチュラルワインを中心に各国からセレクトし、日本ワインや日本酒も登場。ノンアルコールは¥10,000。旬の食材をいかしたジュースやコンブチャなど自家製ドリンクがそろいます。

ドキュメンタリー映画の原題になった“Ants on shrimp(蟻をのせた海老)”をはじめ、既存の概念を覆す独創的な料理で知られる「noma」(※映画の邦題は『ノーマ東京 世界一のレストランが日本にやって来た』)。そのDNAを色濃く宿す「INUA」では一体どんな料理が出てくるんだろう……と、私たちはそれこそ固定観念に囚われてしまいます。「最初の一皿はとても重要です。内装、カトラリー、オープンキッチンの雰囲気など初めて接する情報が多く、お客様は推測や期待で頭の中が一杯になっていることでしょう。そこに“さあ、始まるよ!”と顔を軽く叩くようなイメージで考案しました。主な食材はパイナップル、柑橘、昆布のオイル。皆さんになじみのある食材でしょう? ここから始まる時間と料理に集中していただくため、複雑ではなくシンプルにしたかったのです」(トーマス氏)。とはいっても、私たちにとっては、なじみのある食材が新鮮な組み合わせと色彩で目と舌に働きかけてくることが既に衝撃的。それも含めて、食事前のどこか落ち着かない気分をしゃきっとさせてくれるような一品です。

食材はほぼ日本のもの。2〜3年をかけて探しただけでなく、現在も担当チームをつくり、食材の探求に力を入れています。そうして選び抜いた日本の食材を使い(=自然を感じさせ)、はっとする組み合わせで仕上げる(=相反するものが融合する)――シンプルながら、トーマス氏を惹きつける日本の魅力が凝縮された料理といえます。

コースの2品目に登場する「えだまめ-皮ごと焼いた枝豆、ヤリイカのダシとロケットの花」。ルッコラの花の下に枝豆のスープが潜んでいます。

「えだまめ」と題した2品目からは急展開。一気に複雑な味覚の世界へと突入します。可憐に見えて、食べ進めるほどにさまざまな要素が舌と心を刺激します。「これも皆さんになじみのある食材ばかりで全体としては優しい味ですが、食べるうち、ひと口ごとに違う顔が覗くことに気づくでしょう。甘み、辛み、塩味、酸味、ナッティな芳ばしさ、フラワリーな香り……味覚のジェットコースターに乗っているように」(トーマス氏)

炒った枝豆のスープと、そこに加えたヤリイカから取った出汁。両者には共通するナッティなフレーバーがあります。各々の食材に潜む要素を手間暇をかけて引き出しているんですね。一皿に多くの要素が凝縮されているのは、時間をかけて内在する味を引き出した食材を組み合わせているから。全60席に対してキッチンスタッフは20人以上。ゲストを通すフロアとは別に、テストキッチンを含むフロアがもうひとつ存在することからも、いかに食材に真摯であり、たゆまず料理の完成度を高めようとしているかが窺えます。

コースの5品目に登場する「ゆば-湯葉に包まれた野菜の花」。「湯葉は出来たてがいちばん!」と語るトーマス氏の言葉通り、それぞれのゲストのタイミングに合わせて、引き上げたばかりの湯葉を提供します。

目にも華やかなこちら、何の料理だと思いますか?  なんと、湯葉。“旬のショーケース”を目指して、日本の夏を表現したもの。ナスタチウムに加え、大根やきゅうりなど、この時期に咲く野菜の花に湯葉ならではの食感とクリーミーな味わいを加えて完成する料理です。ニッポンの夏とは、かくも鮮烈なものだったか……。「INUA」のフィルターを通して味わう「日本」は、新鮮な発見と心地よい刺激の連続。それは蜂の子と味わう炊きたてのごはん、唐檜(松科の針葉樹)と合わせたサルナシ(キウイのような果物)のデザートまで続きます。ちなみにサルナシは山菜と並んでトーマス氏が衝撃を受けた日本の食材だとか。山菜の季節も楽しみですね。

器やジャー、カトラリーなどテーブルの上にのるものはすべてトーマス氏がInstagramで探した日本人作家によるもの。色や質感に惹かれたという約15人の作品が料理を引き立てます。

「食」は五感と知的好奇心を満たすコンテンツ 

お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、夏のコースは野菜と果物を中心としたメニュー。肉が登場しません。「夏は暑さがこたえる時期。消化に時間がかかるヘビーな食事であれば、さらに身体の負担になります。お客様がINUAを訪れた翌日、心も身体もすっきりと過ごせるような料理たちを考えました。もちろん、“ものすごくおいしいこと”が大前提。コンセプトがよくても、手間暇をかけていても、味がよくなければまた来たいという気持ちにはなりませんよね。“まあまあ”や“おいしい”でも足りません。“ものすごくおいしい”ことが重要です」と語るトーマス氏。

「noma」でレネシェフを支えた彼の“ものすごくおいしい”とは……?  「酸味や甘味など、旨味まで含めて味覚のバランスが取れていること。スパイスの効かせ方や食感も重視しています。ひと皿のなかでも味や食感の変化が楽しめる料理。コースで提供するなら、全体の流れのなかで温度も含めてそういった変化が感じられるように」(トーマス氏)。一皿目で雑念をリセットしたのち、めくるめく展開を見せる「INUA」の数時間。訪れた人が“素”でいられる場所を提供したいとトーマス氏は言います。過去も未来も気にせず、ただ今、この時間を楽しんでほしいと。「そこから何かインスピレーションを得ていただけたら最高です」(トーマス氏)。

「noma」は食事の枠を拡げ、空間や接客も含めて「体験を楽しむ」域へと導きました。そのDNAは今、日本の食材とともに、東京で新たな物語を紡ぎ始めたばかり。「INUA」を運営するのは、出版・映画事業を手がける日本有数のコンテンツ・カンパニー「KADOKAWA」。異業種への参入に見えて、いちばん大切な、根本にある芯は「noma」と同じ。誤解を恐れずにいえば、「食」は五感を満たし、知的好奇心に応える魅力的なコンテンツと捉えることができます。「INUA」を訪れるとき、私たちは決して傍観者ではありません。「INUA」が解釈した日本の自然と食材を、どう捉え、感じるか。ここで過ごす時間は、「INUA」と私たち自身が綴る物語なのです。

「INUA」とは、イヌイットの言葉で「生きとし生けるものに内在する精神」。食材探求の旅で北海道とグリーンランドを訪れた時、トーマス氏は双方に通ずるものを感じたといいます。その際、グリーンランドで出合った「INUA」という言葉が、ふたつの土地に抱いた感情と相まって、より深く心に響いたのだとか。国境、環境、宗教、人種、それらすべてに関係なく共通する感覚、精神があるーー。「INUA」がうむ料理、ひいては物語は、きっと誰もの心を揺さぶるものに違いありません。

トーマス氏を囲んで、「INUA」のスタッフが集合! チーム力の高さで知られる「noma」を肌で知る彼だけあって、チームこそ店の要だと考えています。「INUAは自分ひとりではなく、皆でつくり上げているもの。スタッフ全員に、INUAというプロジェクトの大切な一員であると認識してほしいのです。スタッフは長い時間を過ごし語りあう、それこそ結婚相手のような存在。お互いを尊重し、信頼し、サポートし合うチームにしたいですね。そして、スタッフにもINUAでの時間を楽しんでほしい。チームのポジティブなパワーはお客様にも伝わると思います」(トーマス氏)。

問い合わせ先

  • INUA 
    営業時間/17:00〜21:15(LO)
    定休日/日曜、月曜
    コースのみ(全12〜13品前後¥29,000)。ワインペアリング¥16,000〜、ノンアルコールペアリング¥10,000。
    全60席、個室1室(12名まで対応)。
    予約はウェブサイトで受け付け、最大で2か月先の予約が可能。次月の予約開始日はウェブサイトやSNSで告知。
    住所/東京都千代田区富士見2-13-12 KADOKAWA富士見ビル9F
    ※本記事中の価格は税抜きです。
    ※上記は取材時の内容です。最新の情報についてはお店にお問い合わせください。

この記事の執筆者
早稲田大学卒業後、アシェット(現ハースト)婦人画報社に入社。『エル・ジャポン』、『エル・ガール』、「エル・オンライン」編集部を経て独立。現在はフリーランスのエディター、ライターとして紙/Webの両媒体を中心に、主にファッション、フード、ライフスタイルのジャンルで活動。セレクトショップ「ドローイングナンバーズ」ではワイン&フードのセレクトも担当。日本ソムリエ協会認定ワインエキスパート。
EDIT&WRITING :
門前直子