「行っちゃったわね。タマミ」
カヨコさん(55歳)は、次女のタマミさんを乗せた新幹線が動き出すと、隣にいた夫のシンペイさん(58歳)に聞かせるともなく、そう呟きました。
優柔不断な夫に対する不満が積もり積もって「離婚」を考えている
カヨコさんは、短大の英文学部を卒業後、20歳で商社に就職。同じ職場で、3歳年上のシンペイさんと出会い、付き合い始めました。そして、当然のように結婚への流れができました。真面目で誠実な反面、優柔不断なシンペイさんに物足りなさを感じていたものの、断る理由も見つからなかったため、1988年10月に結婚。カヨコさんが25歳、シンペイさんが28歳の時でした。
結婚を機に、商社を退職したカヨコさんは、以来30年間、一度も働くことなく、主婦業に専念してきました。結婚した翌年(1989年)には長女のスミレさん、1993年には次女のタマミさんが生まれて、子育てに忙しくなったこともありますが、シンペイさんの収入が高く、経済的に困ることもなかったからです。
結婚10年目には、東京杉並区にマンションを購入。娘は2人とも中学からミッション系の私立に通わせ、そのまま大学までエスカレーター式で進学しました。その娘たちも、大人として立派に成長。長女のスミレさんは昨年結婚し、自分たちの家庭を築いています。
次女のタマミさんは、念願の全国新聞の記者として採用され、取材に忙しい日々を送っています。そして、この秋から名古屋支局に配属されることになり、先日、カヨコさんとシンペイさんは、転勤するタマミさんを見送りに行ってきたというわけです。
はたから見ると、カヨコさんとシンペイさんは、絵に描いたような幸せな夫婦です。でも、結婚してからずっと、カヨコさんの心のなかには、優柔不断なシンペイさんに対する不満が蓄積されていったのです。
「マンションを買うときも、娘たちの進学先を決めるときも、夫は『カヨコの好きなようにすればいいよ』って。優しいと言えば聞こえはいいけれど、結局、面倒くさいことは考えたくないんです。だから、全部、私に決めさせて、何か起こっても、『カヨコが決めたんだろ』って。子どもの進学先や結婚問題のように大きなことだけじゃなくて、何を食べるか、家族旅行はどこに行くかなど、日常的なことも、一時が万事、私任せの30年間でした。そして、いつの間にか、夫には何も相談しなくなり、会話らしい会話もなくなりました」(カヨコさん)
シンペイさんのおかげで、経済的に困ることはなかったけれど、その暮らしは心が満ち足りたものではなかったようです。そんなカヨコさんの心のよりどころは、スミレさんとタマミさんでした。娘というよりも、3姉妹のように何でも相談し合い、どこに行くにも一緒に出掛けていました。そんな娘たちが、結婚、仕事で、相次いで家を出てしまったのです。
「娘たちのいなくなった家で、夫とふたりでいても、ほとんど会話はありません。今は、夫は日中は働きに行っていて、家にはいないけれど、定年退職してずっと家にいるようになったらと思うと、なんだか気が滅入ってしまって。娘たちも成長し、自分の足で歩き始めているので、離婚して私も新しい人生を歩みたいと思っているんです」
とはいえ、お金がなければ、ひとりで暮らしていくことはできません。そこで、カヨコさんは、シンペイさんが60歳になって定年退職するときに、退職金の一部を分けてもらって離婚したいと考えています。そして、離婚する上で、もうひとつ気になるお金のことが、老後の年金です。
「この間、娘の幼稚園時代のママ友とおしゃべりしていたら、離婚しても夫の年金の半分をもらえると小耳にはさんだのですが、本当でしょうか。年金を半分もらえれば、私も働かなくてもやっていけるかもしれないと思って。実際、私の場合は、どのくらい夫の年金を受け取れるのでしょうか?」
専業主婦の妻が離婚するともらえる年金は、国民年金だけ⁉
バブルの崩壊以降、年々、増え続けていた離婚件数は、2002年の28万9836組をピークに減少しはじめ、2017年は21万2262組となりました。離婚は減少傾向にあるものの、それでも2分30秒に1組のカップルが離婚しており、身近な問題であることは変わりありません。
離婚には、慰謝料や養育費、財産分与など、お金の問題がつきものですが、もうひとつ注意したいのが年金です。そこで、今回は『大図解 届け出だけでもらえるお金』(プレジデント社)などの著書がある社会保険労務士の井戸美枝さんに、離婚で損しないための年金について伺いました。
老後の年金は、原則的に加入者本人しか受け取ることができません。そのため、以前は、専業主婦の女性が離婚すると、老後にもらえる年金は老齢基礎年金(国民年金)だけでした。老齢基礎年金は、満額でも年間77万9300円(2018年度)です。結婚前に会社勤めをして厚生年金に加入していれば、働いたぶんの老齢厚生年金の上乗せがありますが、若い頃に数年間働いた程度では、年間10万円にも満たない金額にしかなりません。
一方、会社員の夫は、老齢基礎年金に加えて、老齢厚生年金ももらえます。老齢厚生年金は、年間100万円、200万円などになるのが一般的です。老齢厚生年金は、働いた期間とその間の給与の額によって受け取る年金額が決まるので、30~40年と長く働き、その間に昇給して給与も上がっていけば、もらえる年金も増えるからです。
「夫婦が一緒に暮らしていれば、2人の年金を合わせて生活できますが、離婚という事態になると、老齢基礎年金しかもらえない妻は、不利になります。裁判で、離婚した夫の年金を妻に分けてもらうように取り決めることも可能でしたが、国から支給される年金は夫名義の口座に振り込まれるので、夫に払う意志がなければ、それまでです。そのため、離婚した女性の年金事情は、非常に厳しいものがあったのです」(井戸さん)
こうした事情を考慮して、2004年度の年金制度改革で導入されたのが「厚生年金の保険料納付記録の分割(離婚分割)」です。
「2007年4月以降にした離婚」なら、婚姻期間中の夫の年金を分割できる
2007年4月以降に離婚した場合、婚姻期間中に会社員の夫が納めた保険料に相当する、老齢厚生年金の一部を分割して、専業主婦の妻が受給できるようになったのです。共働きで、妻が会社員の場合も、離婚分割をすることはできます。
「分割する年金の割合は、夫婦間の話し合いで取り決めますが、合意しない場合は裁判所の判断にゆだねることになります。ただし、夫婦の年金合計額の2分の1が上限になります。共働きで妻の収入の方が多い場合は、妻の年金を夫に分割するケースも出てきますが、話し合いで分割しないと決めることもできます」(井戸さん)
2008年4月からは、会社員の夫の保険料納付記録の2分の1が、専業主婦の妻に自動的に分割されるようになっています。そのため、2008年4月以降に納めた保険料に相当する年金については、夫婦が合意しなくても、年金事務所に申請すれば、夫の厚生年金の半分が専業主婦の妻のものになります。ただし、自動的に分割されるのは婚姻期間中のすべてではなく、2008年4月以降の妻が専業主婦期間のみです。
それ以前の婚姻期間中の夫の年金を分割してもらうには、やはり夫婦での協議が必要です。カヨコさんのように婚姻期間が30年と長く、2008年4月以前に結婚した人は、夫婦で話し合って分割する必要があります。
このように、離婚分割は少々複雑ですが、利用すれば、夫の老齢厚生年金の半分を、妻の銀行口座に国から直接振り込んでもらえるので、確実に老後資金を受け取ることができるようになります。熟年離婚に限ったことではありませんが、離婚を考えている人は、覚えておきたい制度です。
カヨコさんは、今から2年後に夫が定年退職するのと同時に、離婚を切り出したいと考えています。婚姻期間は32年で、その間ずっとカヨコさんは専業主婦です。夫との話し合いがまとまれば、夫が納めた年金保険料に相当する額の年金の2分の1を受け取ることができます。
では、カヨコさんが離婚分割をした場合、どのくらい年金を増やすことができるようでしょうか? 後編では、具体的にカヨコさんがもらえる年金額を、井戸さんに試算していただきます。
【連載:「今さら聞けないお金のお話」バックナンバーはこちら】
- TEXT :
- 早川幸子さん フリーランスライター