今を力強く生きる女性たちに寄り添い、かけがえのない時を紡ぐエルメス。愛用の品を巡る「彼女」たちの物語を通して、エルメスの本質的な魅力を探る新連載が始まります。初回は作家の朝吹真理子さんが、祖母から母を経て、譲り受けた大切なバッグのお話から…。

「祖母との思い出も、職人の手仕事の時間もすべてを受け継いでゆく」

東京都庭園美術館内のカフェ庭園にて。

ここ数年は毎朝、自宅を出て、カフェを巡り歩いて執筆するスタイルが心地いいという朝吹さん。この日は、緑深い「庭園美術館」のカフェへ。傍らには、パソコンとチョコレート色の「ケリー」。7年ぶりとなる新刊の『TIMELESS』(新潮社刊)も、こうして都内のカフェで書き進められた。

「祖母はもういないけれど、バッグは残って、今、生きている私が使っている。ようやく命が戻った『ケリー』。固定観念を解き放って、軽やかに持ちたい」

作家の朝吹真理子さんの『ケリー』は、祖母、母、ご自身へと譲り受けたもの。

「物の命は人より長い。このバッグが物とともに生きるという喜びを教えてくれた」

ここに1982年製の黒に近いチョコレート色をした「ケリー」がある。外縫いで、底の幅が28㎝というサイズ。持ち主は作家の朝吹真理子さん。日本の若きアカデミズム最先端のシーンを彩る、しなやかで美しい女性のひとりだ。

「亡くなった祖母が使っていたもので、あるとき母に譲られたのですが、長く押し入れの奥に入れたままで…。見つけたときはまるで“お焼き”のようにぺちゃんこでした。クラシックなバッグだけど、若い人がカジュアルに合わせるのが意外にかっこいいねと、母から私のところにやってきたのです」

祖母の朝吹 京さんは、シャンソン歌手の石井好子さんの姉で、ピアニストでありながら、銀座で広告代理店を創業し、女傑と呼ばれたキャリア女性の先駆けだ。海外へ行くことが多く、パリのエルメスで求めたのがこの「ケリー」だった。

明るくて、快活な祖母との楽しい思い出は、たくさんある。このバッグを手にするたび、すらりとした長身でおしゃれだった祖母の姿や、いつも身につけていた香り、スキー場で一緒に食べたワンタンメンの味まで、思い出されるという。

そんな大切な物だから、とことん自分のものにして、かっこよく使い込みたい。もっとぼろぼろになるくらい…。そのためには、手遅れになる前にというすすめもあって、“お焼き”状態だったバッグを修理に出した。通称「お磨き」とエルメスではいう。染め直すことはせず、補色は最低限だが、擦れた角もきれいに整い、まるでプレスをかけたようにシャキッと、新品と見紛う美しさで蘇った。

修理にあたった職人さんに尋ねたところ、目を凝らすと微かに浮かんで見えるバッグの裏のわずかなシワに、“お焼き”の名残があるという。そんなところも味わいがあって素敵だ。

朝吹さん所有の『ケリー』。ある日、まだ恋人だった夫から、会食に誘われたときのこと。「いよいよ、このバッグの出番。そんなに大ぶりではないのに、収納力が抜群だから…」となぜか彼女が『ケリー』の中に入れて行ったのは、翌日の食事用の“米”と“カブ”だった。理由はどうあれ、皆が驚いたのは想像に難くない。

朝吹さんは、この夏、「国立新美術館」で開催されるエルメスの展覧会に合わせて、10篇の物語を書き下ろしている。そのため、昨年は2回ほどパリのアトリエを訪れ、歴史についても勉強した。エルメスのことを知れば知るほど好きになった。物に対するリスペクトがあり、こちらが理解すれば、物が応えてくれる。だから媚がなく、いい意味で敷居が高いのだとわかり、生涯つきあっていけるメゾンだと思った。

「アトリエでは手仕事の喜びを感じました。職人さんが歌うように革を縫っていました。そしてどの作業をする人も、すべての工程を知っていて、職人として生きることに誇りをもっている。ひとつの鞄に流れている時間を思うと、この『ケリー』を持つことは、職人たちの技も、費やした時間も請け合うことだと理解したのです」

彼女の小説を読んだことがある人なら、こうした時間に対する繊細な意識は、とても彼女らしいと思うだろう。芥川賞を受賞した『きことわ』をはじめ、新作の『TIMELESS』でも、過去と未来をごく自然に、そして自在に行き来する感覚が、とても心地いい。彼女はバッグに寄り添う“時”を愛おしく感じるのだ。

「物の命は人よりも長い。この『ケリー』をつくった職人はおそらくもういないでしょう。そして祖母もこの世にはいません。でもバッグは残っていて、今、生きている私が、祖母や母の思い出とともに使っている。そしていつか縁のある人に渡ればいいなと思う。このバッグを持つことで、自分ひとりだけでなく、現在だけでもなく、過去と未来のさまざまな人の時間まで共有できるのが魅力です」

「修理しながら使っていくという文化は、物と人とのつきあい方として好き。古い茶道具のように、今、私が“お預かり”しているという感覚です」

「銀座メゾンエルメス」には、職人たちのアトリエがある。修理にあたる職人は、ひとりで最初からバッグをつくることができるテクニックをもつ腕利きぞろいだ。朝吹さんが“お焼き”と表現していた古い「ケリー」も、ここでその命を蘇らせた。
朝吹真理子さん
作家
(あさぶき まりこ)小説家。1984年生まれ。慶應義塾大学大学院国文学専攻修士課程修了。2010年、デビュー作の『流跡』で第20回ドゥマゴ文学賞を受賞。2011年『きことわ』で第144回芥川賞を受賞。2018年6月に7年ぶりの新作『TIMELESS』(新潮社刊)が発売されたばかり。また2018年7月11日(水)よりエルメスが「国立新美術館」と共に開催するシネマ的設定の観客参加型展覧会「彼女と。」に並行して、10篇の物語を書き下ろした。自身の「ケリー」を巡る体験を基にしたシーンも出てくるから、探してみるのも楽しい。冊子をご希望の方はエルメスブティックへ(2018年7月11日(水)~)。

※この特集で使用した商品はすべて私物です。

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この記事の執筆者
TEXT :
Precious.jp編集部 
BY :
『Precious8月号』小学館、2018年
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PHOTO :
浅井佳代子
HAIR MAKE :
福沢京子
MODEL :
朝吹真理子
COOPERATION :
カフェ庭園(東京都庭園美術館内)
EDIT&WRITING :
藤田由美・遠藤智子(Precious)
RECONSTRUCT :
安念美和子