「パンが無ければ、お菓子を食べればいいじゃない」と彼女は言った?
…こちらの名言、フランス革命のひきがねともなった、王妃マリー・アントワネットの名言として広く知られておりますね。飢餓と重税に苦しむ国民の貧しさを1ミリも理解しようとしない、傲慢で贅沢三昧な王妃の無教養ぶりを露呈する、大変ネガティブな名言として有名です。
しかしこの名言、実は、マリー・アントワネットの発した言葉ではない、という事実、みなさまご存知でしたか?
アントワネットの言葉でないのなら、一体、誰が言ったのでしょうか?
「パンが無ければ、お菓子を食べればいいじゃない」は濡れ衣だった!
この言葉の起源ではないか? とされるのが、フランスの哲学者、ジャン・ジャック・ルソーの自伝『告白』です。
まずは、その記述が登場するまでの『告白』の流れを要約しますと…。
ルソーがあるとき、ワインの供にパンが欲しいと思ったものの、そのときの自身の服装があまりにオシャレすぎて、ふつうのパン屋に入っていくにはちょっとな、と感じたそうで。その際にふと、「ある大変に身分の高い女性」の言葉を思い出すのです。
~とうとうある王女がこまったあげくに言ったという言葉を思いだした。百姓どもには食べるパンがございません、といわれて、「ではブリオシュ〔パン菓子〕を食べるがいい」と答えたというその言葉である。~
そこでルソーはパン屋ではなく、高級菓子店に赴く…という内容です。
これが、どうやら後年、いろいろな物語や歴史家に引用される際、あたかもフランス革命直前のマリー・アントワネットの言葉であったかのように、広まってしまったようなのです。
このエピソードが登場するルソーの自伝『告白』が書かれたとき、マリー・アントワネットはまだ9歳
しかし、ルソーの自伝に登場する「ある王女」が、マリー・アントワネットであるはずがないのです。なぜならば、この自伝が書かれたのは1765年。当時、マリー・アントワネットはまだ9歳。オーストリアの親元で子供時代を過ごしており、後年フランスに嫁ぐという話もまだ、まったく出ていないころなのです。当然、フランスに住むルソーが、その存在を知るすべもなかったはず。
また、『告白』はルソーの自伝と言う様式をとってはいますが、史実と照らし合わせると、ルソーが事実とは異なる演出を加えた、半ば創作の小話も入っている、という見方も多いのです。
マリー・アントワネットは浪費家だったとも言われていますが「飢饉の際に宮廷費を削って寄付をした」など、軽薄ばかりとはいえない一面も持っていたようです。
いずれにしても、「パンが無ければお菓子を食べればいいじゃない」という言葉を、マリー・アントワネットが発した、という史実はどこにも残っておらず、その名言のネタ元と思われる著作にも関わりようがなかった、というのが真実。
この名言とアントワネットが結びつけられたのは、後年のアンチ王政の歴史家の演説によるものだ、という説や、そもそもフランス人でないアントワネットに、フランス国内のアンチ派も多く、暦年のフランス王政の諸悪の根源イメージを背負わせるのが「都合がいい」と考えた彼らの意図によるものだ、という説など、諸説混在し、正確な起源は明らかではありません。
それにしては「パンが無ければお菓子を食べればいいじゃない」=マリー・アントワネット、というイメージは、あまりにも広く流布されてしまいましたよね。
彼女はいろいろな意味で「悲劇の王妃」なのです。
- TEXT :
- Precious.jp編集部
- ILLUSTRATION :
- 小出真朱