住環境の変化により、縮小している「人形」業界。かつては子供が生まれると家族で飾り付けし、お祝いする風習が、昨今大きく変化しています。
東京・浅草橋に本店を置く、創業100余年、雛人形や五月人形で有名な木目込み人形店・原孝洲。赤ちゃんのようにぽっちゃりとしたお顔が特徴的な人形店として、人形業界の中でも、順調な経営を続けています。
そこで、人形師兼CEOとしてご活躍する原裕子さんに、「五色株式会社」の経営についてや、人形つくりの想い、今後の目標などをお聞きしました。順調に経営を続けられている理由は、どこにあるのでしょうか?
現代にあった人形作りを通して「愛を伝えるお手伝い」をすることが自分の使命
三世人形師として、家業を継いだのは自分の意思
Precious.jp編集部(以下同)――創業100年を超える御社ですが、原さんが家業を受け継いだ理由はなぜでしょうか?
小さいころから祖父である初代・原米洲、母である二世・原孝洲を見て育ってきました。お人形が常に近くにある環境が当たり前でしたが、祖父や母に家業を継ぐことを強要されたことは一度もなく、「好きなこと、やりたいことを見つければいい」と言われていました。
美術大学に進学し、世界を見てみたいと海外に留学をしたのですが、日本から出て海外で何を見ても、深く心を動かされるものはありませんでした。その話を留学していたときのルームメイトに話をしたところ、「家の仕事が素敵すぎるから、それ以上のものは見つからないんじゃないかな?」と言われたんです。それがきっかけで家業を継ぐことを決めました。
「原孝洲」の木目込み人形が、人々から支持され続ける理由
――御社の人形は、一般的な人形とは形状がとても異なりますよね?
弊社が制作しているお人形は「木目込み人形」というもので、一般的に雛人形としてイメージされるお人形の「衣裳着」とは異なるものです。木目込み人形とは、桐の木の粉と糊を混ぜ、それを型に詰めて乾燥させ、その本体の溝にお衣装を糊付けしたものです。
戦後の日本では、三世代、四世代がともに暮らしていた大きな家族の中、新しい命の誕生をお祝いする家族の大切な行事として、お節句のお飾りをしていました。しかし、核家族化が進む中で、別居なさっている祖父母から、お孫さんにお人形を贈るという行為が生まれました。
でも、現代では赤ちゃんが生まれてきてくれたという「奇跡」に感謝し、お子様方の健やかな成長を願うため、ご両親がお人形を購入するという風習に変わってきています。そんな中で、弊社が制作する「木目込み人形」を選んでくださる方が多くいらっしゃるのは、ありがたいことです。
――御社の木目込み人形が支持されるのは、なぜだと思いますか?
一般的にお人形を大量に販売している大手人形店は「卸し、小売り」なんです。外部に制作を依頼し買い付け、それを店舗で販売するという形です。
弊社は、企画から制作、販売に至るまで、すべてを自社で行っています。現在は全国でも、すべてを行う工房を持っている人形店は、片手で数えるくらいしか残っていません。
私は経営者としてというより、人形師として、弊社で制作している、すべてのお人形の監修やデザインをしています。ひとつひとつのお人形のお衣装を買い付けし、どのようなお人形を制作するかを決めています。
現代におけるお人形は「両親が、生まれてきてくれた我が子に愛を伝えるため」として存在しているように思います。少子化、住環境が変化などの理由から、お人形を飾る風習は着実に変化しています。
そんな中で、現代の住環境にあった、飾る場所を選ばないお人形を、子供が生まれてきてくれた奇跡に感謝し、ご両親自らが購入するようになっています。弊社では現代の住環境に適したお人形の制作・販売を行っています。
お人形は、生活必需品ではないんです。お人形が無くても生活にはまったく困らない。親御さんがお子さまにお人形を買う理由、それは「愛」以外の何ものでもないと思うんです。
お人形の役割は、「お子さま、赤ちゃんに降りかかる厄をお人形が代わりに受け止めてくれるから」だと言われています。「生まれてきてくれたお子さまを災いから守りたい」「目で見える形で愛情を伝えたい」。そのの愛情だけが、生活必需品ではないお人形を買う理由なんです。
「その愛情を表現するお手伝いをすること」、それがこの家業を受け継いだ自分の使命だと考え、お人形を作り続けています。きっと、その気持ちが、弊社のお人形を選んでくださる方々に伝わっているのかな、と思います。
――人形は、すべて原さんが制作しているのですか?
一般に人形師というと、0から100まですべてを作っている、という印象があるかもしれませんが、そうではないんです。お人形というのは、細かい多くのパーツから作られいて、それぞれの職人が各パーツを作っています。弊社は自社に職人がいて、人形師の私がデザインし監修したものを、各職人が作っています。
顔を描く高い技術が必要とされる「面相師」、胡粉という貝殻でつくられた塗料で真っ白な肌に仕上げる「頭師」、絹糸で作った髪を丹念に植え込む「髪付け師」、衣装に本金箔で蒔絵を描く「蒔絵師」それ以外にも、桐の木から胴体を作る職人、衣装を木目込む職人もいます。すべてを、プロフェッショナルなひとりひとりの職人たちが、丹精込めて制作しています。
天才だった祖父と、同じ人形師を名乗ることに葛藤し続けた過去
――現在、原さんは人形師と呼ばれていますが、そのことについてどう思いますか?
正直、家業を手伝い始めた20年前から数年前までは「人形師」と呼ばれることに、とても抵抗を感じていました。自分がまだ未熟であると認識していたからです。
また、何より自分が人形師だと言い切れなかった理由は、天才だった初代人形師の祖父と同じように「人形師」と名乗ってはいけないのではないか、という葛藤がずっとありました。
――初代の原米洲さんが天才だった、と感じるのはなぜでしょう?
祖父が作ったお人形は、本当に特別なんです。祖父のお人形を飾ると、部屋の空気が一変する。何とも言えない気品とパワーが部屋全体に漂うのがわかるんです。そのことを一番感じたのは、自分の娘の初節句で、祖父が残してくれたお人形を飾った時でした。
私が中学生の時に祖父は他界しているのですが、「未来に生まれてくるひ孫のために」と、お人形を残してくれていたんです。そのお人形に、二世・原孝洲が作った小物や、自分が作った屏風などを合わせて部屋に飾った瞬間に、その部屋が凛とした空気感に包まれました。それを肌で感じた時「祖父は天才だった」と改めて実感しました。
また、生前の祖父が言っていたのは、「人形は作るのではなく、木の中にお人形がいるから、自分はそれを外に出してあげるだけ」だと。それこそが天才だったのだと思います。
――現在は「人形師」と呼ばれることに葛藤がなくなったのでしょうか?
まだ100%葛藤がなくなったわけではないんです。でも「愛を伝えるためのお人形を作ることが使命」と思えるようになってから、人形師を名乗ることに少しずつ抵抗がなくなってきました。また、周りの方が「人形師」と言って、認めてくださっていることも、抵抗がなくなってきた理由です。
経営はご主人と二人三脚、持ちつ持たれつ
――CEOとしてもご活躍だと聞いていますが、人形師として実務を行いながら、経営を行うことはとても大変なことなのではないのでしょうか?
正直、家業を継いだ責任として、CEOと名乗ってはいますが、私は0から1を生み出すことに専念しています。残りの1から100までは、主人がすべて担ってくれています。ですので「経営者」というのとは違うと思います。
私は0から1を生み出せるけど、100にはできない。主人は0から1は生み出せないけど、1から100にできる。お互い足りないものを補って、二人三脚で「五色株式会社」を守っています。
ただ、主人と私は、「お人形を通して愛を伝えたい、という方のお手伝いをすることが、自分たちの使命」という共通の認識をもっています。その共通の認識が、弊社の経営が順調な理由かと思います。
「目は腐る」。初代、二世から学んだ事は「本物を見る目」
ーー無形文化財である、初代・原米洲さん、二世・原孝洲さんから学んだことは?
本物を見る目です。小さいころから「目は腐るから本物を見なさい」を教えられてきました。ありがたいことに、その教えのもと、小さいころから常に一流のものを見て、触って、匂いを嗅いで育ってきました。
何歳になっても「本物を見る目」は養えると思います。その本物を見てきた感性を使い、現在、お人形を作らせていただいています。お人形に欠かせない、お衣装も自身の感性で選び、その織物に描く模様も自身で決定しています。感性を研ぎ澄ませること。常に今もそれを意識して生きています。
――感性を研ぎ澄ませることで、生活しづらいと感じることはありませんか?
沢山あります。街を歩いていても匂いや雑音など、必要以上に感じてしまう事があります。そして、同時に孤独を常に感じています。自分の感性を使って、0から1を作るということは、「横並びには誰もいない」ということなんです。自分が常に一番前で、一人で進めていくという作業です。
とても孤独でさみしいこともありますが、だからこそ、「愛を伝えるお手伝い」ができるのだと思っています。
人形の在り方と役目の終え方について
――人形って、なかなか処分するのに勇気が必要なんですが、どうすればよいですか?
先ほどもお話ししたように、お人形の役割は「お子さま、赤ちゃんから厄をよけ、お守りする」ものです。一人にひとつのお人形が基本ですので、その持ち主である「人」がこの世からいなくなったときに、一緒にお焚き上げをしてもらうのが基本、と言われています。
でも、実際にお人形が担当していた方が世を去ったのに、現世に残されているお人形もいると思うんです。その場合は神社などで「お焚き上げ」をお願いし、お役目を終えていただくことをおすすめしています。大切なお人形をごみとして捨てるのは抵抗がありますよね。たとえは東京では、毎年10月に明治神宮で「人形感謝祭」という行事が執り行われており、お人形から「想い」を抜くお祓いをしてから、お焚き上げをしてくださいます。
各都道府県で、そのような行事が執り行われていますので、持ち主がいなくなったお人形は、そのような形で役割を終えていただくよう、おすすめしています。
後世に残したいのは、人形の本来の役割
――最後に、原さんの今後の目標を教えてください。
「どうしてもこのお人形を残さなければならない」、と縛られているわけではないんです。
お人形は日本人として季節を楽しんだり、親の愛情を感じたり、心のゆとりを持てる時間を提供してくれるものです。そういった感覚を残していきたいんです。それを受けて育った子供たちが、その「温かい心の余裕」を後世に繰り返して残してもらいたい。
生活のために、表面上は必需品じゃないのがお人形ですが、人生にとっては必需品だと思うんです。「人生に幅が出るもの」。想いがあれば、お人形でなくても時間を共有できて、「愛している」という気持ちをつたえられれば、なんでもいいのかもしれません。
お雛祭りの季節にインスタなどのSNSなどで、十数年たった弊社のお人形の投稿を拝見しました。そこには「反抗期の娘がお雛様の時期になると、とてもうれしそう」とありました。「それこそがお人形の役割だ」と。お人形が役割を果たしてくれているな…と、とてもうれしく感じました。
そういった「本来の役割を果たせるお人形」を、これからも心を込めて作り続けていきたいと思っています。
問い合わせ先
以上、「五色株式会社」三世人形師兼CEOの原裕子さんにお話をお伺いしました。
無形文化財という偉大な祖父の後を継ぎ、人形を作り続けていくのは簡単なことではありません。彼女が、人形師として「愛を伝えるお手伝いをする」という使命のもと、文化と伝統を受け継ぎ、人形を作り続けているその想いが、本物を知る方々に選ばれ支持される理由だということがわかりました。
この美しい愛を伝える日本文化が、末永く続くことを願って已みません。
原裕子さん、この度は快くインタビューにご協力いただきまして、本当にありがとうございました。
- TEXT :
- 岡山由紀子さん エディター・ライター
公式サイト:OKAYAMAYUKIKO.COM
- EDIT&WRITING :
- 岡山由紀子