仕事も人生も、自分らしいスタイルを少しずつ「更新」させながらライフステージの「踊り場」を果敢に乗り越えてきたプレシャス世代の女性たち。
現役でいられる時間が延びる人生100年時代の今、自らの心の声に耳を傾けて「生き方や働き方の軸足」自体をシフトさせる人も増えています。それまでもっていた価値観を見直して、変化させたことで人生がより味わい深く。「新しい働き方」を選んだ女性たちの深化の物語をお届けします。
今回は42歳で主婦から税理士にライフシフトした、海老原玲子さんにお話を伺いました。
40代で仕事を始めてから、自分自身を生きている実感があります
大学卒業後すぐに結婚し、主婦をしながら開業医の夫を手伝うために簿記を始めた海老原さん。「帳簿の数字がピタリと合う感覚が大好きだった」という彼女は、税理士を目指します。
ただし、資格取得はあくまで夫の身に何かあったときのため。優先したのは主婦業でした。
学校に通う日は、同居する夫の両親や子供たち7人分の朝ごはんとお弁当を用意し、税理士資格に必要な5科目の試験は1年に1科目合格を目指し、無理のないペースを守ってゆきました。税理士試験合格は、3人目の子供が小学校を卒業する42歳のときでした。
「40歳を過ぎて社会に出たら、働くことが楽しくてしかたなかったです。奥さんやママではなく、私自身の名前で呼ばれ働けることがうれしかった」
4年間会計事務所で実務を行った海老原さんは、子育てや介護も一段落ついた48歳のときに、さらに大きなシフトを決断。自分の力がどこまで通用するか試したいと、独立を決めました。
「もちろん初めはお客様もゼロ。税理士会の無料相談会やセミナーを開催したり、最初はなるべく女性のお客様と話す機会をつくりました。そのうち『相続問題』なら、主婦出身で女性税理士である私の特性を生かせる、と思ったんです。
女性同士で悩みを打ち明けやすいことや、奥様の気持ちに寄り添い、きめの細かい対応ができることが強みになるはず。そう確信して、実績のないうちから(笑)、自分の専門分野を決めて動き始めました」
この戦略は大成功。海老原さんは相続問題を猛勉強し、その道のスペシャリストとして営業を行い、評判は口コミで広がり、事務所は10人の社員を抱えるほどに拡大しました。
今は、経営者として社員の働きやすい環境づくりにも取り組んでいるそう。時短勤務を希望する育児中の主婦を積極的に雇ったり、資格取得に励む社員には、その時間も保証してサポートしているんだとか。
「今は私にとって第三の人生。親のルールの下で生きた娘時代、家族のために生きた主婦時代を経て、今は100%の力で仕事に向き合い、自分自身で生きている。それをいちばん実感できるのは、お客様からありがとうと言われたとき。自分の仕事がだれかに喜ばれ、それが評価として返ってくるうれしさは、かつて体験できなかったことです。今後もお客様がいる限り、ずっと仕事を続けていきたい」
今の自分を自己評価するなら…?
「80点。主婦時代も採点するなら同じ80点です。当時も自分なりにベストを尽くしたと思っていますから。ただ、周りの友人からは働き始めてすごく変わったと言われます。年々若くなるねって(笑)。やりがいのある毎日のおかげですね」(海老原さん)
関連記事
- 48歳で朝日新聞を退社し、51歳で保育園を開園。退職金を使ってまでライフシフトした理由とは?
- 100万部超えの大ベストセラー『ファクトフルネス』の翻訳者は、43歳でファンドマネージャーから翻訳家へとシフトした異例の経歴の持ち主
- 外資系金融業界から、56歳で「京都の宿オーナー」になった女性のターニングポイントは?
- 専業主婦から46歳で初めて大学に入学、59歳で大病を患うも、61歳で作家になった桐衣朝子さんとは?
- 専業主婦から46歳で初めて大学に入学、59歳で大病を患うも、61歳で作家になった桐衣朝子さんとは?
- TEXT :
- Precious.jp編集部
- BY :
- 『Precious4月号』小学館、2020年
- PHOTO :
- 高木亜麗
- EDIT&WRITING :
- 大庭典子、佐藤友貴絵(Precious)