時間ができたら、積んでいた本を読みたい。映画を観たい。旅行へ行きたい…。忙しい毎日の中で「もし時間ができたら、思うがまま趣味に没頭してみたい」と夢見ることはありませんか?
かくいう私、編集者のいしだわかこも、「もし時間ができたら、日本画を描いてみたい」と願ってきました。そう、ずっと思ってはいたものの、習う時間はないし道具をそろえるのも大変そうだし…と躊躇していたのです。
そんな折、鎌倉にある鏑木清方記念美術館で「日本画体験のワークショップ」が行われていることを知り、行ってみることに。
鎌倉の観光地の喧騒を抜け、近代日本画の巨匠が過ごした場所へ
鏑木清方(かぶらききよかた)は昭和29年に文化勲章を受章した、近代日本画の巨匠。なめらかな線で描かれた優美な女性の絵が有名です。
もともと挿絵画家から日本画に転身した画家でもあり、美人画に独自の画境を切り拓いた画家としても知られていますし、明治から昭和の激動の時代をたくましく生きる庶民や、樋口一葉や泉鏡花などの文学を題材にした作品も数多く残しています。
そんな鏑木清方が亡くなるまで過ごした住居跡に建てられたのが、この「鎌倉市鏑木清方記念美術館」。
決して広くはありませんが、鏑木清方の作品はもちろん画室を再現した部屋や日本画材の展示、日本画をメインにした蔵書を読むことができる図書スペースなどがしつらえてあり、観光客で賑わう小町通りのそばにありながら、とても静かで落ち着いた空間になっています。
貝殻から作られるマットでなめらかな白色の「胡粉」
日本画と聞くと、ともすれば「日本画らしいものを描かなくては…」と思ってしまいがちですが、このワークショップでは自分で写真やスケッチを用意します。
好きなものを描いていいなら、自由にのびのびと日本画が楽しめそう!
派閥に属さず、自由を愛したと言われる清方の生き方が、こんなところにもあらわれているようです。
今西さんによれば、「日本画の画家の一日は、まず絵の具をつくるところから始まる」とも言われるそうです。こうした贅沢な時間の使い方も、日本画の優雅なイメージをつくり出しているのかもしれません。
とはいえ、ワークショップの時間は1時間30分。絵の具をつくる時間はないので、今西さんがつくってくれた胡粉と、初心者用にパレットに入っている絵の具を使用します。
初めての日本画描き、スタートです
道具の説明などを受けてから、さあ、スタート!
わたしは、来年の年賀状に使おうと犬の絵を描くことにしました(自分では飼っていないので、友人の飼っている犬です)。むかし水彩画を描いてはいましたが、日本画の画材はまったく使ったことがありません。いつもの水彩絵の具とどう違うのでしょう。
1:鉛筆で下絵を描く
まずは、写真やスケッチを見ながら鉛筆で色紙に下絵を描きます。
2:盛り上げたい部分に胡粉を塗る
胡粉は盛り上げる下地としても使えると聞いたので、鼻のところだけ盛り上げようと鼻に塗ってみました。少し盛り上がっているのが見えるでしょうか。
3:絵のなかで薄い色にしたい部分から塗り、だんだん立体感を出す
耳を塗っていたら、「薄いところから塗って、だんだん立体感を出していった方がいいですよ」とアドバイスが。そこで気を取り直して、白い部分に薄く溶いた胡粉を塗ります。
濡れているとグレーっぽく見えますが、乾くと胡粉らしいマットな白になります。
混色は2色までにしたほうが、色が濁らないそうです。茶色に少し黒を混ぜて、顔を塗り……。水彩絵の具とは粒子の大きさが違うため、水でボカしてもなかなか広がりません。むずかしい……。
でも、このモクモクとした滲み方が日本画らしさとも言えましょう。
ここまで塗って感じるのは、「さすがにいい筆だなあ」ということ。筆の毛がぜんぜん抜けず、水の含みがよくてぐんぐん塗ることができます。道具がいいと筆運びもスムーズ。快適に塗っているうちに、夢中になってきました。
……はっ! 夢中になっていたら、茶色を先に塗っていたことに気がつきました。
そうだ、薄いほうが先でした…。
4:目や口などの小さいパーツは、細い筆を使う
あわてて絵の具の赤と白を混ぜてピンクをつくり、鼻部分と耳の中を塗っていきます。大丈夫、まだリカバーできます……!
水彩画を描いていたころを思い出し、カゲになる部分にうすくグレーをかぶせるように塗って、立体感を出します。
目や口などの細かい部分を、細い面相筆でゆっくりと描いていきます。写真ではわかりにくいですが、盛り上げた鼻は少しだけ立体になっています。絵の具にもなり、下地にも使える胡粉。おもしろいですね。
最後にヒゲを描いたところ、あらら? なんだか猫のよう。しかし後戻りはできません。手描きの絵は一期一会。常に真剣勝負です。猫にも見えますが、これはこれでかわいい。猫もかわいいですし!
「あと10分です」
学芸員さんの声が聞こえます。
5:金や赤が入ると、グッと日本画らしく
このままだと少し寂しい……。絵の具セットの中に金色があったので、背景に金をぼかしました。日本画には金箔や金泥を使った絵が多いため、金色が入るとぐっと日本画らしく見えます。
あと少し時間があったので、赤い絵の具でサインを入れて(落款をお持ちの方は持っていくといいかもしれませんね)。
さあ、完成!
日本画の画材を使うと、なぜか少し絵がうまくなったような気がします。うれしい。
参加者に小学生もいることですし、ワイワイと賑やかに描いているのかな?と思っていましたが、皆さん真剣そのもの。すごく集中して描いていて、とても静かな中、あっという間に1時間30分が過ぎていました。
わたしも最初はどうなることかと思いましたが、描いていくうちにどんどん没頭していきました。「物事に集中する」というのは、ある意味、瞑想的な効果もあるのかもしれません。近年にない達成感があり、終わったあとはスッキリです。参加されていた皆さんも、終わったあとはにこやかにお互いの作品の感想を言い合ったりして、とても満足そうでした。
学芸員のみなさま、ありがとうございました!
日本画絵具の接着剤として使われる膠(にかわ)とは?
さて、ワークショップが終わったあとは美術館内での展示拝見。
今日の日本画体験をした後だと、美人画の肌や着物の柄など胡粉を使っていそうな白い部分に注目してしまいます。
自分が体験したことは、関心が向きやすいもの。鑑賞だけでなく自分で描くことで、日本画を裾野から広げていく取り組みになっているのですね。
ところで、日本画絵具の接着剤として使われる膠(にかわ)は牛や鹿の皮から取られたコラーゲンの塊です。その歴史は古く中国の絵画でも接着剤として使われていて、日本画でも古来よりずっと使われてきた素材なのです。
ところが後継者不足などの問題で膠業者さんはどんどん廃業してしまい、もはやその製法技術が途絶えてしまうのは時間の問題だそうです。
もちろん、新しい接着剤も開発されてきてはいます。しかし、古くから伝わってきた日本画の技術をきちんと継承していきたいと、鏑木清方記念美術館のワークショップでは膠の使い方を紹介しているそうです。
今は研究者などを中心に膠の製造技術を伝えるための働きかけもしているとのことで、ニーズが増えれば膠の製造は続くかもしれません。
思い立ったということは、関心が向いているということ。
「『いつか時間ができたら…』と思っているうちに本来の方法ではなくなってしまった」なんてことになると、寂しいものです。
関心を持ったそのときに、鎌倉観光の折に少し時間を取って参加してみてはいかがでしょうか。
問い合わせ先
- 鎌倉市鏑木清方記念美術館
- 〒248-0005 神奈川県鎌倉市雪ノ下一丁目5番25号 ※駐車場はありません
- TEL:0467-23-6405
- 開館時間/9:00~17:00(入館は16:30まで)
- 休館日/月曜日・火曜日(祝日祭日の場合は開館し、翌平日に休館)、年末年始(12月29日~1月3日)、他展示替期間など
- 入場料/一般200円、小中学生100円/特別展:一般300円、小中学生150円
※ほか、割引などの詳細は公式サイトへ。 - ※次回のワークショップの詳細は美術館へお問い合わせください。
- TEXT :
- いしだわかこさん 編集者
公式サイト:WAKAKO ISHIDA