知性美溢れる美人とは、一体誰か?

40代から、美しさの基準が変わる。近頃ますますそう思う。いわゆるルッキズムを否定する声が高まる中、単に「顔が整っていること」こそ“美人の条件”とする昔ながらの法則が、さらに当てはまらなくなっていくのだ。美しい顔の基準そのものが変わることがあっても、“美しい顔=美人”とする美人の条件は、大昔から変わることがなかったのに。

じゃあ顔立ちの美しさを超えるものとは何なのか。これはズバリ「知性」。「知性が作る高級感」と言ってもいい。キャリアを重ねた分だけ知性が顔に出ていなければ、人として高そうに見えないからである。少なくとも40代以降、知性を伴わない美しさは、美しく見えない。 ましてや今は、美容医療も手伝って、誰もが「実年齢の7掛け」の見た目年齢を誇るようになり、若く見えることが全く珍しくなく、「若さ=美しさ」ではなくなってきた。むしろいたずらに若く見えると知性に欠けて見え、損をするほど。その年齢なりの知性美に、魅力で遠く及ばないのだ。

じゃあ「知性美あふれる女優」と言って、あなたなら誰を思い浮かべるのだろう。そういう時どうしてもちらつく高学歴から浮かんでくる顔ぶれ、ナタリー・ポートマンやエマ・ワトソン、そしてやはりジュディ・フォスターと言った人たちも、確かに知性美に溢れている。ただ、いかにも成績優秀な、優等生のイメージがあるのは否めない。

一方、IQの高さで有名なのが、シャロン・ストーンであり、ニコール・キッドマン、実はマドンナもIQ 140以上と言われるが、このカテゴリーは、知的印象よりむしろ個性の方が強くなる傾向にある。

何を持って知性美というか、それも様々なのだろうが、きっと多くの人の意識の中に、そこはかとなく滲み出る知性美が映像として映し出されているはずなのが、ケイト・ブランシェットであり、キーラ・ナイトレイなのではないだろうか。

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ケイト・ブランシェット

どんな表情にも溢れ出てくる知性。彼女たちの奥底にしっかりと根付いた重厚なまでの知性は、やはり別格の気配を醸し出している。もちろんそのずば抜けた演技力や役柄のせいもあるのかもしれない。

ケイト・ブランシェットはエリザベス一世で、キーラ・ナイトレイはジェーン・オースティンの名作『プライドと偏見』で、それぞれハリウッドデビューして間もなくアカデミー賞にノミネート、若くしていきなり演技派としての注目を集めている。

ケイトに至っては、出る映画出る映画、ほとんどが様々な賞にノミネートされていて、そういうキャリアが知性に見えるのは間違いない。でもやっぱり「顔」なのだ。知性が滲み出るのは面立ち。キャリアを重ねるほどに、知性がある人はより知的な顔になっていく。それがそっくり別格の美しさに変わっていくと考えていい。

結婚生活に、人間の落ち着きが見えてくる

そもそもなぜこの2人の女優の知性美がこれほど際立っているのか、なぜ2人の存在がこれほど気になるのか、じつはそこに明快な理由があった。共通点も多い。一言で言えば、どちらも、女性として人として尊敬すべき人物だからなのである。

思えば、20代前半でのデビューの頃から、2人ともその年齢が信じられないほど落ち着いた佇まいを見せていた。単なる年齢不詳ではない、あくまでも精神年齢の高さから来るシックさを見せつけていたのだ。

そして、結婚でもバツなし、ケイトは子ども4人、まだ30代のキーラも子ども2人、どちらも夫よりも妻が稼いでいる地味婚にして、極めて地に足のついた安定感のある結婚生活を営んでいる。そこだけを見ても、くっついたり離れたりと激しく相手が変わるハリウッドでは、極めて稀有。まさに女としての人生の営み方において、落ち着きがまるで違うのだ。

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ケイト・ブランシェットと息子のイグナティウス・マーティン・アプトン

硬派な正義感から、本気の慈善活動

そして、ハリウッドには慈善活動を熱心に行っている女優がもちろん少なくないけれど、そういう意味でこの人たちは筋金入りの社会派と言っていい。恵まれていることの裏返しとしての活動ではない、硬派な正義感に基づいた活動ぶりは凛々しいほど。

ケイト・ブランシェットは今、国連難民高等弁務官事務所(UNCHR)の親善大使を勤めているが、これも発言ばかりではなく実際数カ所の難民キャンプに深く関わり、リアルな悲惨さを伝えている。そうした献身的ともいえる活動が認められて大使に任命されたのだ。

自分は政治家でも何でもないけれど、自分の目で彼らの過酷な現場を目撃し、社会に広く伝えて思いやりと共感を引き出すこと、また彼らの人権を主張することはできると語る。「悲惨な状況は見たくない」と、そうは言わないでほしいと切実に訴えている。世界中でこの責任を分かち合うべきと。

しかも難民キャンプに自身の息子を同行させているのも、本気さがうかがえる。取り組み方が明らかに違う、人間的な高潔さと言うものがまざまざと伝わってくるのだ。

力強い様々な発言も常に注目されていて、SNS上のヒステリックなまでのネガティブな投稿についても、単なる批判ではない、人の世のことわりを諭すような意義あるコメントを発している。おそらくこれに対する反論も凄まじいものがあるはずなのに、ひるむことなく冷静に独自の意見を述べているのだ。まさにその気高さ勇敢さに心を奪われてしまうほど。

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ケイト・ブランシェット

バストが小さくてもヌードになれる勇気

一方のキーラ・ナイトレイもやはり南スーダンの難民キャンプを訪れての、真摯な支援活動が注目を集めている。しかも自分自身のアピールより、以前から慈善活動に最も熱心であるアンジェリーナ・ジョリーへのリスペクトを表明、あの人のような活動は自分には到底無理であると謙虚に認めていて、そこにもまた好感が持てる。

この人の魅力はなんといっても、何事も取り繕わない勇気。バストが小さいことをいろいろ揶揄されても、必要とあればヌードも厭わない。しかし女性監督のもとで性的な誇張なしに、ありのままを表現したいという明快な意思をもっての行動。なりふり構わぬと女優魂とは全く異なる信念からくるものなのだ。

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キーラ・ナイトレイ

そして何よりキーラ・ナイトレイは、ハリウッド一かもしれない倹約家としても知られる。いや倹約と言うよりも、価値観が人とまるで違うのだ。わずか11人の招待客でこじんまりと行った自分の結婚式に、以前パーティーで着たシャネルのミニドレス(この人はシャネルのフレグランスのミューズを務めている)を着回ししていたのは有名な話。いやこれに限らず何度もこのドレスが公の場に登場したことが、セレブニュースとなったりした。「それが何か?」と言われそうなほどに、この人にとっては当たり前のことらしいが。

トップ女優がなぜそんなに慎ましく生きられるのか?

漏れ聞くところによれば、基本的に年間500万円ほどしか使わない生活をしているのだとか。その理由を、庶民感覚を持っていないと仕事にも差し支えるし、孤独になるという説明をしていて、トップ女優の資産を考えると驚くべき堅実さを持った人。その立場になって考えると、何かその感覚、想像を絶するものがある。

難民キャンプで、職業は?と聞かれた時に、医者のように人の命を助ける職業でないことに恥ずかしさを覚えた、とも発言もしているが、それは本音なのだろう。自分が恵まれていることに僅かな奢りもなく、なぜこんなにも慎ましく生きることができるのだろう。ある種の徳の高さを感じないわけにはいかない。

もちろん、贅沢をしないから、人格者だ聖人だと言いたいのではない。金銭感覚以上に、弱冠20歳でアカデミー賞にノミネートされ、絶世の美女と称えられ、もてはやされてきた人が、なぜそこまで自分を律することができるのか、やっぱり不思議でならないのだ。

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キーラ・ナイトレイ

立派な女性ほど洗練されているのはなぜか?

立派な女性……もうそういう言葉でしか表現できない2人の女優。もちろん昔から、立派な女性はたくさんいたけれど、重要なのはここ、2人とも立派な上に美しさがじつに洗練されていることなのだ。ただの知性美ではなく、美しさがモードであることなのだ。ケイト・ブランシェットも、キーラ・ナイトレイも、レッドカーペットでは、最先端のドレスを最も見事に着こなす人。それもひっくるめて、尊敬できるのである。

洗練も、女の知性。社会性の一つ。今や、センスもまた人間としての正しさの一部といえるものなのだろう。人間として正しく全うだと、必然的に見た目にセンスが現れてくる。だって、 知性ある正しい人間は、世の中や人間がよく見えているからこそ、人から見て心地よい装いをも選べるのだもの。逆に人間性に問題がある人に、センスに溢れたおしゃれな人って、そうはいないはずなのだ。

だから立派な女性は今、美しさもまた洗練されているのだ。 その二面性、そのバランスが素晴らしい。まさしくこういうふうに歳を重ねたいという見本のように。

かっこいい女ほど、今、精神も行動もかっこいい

女性としての魅力や才能と、人間としての徳を積むことは、全く次元が違うことと思われていた。でもそうではなくて、かっこいい女性ほど、精神も行動もかっこいい。それこそが人を輝かせてみせる本当の知性ではないのか。いや、もっと言うなら大人はこれからの時代、そういう全方位へ向けての知性がなければ輝けない時代がやってくる。

驚くような若さも、驚くような美しさも、こうした尊敬される美しさの前では全く輝きを失くす。2人の知性美は、新しい大人の女性の規範になっていくのではないだろうか。

ジェンダーフリー、多様化についても、様々な捉え方があるけれど、こんなふうに女性の美しさの領域を遥かに超えた、スケールの大きな魅力を持った人をこそ美しいと言える、これもまた、人間が性別を超える時代の象徴となるのではないだろうか。

この記事の執筆者
女性誌編集者を経て独立。美容ジャーナリスト、エッセイスト。女性誌において多数の連載エッセイをもつほか、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザー、NPO法人日本ホリスティックビューティ協会理事など幅広く活躍。『Yahoo!ニュース「個人」』でコラムを執筆中。近著『大人の女よ!も清潔感を纏いなさい』(集英社文庫)、『“一生美人”力 人生の質が高まる108の気づき』(朝日新聞出版)ほか、『されど“服”で人生は変わる』(講談社)など著書多数。好きなもの:マーラー、東方神起、ベルリンフィル、トレンチコート、60年代、『ココ マドモアゼル』の香り、ケイト・ブランシェット、白と黒、映画
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Getty Images
EDIT :
渋谷香菜子