対照的な、2人の“悲劇の元ファーストレディー”
歴史上、最も有名なファーストレディーと言えば、今もなおジャクリーン・ケネディその人なのだろう。
言うまでもなく大統領だった夫が暗殺され、その後、世界一の大富豪オナシス氏と結婚するという、数奇な運命をたどった人だからである。ましてや亡くなって30年近く経ってもなお、女性誌がファッションアイコンとして熱い視線を送り続ける、そんなファーストレディーは前にも後にも例がないのだ。
でも、それだけではない。政界と財界、両方の世界的トップを夫にした驚くべき女性は、一体どこにそんな神がかった力を秘めていたのか、そして一体何を求めていたのか? それは今も謎のままであるからこその、No.1と
言えないか?
一方、日本の歴代ファーストレディーの中で最も大きな存在感を放ったのは、やはり安倍昭恵さんなのだろう。一番長く総理大臣を務めた人の妻として、様々に注目を浴びた人だが、安倍元総理が非業の死を遂げて以来、同情というだけでは説明のつかない感情で心を寄せる人が増えてきている。
タラップから降りる時の手つなぎは、何を意味したか
それは安倍氏が亡くなって初めてこの夫婦の本当の姿が浮き彫りになってきたからである。政界一のおしどり夫婦と言われてきたものの、それが真実なのか、私たちは判断できずにいたが、皮肉にも今回の報道で、いかに仲睦まじい関係だったのかが、改めて伝わってきた。
外遊で政府専用機のタラップから降りるときに、2人がすっと手をつなぐのは、海外のリーダーの真似でも、対面を考えた形式的な行為でもなく、おそらく普段から自然に手をつなぐ夫婦だったからなのだということが後からしみじみと伝わってきた。「酔いつぶれた自分をおんぶして帰ってくれる夫」の、突然の不在はどんなに辛いものだっただろう。
かくして、夫の命が突然奪われたときに、その関係性が改めて明らかになるものだけれど、ケネディ大統領が暗殺された時、よく知られているように妻ジャクリーンはオープンカーの隣に乗っていた。銃弾が大統領を襲った直後、妻はとっさに車の後部トランクに乗り出すのだが、これは逃げようとしたのではなく、飛び散った夫の体の一部を手にしようとしたのだとも言われる。いや、そこは今もどちらであったか、議論が続いているところ。
夫の血の付いたシャネルスーツを決して脱がなかった
どちらにせよ、この時にジャクリーンが着ていたピンクのシャネルスーツとトーク帽は、誰の目にも焼きついていることだろう。数年前に公開された映画『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』でも詳細に描かれたように、夫の血で染まったそのスーツをその人は丸一日着続けた。周囲が着替えるように促しても、頑なに脱ぐことがなかったのだ。夫がいかに卑劣な蛮行に見舞われたかを世界に見せつけてあげるの、と。
しかもその3日後に行われた国葬に、ジャクリーンは周囲の反対を押し切り、危険もかえりみずに子どもたちと共に長い距離を行進することを強く望み、実行している。夫の不慮の死に遭遇しても、あくまで気丈に振る舞い、たちまち副大統領の大統領就任が決まる非情に苛立ちを覚え、何としても夫の存在を伝説として世界中の人々に刻み付けなければと奔走するのだ。周囲が違和感を覚えるほどに……。
実際にこの時の、黒いベールをかぶったジャクリーンの姿は、多くの人の目に焼き付いている。世界一のファーストレディとなってわずか2年と10ヶ月で、その場を去らなければいけなかった無念を晴らす意味もあったのだろう。悲嘆に暮れる暇もなく、自らの手で爪跡を残していたのだ。
映画はその時の姿を克明に描いているわけだが、それは、ジャクリーンがファーストレディーの立場にいかに強い思いを抱いていたかを改めて浮き彫りにした。
夫の女性関係に苦しみ、離婚を考えたファーストレディー
ジャクリーンが結婚直後から夫の女性関係に悩み、離婚を考えていたことは既に知られているが、それを思いとどまったのも、将来この夫が大統領になる可能性を予感していたからともされる。しかし、大統領になってからも夫とマリリン・モンローとの関係や、実はグレース・ケリーとの結婚を望んだかもしれない疑惑に尚も苦しんだジャクリーンにとっては、もはや結婚生活よりもファーストレディーの使命の方が大切に思えていたかもしれないのだ。
フランス留学でフランス語を習得、大学時代にヴォーグのエッセイコンテスト入賞、ワシントン・ポストでは受付係として入社するも自ら記者を志願、街頭インタビューを担当。才能と野心とのバランスが取れている人だった。一方、社交界デビューの際は“デビュタント・オブ・ザ・イヤー”にも選ばれていて、10代の頃から美しさと優雅さを兼ね備えていたことが裏付けられる。まさに絵に描いたような才色兼備。
大統領選の頃からファッションで注目され、ホワイトハウスではインテリアを一新させて、すっかりハウス内を自ら案内するテレビ番組が大評判となり、大統領にも劣らぬ人気を獲得するのだ。
何もかも手に入れた女性……そう言っていいのだろう。でもそれだけに、夫の死による喪失感や屈辱は強烈なものだったはず。自分がつくりあげた夢の館、ホワイトハウスをも即刻追われるのだから。
高級娼婦になるつもりか? という陰口
しかしその人がわずか5年で、ギリシャの海運王と結婚することは、世界中を驚かせ、そしてアメリカ中を失望させた。当然のこととしてケネディ家は猛反発。常人の理解を超えていく結婚だったと言ってもよく「高級娼婦になるつもりか」という陰口まで聞こえてきたという。
子どもたちを安全から守るためには莫大な費用が必要で、彼ならばそれができる……本人は結婚の理由をそう語ったというが、やはり説得力に欠ける。一方、世界的なオペラ歌手マリア・カラスとの結婚を考えていたはずのオナシスにとっても、世界一の元ファーストレディーにして劇的な史実のヒロインとの結婚以上の“名声”はなかったのだろうが、ジャクリーンの方は、もはや何であれ「世界一の男」との結婚でないと埋まらないものがあったのではないか。
当初から愛のない結婚と噂されたが、実際に別居結婚のような形が長く続き、ジャクリーンはひとりニューヨークで贅を極めた暮らしに身を投じた。既に離婚を考えていたと言うオナシスが臨終を迎えるその病床にもジャクリーンはいなかったというが、遺族と争った末に、2700万ドルの遺産を手に入れているのだ。ただ、それも含めてジャクリーンなのである。
結局どちらも愛情に突き動かされての結婚ではない。ましてやどちらも特殊な結婚生活、丁寧に愛を育むようなものではなかった。しかし超一流の女、ジャクリーンにとってそれが最大級の幸せとなったのは紛れもない事実なのだ。なぜなら彼女は結果として、最強のトロフィーワイフを望んだのだから。
その人はまるでクレオパトラのようなトロフィーワイフ
かつての専属デザイナーは、彼女をまるでエジプトの女王のようだと言い、“ジャッキースタイル”を提案したとされるが、確かに離れた大きな目、四角張ったフェイスラインは、威厳すら感じさせる上に、野望に満ちた凛々しい美しさをたたえている。そうした稀有な顔立ちと知性と優美さ、そして抜群のセンスを持ち合わせているあたり、シーザーとアントニウスというローマ帝国の偉大な英雄2人の妻となったクレオパトラを彷仏とさせる。まさに20世紀最大のトロフィーワイフとなる運命だったと言えないか。
知性と欲念、高貴さと猥雑さ、全く相反する2つの側面を併せ持つ、稀有な女性の2つの結婚は、紛れもなく彼女にとってのサクセスストーリーだったはずなのだ。いずれにせよ、偉大なる女性であったのは、疑いようがない。悪女とも魔女とも呼ばれるほどに、規格外にスケールの大きな偉大さだった。
その後は、編集者として静かに過ごし、パートナーもいたといい、彼女はようやく安らぎの時を手に入れたと世間は見ているけれど、果たしてそうなのだろうか。
そのパートナーのサポートもあって遺産は数億ドルに膨れ上がっていたと言われ、それは栄華を極めた自分を振り返るために必要な“人生の戦利品”だったのだろう。結果として今は、ケネディ家の墓で、元大統領の隣に葬られており、やはり元ファーストレディーとしての一生を全うしたのだ。
愛か名声か、そうした二者択一があるならば、この人はどこか男性的に、名声のためにこそ、愛を巧みに奏でた人だった。日本の元ファーストレディーが夫亡き後、むしろとてもピュアな夫婦愛を忍ばせてくれたのとは極めて対照的に。
夫たちの壮絶な死と共に、2人の元ファーストレディーの対極にある愛の形は、こうして忘れがたき歴史の1部となっていくのだろう。
- TEXT :
- 齋藤 薫さん 美容ジャーナリスト
- PHOTO :
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