世界的にもめったにいない人?

ゴールデングローブ賞最優秀女優賞に輝いて、にわかに注目を浴びることになったミシェル・ヨー。何よりこの人がもう60歳であることに、驚きの声が上がっている。

それも、単に若く見えるというだけじゃない、単に美しいというだけじゃない。若い女優だって到底こなせないような激しいアクションをなんともクールにこなしてしまう超絶運動神経と、強烈なコメディエンヌとしての才能と勇敢さを見せつけながらも、20代の頃よりむしろ美しく官能的であること、こんな人、世界中を探してもそうそういるものではない、改めてそれに気づいたからである。

そう、「ゴージャス」は、この人のためにこそある言葉。日本語はそれを、「豪華」とか「贅沢」みたいに訳してしまうけれど、英語圏ではこの「ゴージャス」こそ、人の魅力を語る上で最上位に位置している。

人間としての奥行き、知性、色気、美しさ、もういろんな魅力を併せ持ってしまっているからのゴージャス。それこそ全てひっくるめて、ここまでゴージャスな人って、世界的にもなかなか見つからない気がするのだ。

ハリウッドはこの人にどんな感情を抱いたか?

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ミシェル・ヨー

「私、昨年、60歳になりました」
ゴールデングローブ賞、最優秀主演女優の受賞スピーチで、ミシェル・ヨーがこう言った時、会場は拍手喝采となった。

もちろん驚きもあり、賞賛もあり、尊敬もあり。それぞれいろんな思いをその喝采に託したのだろうが、とてもうがった見方をするなら、そこには、アジア女性へのほのかな敗北感を覚えた人もいたかもしれない。もちろん誰一人、口にしないが。

「とても長い道のりだった。でも素晴らしい道のりだった。そして信じられないほどの葛藤もあったが、価値のある経験だったと思う」と、本人がスピーチでも語っていたように、ハリウッドに初めて来た時からマイノリティとして苦節40年、それはそれは大変な苦労があったのだろう。香港映画では活躍するものの、ハリウッド映画に初めて出演するのは35歳の時である。

このスピーチを聞いたハリウッドはどう思ったのだろう。もちろん勝ち負けでは無いのだから、あまり言いたくはないのだけれど、もしもこれまでアジア人に対する差別意識や偏見が少しでもあったとしたら、少しでも優越感を持っていたとしたら、いや、あくまでそういう人がいたとしたら、このアジア女性、いつの間にか自分たちを超えている、年齢を重ねるほど勝っていく……そんなふうに気づいて、ちょっと驚いたのではないだろうかと。

表面的なことだけを言えば、60歳でこの若さ美しさ。ハリウッドでは他に例を見ない。明らかに「美女」、である。それだけでも敵わないと思ったはず。

スーパー年齢不詳の60代には、奇跡的にストレートヘアが似合う

そういう観点から、改めてこの人の“奇跡的な若さ”について考えるなら、ミシェル・ヨーは随分と若い頃から年齢不詳だった。正直今と見分けがつかないくらい。若い頃から飛び抜けてゴージャスだったのだ。

ちなみに年齢不詳の人は、若い頃は老けて見える傾向にもあるが、結果としていつも同じイメージを持ち続けているから、年齢を重ねても重ねても変わらない。で、今も年齢不詳。

まず、60代でこんなふうに、ストレートヘアがカッコよく映える人はいない。顔立ちに緩みやたるみが少しでも現れてしまうと、ストレートヘアの直線が、緩みやたるみを余計に目立たせてしまい、逆に老けて見えるから難しいのだ。

ところがこの人は、ストレートヘアが見事に似合っている。決して老けて見えず、損もしていない。美容医療で肌を無理に引っ張ったり、膨らませている形跡もないのに、つまりとても自然なのに、ストレートヘアが痛くないのだ。

さらに、ウエストのくびれがなければ到底着れない、ペプラム付きのドレスを難なく着こなしている。体を相当に鍛えているのか、顔まで含めた体全体が引き締まっているのだ。

つまりは、ただの若さではない。ありがちな、不安定な若さではない。人として驚くほど凛とした、何者にもおもねることのない、力強い“女性”性を体の中で構築しているからこそ、全く揺るぎない、絶対的な年齢不詳の軸を持ち得たのだ。

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ミシェル・ヨー

親友に夫を寝取られた?

裕福な家庭に生まれ、バレリーナを目指してロンドンに留学、名門バレエ学校で学ぶも怪我で断念。その後ミス・マレーシアとなって、香港映画に出演、女優として活躍するが、26歳で映画会社のCEOである大富豪と結婚、一度女優を引退する。

ところが、この夫が“妻の親友”である女性と不倫、離婚に至るが、翌年にはその女性と早々に再婚してしまっているのだ。中華系のメディアでは当時大スキャンダルとなったようで、深く傷ついたのは想像に難くない。

結果として、映画界に戻るわけだが、この人の絶対の強みはアクション。バレエで鍛えた体幹と運動能力で、驚くべきカンフーアクションを見せる『グリーン・デスティニー』(アジアとアメリカの合作)という大作映画は、この人がいたからこそ成立した作品だったとも言われる。

華やかな美しさだけではない、過激なアクションで、まさに体を張ってハリウッド生き抜いてきた人なのだ。

そうかと思えば、アウンサン・スーチーの役をしっとり演じ、スピルバーグ監督の『SAYURI』では祇園の人気芸者を、『クレイジー・リッチ!』では、大富豪の夫人を演じているが、どんな役をやっても嘘のようにはまるのは、まさにこの人のゴージャスさのなせる技なのだろう。

ちなみに『SAYURI』に関しては、日本人の役をなぜ中国人やマレーシア人が演じたのかがアメリカで物議を醸し、また中国では“芸者を娼婦と決めつける動き”から、なぜこんな役を受けたのかとミシェル・ヨーが批判を浴びるという一幕もあった。日本人としては複雑だけれど、ミシェル・ヨーが演じた芸者は、なんとも粋で強かで、そして哀しくて、舌を巻いたもの。

どちらにせよ、どんな役を演じても世の中を唸らせ、脇役であっても主役を食ってしまう、驚くべき存在感の持ち主である。

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ミシェル・ヨー

おそらく、奇跡も奇跡の若さも、また、比類のない存在感も、そうした人としての厚みから出てくるものなのだろう。ついでに言っておけば、今の夫(籍は入っていないようだが)、国際自動車連盟の会長である著名なフランス人、ずっとずっとずっと求愛され続け、ようやく結ばれたのだという。そういう引力も強い人なのだ。

一見全てを持っている人、でも才能があるだけに、美しいだけに、波瀾万丈だったに違いない人生。その中で、確実に織り上げられてきた人間としての強靭さが眩しいような人だ。

欧米女性の強さとは違う、アジア女性の押し出しの意味

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ミシェル・ヨー

見逃してはならないのが、欧米人女性の強さと、アジア人女性の強さは決定的に違うこと。欧米女性の強さは、どちらかと言うと男性に負けじという女性としての強さだが、アジア大陸、特に中国系の女性は、ユーラシア大陸におけるアジア人のポジションを一人一人が意識して取りに行くような押し出しの強さを持っている。これは、明らかに日本人にはないもの。

私たち日本人はそれにしばしば圧倒されながらも、やはりどこかに憧れのようなもの抱いている。ましてやミシェル・ヨーは、日本人にとって同じアジアルーツの人と思えないほど、グローバルだ。でも今回の受賞で、人となりに触れ、急に身近に感じられるようにもなった。

それもやはりアジア人特有のパワーを持ち、女優としてある意味虐げられながらも、開拓者として逆転勝利した勇敢さ粘り強さを、とても素直に、アジア人の誇りとして見ることができたから。

私たちは今こそ謙虚に、この人から何か学ばなければいけないのだ。「奇跡の60代」などという表現すら、何か空虚に聞こえるほど、年齢を何の意味もないものにしてしまう、筋肉質なまでに凛とした、人としての力強さ。どこにいても、誰にも負けない存在感。にもかかわらず、60代でも匂い立つような色気を感じさせること……。
ああ、見習うべきものばかりである。

この記事の執筆者
女性誌編集者を経て独立。美容ジャーナリスト、エッセイスト。女性誌において多数の連載エッセイをもつほか、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザー、NPO法人日本ホリスティックビューティ協会理事など幅広く活躍。『Yahoo!ニュース「個人」』でコラムを執筆中。近著『大人の女よ!も清潔感を纏いなさい』(集英社文庫)、『“一生美人”力 人生の質が高まる108の気づき』(朝日新聞出版)ほか、『されど“服”で人生は変わる』(講談社)など著書多数。好きなもの:マーラー、東方神起、ベルリンフィル、トレンチコート、60年代、『ココ マドモアゼル』の香り、ケイト・ブランシェット、白と黒、映画
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Getty Images
EDIT :
渋谷香菜子