放送禁止ともなったあの名曲は、もともとバルドーのために書かれていた

ジェーン・バーキンとゲンズブール
ジェーン・バーキンとゲンズブール

吐息が混じる官能的なあえぎ声で歌われた、美しくも危険な問題作「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」……誰もが耳にしているはずだ。カフェなどでたまたまこの曲がかかると、どのテーブルも気まずそうにお互い視線を合わせるのを躊躇するほど、エロティックな響きが延々と続く。ヨーロッパ各国でチャート1位を獲得するほど大ヒットしながらも、一部の国では放送禁止となるほど、大いに物議をかもした曲だ。

そういう意味で“危険人物“とされながらも一躍“ときの人”となるのが、この曲を作詞作曲したセルジュ・ゲンズブール……音楽家であり画家であり、役者であり映画監督であり、ともかく全てをこなす天才アーティストと言われた男。

そしてこの、あえぎ声の主が、ゲンズブールの事実婚のパートナー、若き日のジェーン・バーキンであった。

ジェーン・バーキン
ジェーン・バーキン

先ごろ76歳でこの世を去り、世界中を悲しませたカリスマ的存在。英国の上流階級に生まれるも、フランスにわたり映画に出るやいなや、ファッションアイコンとして、また「フレンチロリータ」として一世を風靡し、“18歳年上の夫”ゲンズブールとともに、パリで最も刺激的なカップルとされたのだ。

「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」を録音した時、22歳。彼女はどんな気持ちで、これを歌ったのだろう。なぜならこの曲は、もともとゲンズブールが“前の恋人”であったブリジット・バルドーのために作った曲。しかしバルドーには夫がおり、不倫関係にあったため、夫の逆鱗に触れるのを恐れて発表直前にリリースを拒否している。

これが原因で2人は別れ、言わば失恋状態に合ったゲンズブールと出会い、彼を振った女のために書かれた危うい歌詞を歌わされたのがジェーン・バーキンだったわけであるわけである。

嫉妬し、張り合ったのはどちらの女だったのか?

ブリジット・バルドー
ブリジット・バルドー

少女のようにピュアな心の持ち主とされた人だからこそ、愛する人の思いに素直に答えたとも言えるけれど、既にセックスシンボルとして世界的に名を馳せていたブリジット・バルドーへの対抗心も、あるいはあったかもしれない。

限りなくハイトーンの透き通るような声で紡がれる“あえぎ”は、物憂げでありながらもみずみずしく、いやらしさや露悪的な不快感は全く感じさせず、聞くものをみな夢心地にさせた。そういう意味では、世紀の傑作とも言っていい。

ちなみに、お蔵入りになっていたバルドー版「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」を、なぜかその19年後、バルドーがリリースに同意する。「売り上げは動物保護団体に寄付する」という条件がつけられたものの、むしろ自分のために書かれた曲を、次の若い恋人に歌わせたことに囚われ続けていたのは、バルドーのほうだったのかもしれない。

それもバルドーは自らの最後の主演映画に、なんとジェーン・バーキンを出演させている。「もしもドンファンが女だったら」というストーリー。若い女をも翻弄する熟女を自らが演じているのだ。“ゲンズブールの女たち“が、ベッドをともにしている場面は、映画史に残る伝説的なワンシーンとも言われている。

 ジェーン・バーキンとブリジット・バルドー
ジェーン・バーキンとブリジット・バルドー

これだけではない、2人の女に共通するのは、どちらも「フレンチロリータ」の象徴と言われたこと。そもそも最初に“次世代のロリータ”として脚光を浴びたのは、映画『素直な悪女』で注目を浴びたた21歳のブリジット・バルドーだった。フランスの女流作家ボーヴォワールが、「彼女こそ戦後の新しいエロティシズムのシンボル。女の歴史をその身ひとつで翻した」と絶賛しているのだ。

なんの因果か、その約10年後に登場するジェーン・バーキンもまた、「フレンチロリータ」としてもてはやされる。元祖ロリータを愛したゲンズブールが次に選んだのも、その継承者だったと考えれば納得がいく。

しかし2人のロリータには、決定的な違いがあった。バストである。

ブリジット・バルドー
ブリジット・バルドー

ブリジット・バルドーはバレエで鍛えたメリハリあるエロティックなプロポーションに、こぼれ落ちそうな豊満な胸を誇っていた。一方のジェーン・バーキンは手足が長く贅肉がない少年のような体、胸も蕾のように小さかった。

「コケティッシュ」という形容詞がこれほどはまる2人はいないが、明らかにタイプが違う。ゲンズブールの真意はいかに?

豊満な胸と、少年のような胸……どちらも愛した伊達男

ジェーン・バーキン
ジェーン・バーキン

一説に、ゲンズブールはバーキンと出会ってからも、バルドーに未練タラタラ、ずっと囚われていたというふうにも言われるが、もう一方では、バーキンに対し、まさに両性具有のようなこういう体こそ、自分の理想だと語っている。

画家を目指していた時、ずっとこの体を求めていたと言うのだ。まさしくエゴン・シーレが描く裸体のようなジェーン・バーキンの肢体にも、エロティシズムを感じる男であったのだろう。

大きな鷲鼻から、自分は醜男であるというコンプレックスを持ちながらも、時代の美女を次々に落としていた伊達男。アル中、モク中、女好きのろくでなし野郎と呼ばれたほど破滅的なのに、女たちは彼を愛し、男たちは彼に憧れた。稀に見る才能と、理屈では説明できないどうしょうもない魅力があったということだろう。

ジェーン・バーキンとゲンズブール
ジェーン・バーキンとゲンズブール

そういう男に愛された女、そういう男を心から愛せた女、バルドーとバーキンは、だからやっぱり只者ならない。

最後にもう一つ、2人の女の決定的な共通点を挙げるならば、どちらもいかに年齢を重ねようと、美容整形に頼ることが1度もなかったこと。ありのままに歳を重ね、自分らしく生きてきた。美しさで時代を席巻しながら、その若さ美しさにしがみつくことは一切なかった女たちなのだ。

そういう意味で、やはりゲンズブールが本気で愛した女たちは“見事な女”なのである。

先に旅立った12歳年下のジェーン・バーキンに対し、88歳になるブリジット、バルドーはこうメッセージを送ったと言う。

「7月16日、悲しい日曜日! とても寂しい! あんなにかわいくてみずみずしく、屈託のない人、子どものような声の人は死んではいけない。彼女は永遠に私たちの心の中に残る」と。

全く同じ、激しい愛の歌をシェアした女たちは、お互いの存在を意識しながらも、どこかでリスペクトしあっていたのだろう。

 

この記事の執筆者
女性誌編集者を経て独立。美容ジャーナリスト、エッセイスト。女性誌において多数の連載エッセイをもつほか、美容記事の企画、化粧品の開発・アドバイザー、NPO法人日本ホリスティックビューティ協会理事など幅広く活躍。『Yahoo!ニュース「個人」』でコラムを執筆中。近著『大人の女よ!も清潔感を纏いなさい』(集英社文庫)、『“一生美人”力 人生の質が高まる108の気づき』(朝日新聞出版)ほか、『されど“服”で人生は変わる』(講談社)など著書多数。好きなもの:マーラー、東方神起、ベルリンフィル、トレンチコート、60年代、『ココ マドモアゼル』の香り、ケイト・ブランシェット、白と黒、映画
PHOTO :
Getty Images
EDIT :
渋谷香菜子