【目次】
麹町ってどこにあるの?「場所」「最寄り駅」
麹町の「場所」と銀座までの距離
東京都千代田区麹町があるのは、皇居の西側にある東京メトロ半蔵門線「半蔵門駅」からJR「四ツ谷駅」までの間。徳川家康が江戸城入府の際に通ったといわれる「麹町大通り」(新宿通り)沿いに広がっている、細長いエリアです。麹町の中央に東京メトロ有楽町線「麹町駅」があり、麹町駅から「有楽町駅」までは5分~6分です。
麹町の番地は1丁目から6丁目まで。東側の1丁目付近には皇居内堀が、西側の6丁目付近には外堀があります。南東側にある隼町には「最高裁判所」、さらにその南側には「国会議事堂」があり、国の中枢機能が集まる永田町にも近い場所です。
麹町の「最寄り駅」
麹町エリア近辺には複数の路線が通っていて最寄り駅もたくさん。エリア中央にあるのが上でも紹介した東京メトロ有楽町線の「麹町駅」。そのほか、東側には東京メトロ半蔵門線の「半蔵門駅」、西側にはJR中央・総武線と東京メトロ丸の内線、南北線の「四ツ谷駅」があります。さらにエリア南側にある「永田町駅」には半蔵門線や有楽町線、南北線が、「赤坂見附駅」には丸ノ内線と東京メトロ銀座線が通っています。永田町駅や赤坂見附駅は、麹町駅から徒歩でも10分程度の距離。さまざまな路線が利用できる麹町の立地は、通勤や通学にとても便利で、住みたい理由のひとつにもなっています。
麹町の「地図」
麹町の「歴史」と「由来」
なぜ高級住宅街に? 麹町の「歴史」
麹町は、江戸時代、江戸城の西側にある半蔵門から外堀にある四谷御門(よつやごもん)に至るまでの通り沿い(現在の「麹町大通り」沿い)に誕生しました。この大通りは内藤新宿を経由して甲州路へと続く道で、呉服店や切絵図版元など、周辺の武家屋敷の御用を調達する商家が並んでいました。現在の麹町は6丁目までですが、当時は道に沿って1丁目から10丁目、四谷御門から新宿に向かって11丁目から13丁目までありました。麹町1丁目があったのは内堀にかかる「半蔵門橋」の正面。現在の「カトリック麹町 聖イグナチオ教会」(麹町6丁目)付近が10丁目です。 ちなみに、「半蔵門」という名前は、伊賀衆頭領の服部半蔵正成が、徳川家康と共に江戸に入り、麹町半蔵門辺りに屋敷を与えられた際、表向きは「半蔵門」の警備にあたったからだという説があります。江戸城の守りの要となるこの辺りには、御三家一門や譜代大名、そして将軍の警護を担う「大番組」が配置されました。
上の錦絵には、大通りの右側に「但馬豊岡藩京極家」や「播磨明石藩松平家」、「近江彦根藩井伊家」などの大名屋敷が描かれています。 「近江彦根藩井伊家」の上屋敷があったのが現在の「憲政記念館」(永田町1丁目)辺りです。
明治維新後、「番町」界隈にあった旗本屋敷は華族や官吏の邸宅地に、「紀尾井町」界隈にあった大名屋敷は軍用地や皇族華族地となりました。また、イギリスなどの外国公館も設置されます。その後、明治政府の官僚や政治家のお屋敷が増えていきました。
明治から大正・昭和にかけては、落ち着いた街の雰囲気と交通の便のよさが魅力となり、多くの作家や文化人が暮らしていました。「麹町大通り」から「大妻通り」へと抜ける道は「番町文化人通り」と呼ばれ、小説家の与謝野晶子や泉鏡花、島崎藤村などが住んでいました。 麹町大通りを北に入ったところにある「区立麹町小学校」は、作曲家の滝廉太郎が学んだことで知られています。
麹町小学校の近く、現在「全国農業共済会館」がある辺りは、小説家の武者小路実篤が暮らしていました。その近くには、「修禅寺物語」「番町皿屋敷」など、新歌舞伎作家の第一人者として知られる岡本綺堂の家もありました。
1970年代、麹町大通りの拡幅工事を機に、麹町はオフィス街となりました。東京メトロ有楽町線と半蔵門線が開通して利便性が向上したことで、多くの企業が移転してきたのです。 そのため、今もオフィス街のイメージが強い麹町ですが、大通りを一歩入ると、江戸時代に武家屋敷が並んでいたエリアが、閑静な住宅地となっています。
麹町の「由来」
「麹町」の名前の由来は、幕府に麹を納めていた御用職人「麹屋三四郎」という人物が店を構えていたため、という話が有名ですが、それより前にも「こうじまち」という地名は使われていました。その昔、この辺りには武蔵国府(現在の府中市)と江戸を往復する街道「国府路(こうじ)」があり、江戸における出入口だったことから「国府路(こうじ)町」といわれていました。そして、江戸時代に入り、大名旗本屋敷地の小路が多かったことから「小路(こうじ)町」となり、その後、麹屋や呉服商など有力な商屋が繁栄したことから「麹」という漢字が当てられた…という説もあります。
麹町エリアのすぐ近く、2020年に完成した多機能施設「コモレ四谷」の建設前に実施された大規模調査で、江戸時代の「麹室(こうじむろ)」が見つかりました。麹室とは、酒や味噌を作る麹菌を培養する地下施設のこと。当時、大規模に麹が生産されていたことがわかりますね。
住みやすさは?麹町の「魅力」
■1: 電車移動も車移動も便利な場所です
上で紹介した通り、麹町エリアは複数の路線が使えるので、どこに行くにも便利です。例えば、四ツ谷駅から新宿駅までは片道約4〜6分、東京駅までは約9分。JRを利用すれば乗り換えなしで移動できます。 また、麹町エリアには「麹町大通り(新宿通り)」、東側には「内堀通り」、北側には「靖国通り」、南側には「青山通り」や「六本木通り」が通り、車移動もとても便利。例えば、麹町エリアから「赤坂」までは約10分、東京までは約15分、「羽田空港」までは30分程度、「成田国際空港」までは1時間程度で到着できます。
■2:麹町でしか楽しめない食事スポットがあります
「半蔵門」駅前周辺には洗練されたレストラン、洋菓子店、ベーカリーなど、「ここにしかない名店」が多くあります。一番町にある「村上開新堂」は、明治7(1874)年創業。日本初の日本人による洋菓子店で、宮内省のほか、各国大使、華族、財閥などの方たちの御用達だったそう。そのほかにも、クッキーが人気の「ローザー洋菓子店」(麹町2丁目)、ケーキが美味しい「パティシエ・シマ」(麹町3丁目)などもあり、大切な人への手土産にも、こと欠きません。
麹町3丁目にある「麹町うなぎ秋本」は明治42年に創業、4年連続でミシュラン一つ星を獲得した経歴をもつ、うなぎ料理専門店です。当時、この付近は、日本政府や軍に従事する人々が多く往来していたため、うなぎ料理屋を始めたのがきっかけなのだそう。そのほかにも半蔵門や麹町駅周辺には話題のレストランやカフェが集まっていて、毎日の食事を楽しむことができそうです。
■3:教育環境がよく、ファミリー層にも人気です
千代田区番町や麹町の公立小学校はとても評判が高く、この教育環境を求めて引っ越してくるというファミリー層も多いです。麹町にある「麹町小学校」に入学し、平河町2丁目にある「麹町中学校」から永田町2丁目にある「日比谷高校」を経て「東京大学」を目指すというのが国公立お受験の人気ルートとなっており、教育熱心な人が集まっています。 「雙葉中学校・高等学校」(六番町)、「女子学院中学校・高等学校」(一番町)、「大妻中学高等学校」(三番町)など私立も充実しています。「麹町学園女子中学校・高等学校」(麹町3丁目)は、明治35(1905)年にできた歴史のある学校です。
■4: 落ち着いていて治安がよい場所です
皇居に近く、大使館や教育機関が多く集まり、オフィス街でもある「麹町」はとても治安がよいことでも知られています。警視庁が発表した「区市町村別犯罪別認知件数」によると令和4年の麹町の年間犯罪総数は28件。平成30年に行われた「千代田区のまちづくりアンケート」でも、「住んでよかったと感じる千代田区の魅力」で約半数の人が「治安がよい」と答えています。
■5: 緑が豊かで癒されます
外堀と内堀に挟まれている麹町エリアは緑が多い街としても知られています。マンションやオフィスビルの間に、江戸時代からの歴史的遺構に由来した皇居外苑や、北の丸公園、内堀や外堀の緑道、清水谷公園や靖国神社などの樹林環境がしっかりと残され、整備されています。外堀や内堀沿いの桜並木は、春になるととても美しい風景を見せてくれるお花見スポットです。都会のど真ん中でありながら、ランニングや犬のお散歩を楽しんでいる人もたくさん見かけます。
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千代田区麹町エリアは大通り沿いにあってオフィスビルや大学などの学校が多いイメージでしたが、一本通りを入ると高級マンションが立ち並ぶ住宅地でした。麹町駅や半蔵門駅は薬局やスーパーマーケットなどもあり利便性もよさそうです。都内どこにでもアクセスしやすい立地と教育環境が魅力的な場所でした。
- TEXT :
- Precious.jp編集部
- PHOTO :
- AC,柳堀栄子
- WRITING :
- 柳堀栄子