私は、この人と出会うために生まれてきた
私はこの人と結ばれるために生まれてきたのだ……運命の人と出会うと、多くの人が1度はそういう心境になるもの。年齢を重ねて重ねて出会った人には、とりわけそういう想いを抱くと言う。今までの自分の人生は、ほとんどがこの人に会うための設計になっていたのだというふうに。
そしてこの人、モニカ・ベルッチも、まさに今そんな心境にあるのかもしれない。間もなく60代に入るモニカが、映画監督ティム・バートンとの熱愛報道を認め、"人生でこういう出会いはめったにない。彼に出会えて本当に良かった"と語ったというのである。
もちろん大人の恋愛も様々。だけれど彼らの“人となり”を知るほどに、この2人は、まさに出会うべくして出会ったのだろうと確信させられる。
当然のことながら、お互いの真の価値を本当に認め合える関係こそが、人生における最高の出会いだから。少なくともモニカ・ベルッチは、これまでずっと、美し過ぎるがゆえの誤解と戦ってきたに違いないからなのだ。
美しすぎるがゆえに、女たちに袋叩きにされる運命?
あなたは『マレーナ』という映画を観ただろうか。それはモニカ・ベルッチの奇跡的とも言える美しさと、美しいがゆえの苦悩に見舞われる理不尽を両方観るためのイタリア映画の傑作である。
そもそもイタリア映画には、思春期の少年が年上の豊満な美女に憧れ、やがて性の手ほどきを受けるというお決まりのパターンがあって、大ヒット作『青い体験』的な作品が次々に作られた。『マレーナ』も、少年がマレーネという絶世の美女の虜になるという意味では同じだが、こちらは、町中の男がマレーネにのぼせ上がり、だから町中の女が嫉妬に狂う中、あることをきっかけに女たちが蜂起、彼女を袋叩きにするという、怖いけれど、さもありなんなストーリー。
時は第二次世界大戦下、時代に翻弄される人々を描きつつ、美しいと言うだけで誤解される美人の苦しみに寄り添っていく内容で、なかなか見ごたえがある一作だった。
そしてヒロインは、どうしてもこの人でなければならなかったのだろう。そのくらい役柄と本人がシンクロしている。一つの町を揺るがすほどの美貌と、自ら戦うようなストーリーだったから。
奇しくもこの頃、モニカ自身、こんなことを語っているのだ。"俳優という仕事も、もし美しいだけならこの世界で5分もやっていけないはず"と。
この人自身、美貌がもたらす数々の誤解や嫉妬と戦いながら、自らのスキルを磨きキャリアを築いてきた“意外な苦労人”と言っても良いのである。後に“美人女優には、頭の悪そうなロールモデルというレッテルが貼られる”ことにも言及し、それに傷つけられてきた経験も自ら語っている。
ヴァンサン・カッセルか、ディカプリオか。元夫は無類の若いモデル好き
そしておそらく、10年前に破局している1度目の結婚でも、美貌の人ゆえの歪みを感じていたのではなかったか? なぜなら、元夫、ヴァンサン・カッセルは、モニカと別れた後に、30歳年下のグラマラスなボディの持ち主、ティナ・クナキー という21歳のモデルと結婚しているが、最近になって別居の報道があると同時に、 またもや30歳年下のセクシーなモデルとの交際が報道されている。
こうなると、レオナルド・ディカプリオと同様、若いモデルにしか興味がないタイプの男に思えてしまう。モニカと結婚していた時は理想のカップルとされたが、この結婚も主にモニカの美貌と官能的なボディに魅せられてのものだったのではないかという疑いが生じてくるのだ。
いや、美しさと官能性に心を奪われるのは男として当然のこと。しかしそれを最優先にする男だったら、理想的な関係性は成立しない。2人の子供をもうけながらの離婚には、大なり小なりそうした背景があったのではないかと思う。
つまりモニカ・ベルッチは、女優として感じていた"美しすぎるがゆえに、そこばかりを評価されてしまう宿命"を苦々しく思うと同時に、パートナーとは愛を深められない現実にも苦しめられていたりしたのではないか。
名門大学出身で、弁護士を目指した才媛
特にこの人は、言ってみればただの美女ではない。700年以上という大変長い歴史を持つイタリアの名門、ペルージャ大学で法律を学び弁護士を目指していたという才媛。インタビューへの対応は、いつも溢れる知性を感じさせ、時に哲学的であったりもする。
絶世の美女を描いた『マレーナ』も、外見至上主義に反発するような意図を持った作品で、女たちに叩かれ辱めを受ける汚れ役でもあるからこそ、この映画の主演を受けたような精神の持ち主。その後も、マグダラのマリアやクレオパトラなどに挑む一方、吸血鬼にストリッパー、1番多く演じているのが娼婦と、自らの美貌をあえて汚すような役を選んでいるのが興味深い。ただ美しさを絶賛されるだけの存在でありたくないという意思の表れ。ヴァンサン・カッセルとの、価値観の違い、美意識の違いはやはり否めないのだ。
相手の才能に惚れる男、ティム・バートンとの出会い
そんな人が、離婚から10年を経て出会ったのが、ティム・バートン監督だった。『シザーハンズ』や『バットマン・リターンズ』『アリス・イン・ワンダーランド』などユニークな映画を作り続けている鬼才。学生の頃からディズニーに愛されるほどの才能を持った、元アニメーターにして芸術家でもある。若い頃は奇行が目立つ変人であったと言うが、表現者として大成し、今や唯一無二の存在として尊敬を集めている。
彼のパートナーも、最初はドイツ人アーティスト、ふたりめは自分の作品にも出演している女優、3人目が、ティム・バートン1番のお気に入りとして知られた、やはり唯一無二の個性派女優、ヘレナ・ボナム・カーター。『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』『チャーリーとチョコレート工場』など、ティム・バートン作品に欠かせない存在となっていた。
この遍歴を見る限り、彼は紛れもなく女性の才能に惚れるタイプ。相手へのリスペクトが伝わってくるような関係性を、築いてきた人とされる。まさにそういう男性が、それこそモニカ・ベルッチの知性と才能と、骨太の価値観に惚れたとすれば、これは人生の意味を改めて示すような素晴らしい出会いだったに違いないのだ。
59歳にしてこの美しさ!それは、美容漬けじゃない、知性で作った美しさ
そしてもう一つ、モニカ・ベルッチに拍手を贈りたくなるのが、59歳でこの美しさ。別にいろいろやっていそうには見えない、とてもナチュラルな印象ながら、若い頃と美しさのレベルが変わっていないことに動かされる。
美容漬けでこの美しさを保っているタイプとは違う。女優としての責任感と当たり前の美意識から、あくまでさりげなく保ってしまった美しさ、内面の成熟や知性の醸成とともにこの美しさがある、そこが凄いのだ。
ハリウッドにも、知的だからこそ若さを保つことができる女優がある数いる。メリル・ストリープに、ケイト・ブランシェット……そしてモニカ・ベルッチも、その1人と言えるのだろう。
美容ばっかりになってしまう大人は、いかに美しくてもやっぱり痛いが、この人は知的だからこそ、その知性とバランス感覚で美しさを保ってきた。だから若さが安っぽくない。品格や凛とした強さ、人間性の温かみなども一緒に含んだ若さだから、尊いのである。
それを証明する様に、“生物的な若さゆえの美しさを少しずつ失って行くことは、人生を違った観点からみつめるチャンスをくれる。それは、成熟性と経験の財産と呼べるもの”と語っていて、まさに年齢に抗うのではない、新しい美しさの養い方を訴えているのだ。
これから50代60代を迎える世代は、そこを見逃してはいけないと思う。
60代を目前に、この清潔感を保ったからこその運命の恋
モニカ・ベルッチは、子供の頃からどれだけ「美しい」という言葉を浴びてきたかわからない。そしてどれだけの誤解や嫉妬、中傷を浴びてきたかわからない。得もしたけれど損もした。だからただ「私、何歳に見える?」といった単純な若さは欲しくないと思ったのだろう。若い頃の美しさにしがみつくような美しさなら、いらないと思ったのだろう。そうではない、ちゃんと年輪を感じさせるのに、清潔感を失わない、無理も誇張もないピュアな美しさを手に入れた人だから、敬意を表するべきなのである。
そしてだから、60代を目前にして、この上ない出会いを果たすことができたのだろう。この年齢になれば内面がそっくり顔に出る。そういう意味で奇跡的な清潔感を持つモニカに、人はみな、精神の高潔さを見るに違いない。言わば最大級の魅力をこの年齢できちんと形にすることができたからこそ、人生最高の出会いができたのだろう。
未婚既婚に限らず、人生後半にこそ、自分のピークが待っていると考えれば、人生はさらに輝かしいものになるはずだ。そういう意味でも、この人の人生をお手本にしたい気がしてきた。
「イタリアの至宝」と言われてきたこの人は、これからますます輝く宝石となっていくのだろう。そして、60代からの年齢観をはっきりと変えてくれるはずなのだ。
- TEXT :
- 齋藤 薫さん 美容ジャーナリスト
- EDIT :
- 三井三奈子