【目次】

【「沖縄慰霊の日」とは? いつ・意味・由来を解説】

■「何日?」

「沖縄慰霊の日」は6月23日です。

■「沖縄慰霊の日」とは?「意味」

太平洋戦争(1941-1945年)において、日本国内で唯一戦地となったのが沖縄です。一般市民をも巻き込んだ凄惨な地上戦が行われ、多くの貴い命をはじめ、かけがえのない文化遺産や自然が失われました。

「沖縄慰霊の日」は、沖縄の戦没者の霊を慰め、人類普遍の願いである恒久の平和を希求する日です。追悼の対象は日本軍の兵士だけではありません。戦闘に巻き込まれて亡くなった住民や学徒、さらには国籍を問わず沖縄戦で命を落としたすべての人々が含まれます。沖縄県では毎年この日に「沖縄全戦没者追悼式」が行われます。

■「いつ」「誰が」制定した?

沖縄慰霊の日は、1961(昭和36)年に琉球政府が制定した「住民の祝祭日に関する立法」によって設けられました。制定当初の日付は6月22日でしたが、1965(昭和40)年の法改正により現在の6月23日に変更されています。

その後、1972(昭和47)年の沖縄の日本復帰に伴い、琉球政府の法令は効力を失いましたが、沖縄県は1974(昭和49)年に「沖縄県慰霊の日を定める条例」を制定し、改めて6月23日を「慰霊の日」として定めています。このように、「沖縄慰霊の日」は琉球政府時代に始まり、現在は沖縄県条例に基づく記念日として位置付けられています。


【なぜ6月23日? 沖縄戦終結との関係】

「沖縄慰霊の日」が6月23日に制定されているのは、この日が沖縄戦における重要な節目であるからです。ただし、日付の由来を「6月23日に沖縄戦が終了したから」と単純に説明するのは正確ではありません。

■6月23日に何があったのか

太平洋戦争における沖縄戦は、1945(昭和20)年4月1日、アメリカ軍の沖縄本島上陸によって本格的に開始され、1945年6月23日未明、日本軍第32軍の司令官・牛島満中将が自決したことにより、日本軍による組織的な戦闘は終結したとされています。とはいえ、6月23日以降、戦闘が直ちに終わったわけではありません。沖縄県公文書館によれば、日本軍残存部隊による散発的な戦闘や住民の犠牲はその後も続きました。また、アメリカ軍はによる沖縄作戦終了の発表は、1945(昭和20)年7月2日でした。

このため歴史学的には…
6月23日:組織的戦闘の終結
7月2日:アメリカ軍による作戦終了宣言
という区別がなされています。
以上のことから、6月23日は「沖縄戦終結の日」ではなく、「沖縄での組織的戦闘が終結した日」と表現するのが適切とされています。

■「沖縄慰霊の日」は最初6月22日だった

現在、「慰霊の日」は6月23日とされていますが、1961(昭和36)年に琉球政府が制定した当初は6月22日でした。当時は牛島司令官らの最期の日を、6月22日と認識していたためです。しかしその後の調査や検討を経て、実際には自決は23日の明け方であった可能性が高いと考えられるようになり、1965(昭和40)年の法改正によって「慰霊の日」は6月23日に変更されました。


【「沖縄慰霊の日」は祝日? 沖縄県だけ休日の理由】

■「沖縄慰霊の日」は「国民の祝日」ではない

現在、日本の「国民の祝日」は「国民の祝日に関する法律(祝日法)」によって定められています。元日や憲法記念日、敬老の日などは全国共通の祝日ですが、6月23日の「沖縄慰霊の日」は祝日法に含まれていません。そのため、一般企業や国の機関では通常どおり業務が行われることが多く、本土では平日として扱われます。

■沖縄県では条例に基づく記念日

沖縄県では、1974(昭和49)年に制定された「沖縄県慰霊の日を定める条例」によって、6月23日を「慰霊の日」と定めています。条例の目的は、沖縄戦の戦没者を追悼し、恒久平和を祈念することにあります。ただし、この条例自体が「県民全員の休日」を定めているわけではありません。

■なぜ学校や県庁は休みになる?

沖縄県では、「沖縄県慰霊の日を定める条例」と「沖縄県の休日を定める条例」などに基づき、県庁などの行政機関は休日となります。一方で、民間企業や商業施設、観光施設などは通常営業している場合も多く、地域や職場によって対応は異なります。

■何が行われる?

「慰霊の日」には、沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が行われます。全戦没者の氏名が刻まれた平和の礎(いしじ)へ、遺族や関係者が訪れ、祈りを捧げます。また、戦没者や遺族に特別な思いを寄せる天皇皇后両陛下をはじめ皇族方も、正午に黙とうを捧げられます。また、沖縄政策担当の内閣府制作統括官から進講を受けられるのだとか。沖縄県内の学校では、戦争や平和について学ぶ機会として位置付けられることも少なくありません。


【沖縄戦とは? わかりやすく解説】

■沖縄戦とは

沖縄戦とは、太平洋戦争末期の1945(昭和20)年に沖縄諸島を舞台に行われた地上戦を指します。日本国内で一般住民を巻き込んだ大規模な地上戦が行われたのは、沖縄だけでした。

■沖縄戦はいつ始まった?

1945(昭和20)年3月26日、アメリカ軍が沖縄本島西方の慶良間諸島に上陸したことで始まり、同年6月下旬に日本軍の組織的戦闘が終わるまで、約3ヶ月間にわたり、激戦が続きました。

沖縄戦の最大の特徴は、軍人だけでなく、多くの一般住民が戦闘に巻き込まれた「住民混在の地上戦」であった点です。アメリカ軍による猛烈な艦砲射撃や空襲は、島全体の地形が変わるほど激しく、「鉄の暴風(てつのぼうふう)」と例えられました。

■なぜ沖縄で戦いが行われたのか

当時のアメリカ軍は、日本本土への進攻を視野に入れていました。そのため、本土に近い沖縄を重要な軍事拠点として確保する必要があったのです。一方で、日本軍も本土防衛のための重要拠点として沖縄を位置付け、徹底抗戦を行いました。この結果、沖縄は日米双方の大規模な戦場となりました。

沖縄戦では実に20万人以上が犠牲になったとされています。犠牲者には日本軍兵士やアメリカ軍兵士だけでなく、多くの沖縄県民も含まれていました。県民の犠牲者数については資料によって差がありますが、約9万人から12万人以上とする記録が見られます。


【「ひめゆり学徒隊」 「平和の礎」とは?】

沖縄戦の悲劇と平和への願いを象徴する存在として、広く知られているのが「ひめゆり学徒隊(ひめゆりがくとたい)」と「平和の礎(へいわのいしじ)」です。

■ひめゆり学徒隊とは

沖縄戦では、中学生や女学生などの若者たちも、戦況の激化に伴い、陸軍病院へ動員されました。そのうち、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒222名、教師18名の計240名で構成された女子学徒隊の通称が「ひめゆり学徒隊」です。

1945(昭和20)年3月下旬、彼女たちは陸軍病院の看護要員として動員され、暗く衛生環境も劣悪なガマ(自然洞窟)の中で、負傷兵の看護や水くみ、遺体の処理といった過酷な任務を不眠不休で行いましたが、激しい戦況のなかで6月18日には看護隊の解散が告げられます。当時、周辺では激しい戦闘が続いており、生徒たちは十分な避難先や保護のないまま戦場へ出ることになりました。結果として、ひめゆり平和祈念資料館によれば、動員された生徒・教師240人のうち136人が亡くなったとされています。

現在、最後の激戦地となった糸満市には「ひめゆりの塔」と「ひめゆり平和祈念資料館」が建てられ、沖縄戦の記憶を伝えています。

■平和の礎とは

「平和の礎」は、太平洋戦争や沖縄戦などで亡くなったすべての人々の氏名を刻んだ記念碑です。戦後50年の節目にあたる1995(平成7)年6月に、糸満市摩文仁の平和祈念公園内に建立されました。この記念碑の特徴は、国籍や軍人・民間人の区別をいっさいせずに、沖縄戦に関わった「すべての犠牲者」を等しく祀っている点です。日本兵や沖縄の一般住民はもちろん、アメリカ軍、イギリス軍、朝鮮半島や台湾出身者など、名前が判明したすべての戦没者の名が刻み込まれており、現在も追加刻銘が行われています。屏風状に並ぶ黒い石碑は、平和の波が世界へ広がるようにと、太平洋を望む平和の広場を中心として扇状に配置されています。

***

1945年の終戦から80年以上が経過し、沖縄戦を直接体験した人々も少なくなっています。そのため、ひめゆり平和祈念資料館や平和の礎は、戦争の記憶を後世へ伝える場として、ますます重要な役割を担っていくこととなります。「沖縄慰霊の日」は、戦没者を追悼するだけでなく、私たちひとりひとりが戦争の歴史を学び、平和について深く考える機会にしたいですね。

この記事の執筆者
Precious.jp編集部は、使える実用的なラグジュアリー情報をお届けするデジタル&エディトリアル集団です。ファッション、美容、お出かけ、ライフスタイル、カルチャー、ブランドなどの厳選された情報を、ていねいな解説と上質で美しいビジュアルでお伝えします。
参考資料:沖縄県公文書館「琉球政府の時代」(https://www3.archives.pref.okinawa.jp/GRI/) /沖縄県公式ホームページ(https://www.pref.okinawa.lg.jp) /沖縄県公文書館「沖縄戦と慰霊の日」(https://www.archives.pref.okinawa.jp/event_information/past_exhibitions/931) /沖縄県平和祈念資料館(https://peace-museum.okinawa.jp/index.html) /沖縄県文書/広報課文書「『慰霊の日』の始まり」(https://www.archives.pref.okinawa.jp/wp-content/uploads/6c5c08b9f8b970dc0a9f6725d681c05c.pdf) /ひめゆりの塔 ひめゆり平和祈念史料館(https://www.himeyuri.or.jp) /県営 平和記念講演(https://heiwa-irei-okinawa.jp/facility/) :