「他人にとって現実であるより、現れては消える幻でありたい」と生前に語ったデザイナー、Karl Lagerfeld(カール・ラガーフェルド)。半世紀以上、ファッション業界のカリスマとして君臨したカールは、私にとっては、現実のスターデザイナーであり、ファッションが紡ぎ出すファンタジーに降臨した神であった。

ファッション業界のカリスマが去った、あの日

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ファッション関係者やモデルの憧れとして君臨したカール・ラガーフェルド

2019年2月19日。ロンドンコレクション最終日で、ロンドンにいた私は、ショーを見ながらも、その日のうちにミラノに立つこともあり、何かしら慌ただしい気分で過ごしていた。そこへ東京の編集者からメールを受信した。「カールの逝去について、ロンドンはどういう反応ですか?」と。

一体、何のこと?

もう5か月近く経っているにも関わらず、いまだに実感が湧かないカール・ラガーフェルドの逝去について、知った瞬間だった。

急な情報に混乱しながら、2日後に開催されるミラノのフェンディは、そしてパリのシャネルのコレクションはどうなるの? と、とっさに頭を駆け巡った。

Alexander McQueen(アレキサンダー・マックイーン)の若い死に、胸がつぶれる思いをしたことはある。しかし、カール・ラガーフェルドがどれほど年齢を重ねようと、その存在が消えてしまうなど、想像したことすらなかった。する必要がなかったからだ。

「生きるレジェント」として君臨し続けた、カール・ラガーフェルド

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ファッション業界に多大なる影響をもたらした、カール・ラガーフェルドという存在(C)CHANEL

カールは自らも「心のどこかで、私は生きるレジェンドになる。そういう運命なのだと信じていた」(書籍『The World According to Karl』より)と、自覚的であったほど、カールの放つオーラは、創造力、ユーモア、知性、ゴージャス感、品格などファッションが求めるものを包括して輝き、それがなくなるということは、ファッションの世界から大きな何かが欠落するに違いなかった。

カールが存在しないファッション界など、想像もできなかったのだ。

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2019-20秋冬プレタポルテコレクション(C)CHANEL

最後のコレクションとなったシャネルのショーは、今、どの瞬間も切り取って差し出せるほど、鮮やかに胸に焼きついている。いくつかある私の生涯忘れられない、コレクションのひとつになるだろう。そしてその一瞬を思い出すたびに、その場に身を置いていた幸せが蘇り、選ばれた素晴らしい瞬間の積み重ねだけが創り出せる、永遠の伝説となる場に、居合わせることができるファッションジャーナリストという職業を、誇りに思うのだ。

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会場の内観(C)CHANEL

恒例の会場グラン・パレに一歩踏み入ると、そこはカールとシャネルが作り出した魔法の世界が広がっていた。白の雪に覆われた架空の高級スキーリゾート「シャレーガーディニア」100mにも及ぶ、雪のランウェイだ。

カールが不在などと信じられないほど、いつものように、とびきり華やかでありながらシャネルらしい、機知とユーモアに富んだステージが目の前にあった。招待状は雪の結晶が薄いグレーの濃淡に描かれていたが、私には、今にも水滴に変わりそうな結晶のスケッチが、涙ぐんでいるようにしか見えなかった。

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「The beat goes on,,,,」と書かれた、ラストコレクションで配布されたカード(藤岡さん私物)

座席には、カールが描いた、ココ・シャネルとカールが並ぶイラストに「The beat goes on,,,,」と書かれたカードがそれぞれに置かれていた。やがて訪れる何を予感してこのスケッチを描いたのだろうか。

そしてショーが始まる前に1分間の黙祷。静寂を破ったのは以外にもカールの肉声であった。シャネルのアーティティックディレクターとして仕事を始めた経緯を語っていた。

その依頼を受けたとき、人々は口をそろえて「やめたほうがいい。最悪だ。もう終わったブランドだ」といった。
今でこそ、古いブランドを再生していくのが当たり前だが、当時は誰もそんなことはやっていなくて、新しい名前や新しい世界が必要とされていた。
だからそれを聞いて、むしろ面白いじゃないかと思ったんだ。その状態も含めて、すべてが。だからみんなが「やめておけ。うまくいくはずがない」といったけれど、二度目に打診をされたとき、引き受けることにしたんだ。
でも結果的にそれは、ブランドがファッションシーンに見事に返り咲く初めてのケースとなった。誰もが、英国の皇太后さえが、欲しいと思う存在にね。彼女が車から降りてきた姿は、今でも忘れられない。僕達は花から何まで本当に美しく整えて準備をし、彼女は英語でこういったんだ。
「あら、まるで絵画の中を歩いているようね」と。あのことは一生忘れられないだろうね。

(カール・ラガーフェルド)

淡々と語るカールの声は穏やかで、36年の長きに渡るシャネルとの充実した仕事ぶりをかいま見せた。

今でこそ、老舗ブランドに気鋭のデザイナーを抜擢し、再興を図るのは当たり前の手法だが、1983年当時はまだ例がなかった。創業者であるココ・シャネルが亡くなって以降、「シャネルは墓に戻る」とまでいわれた経営不振にあえぐブランドを手がけ、83年にオートクチュール、84年にプレタポルテコレクションを開催し、高い評価を得てシャネルは見事に返り咲いたのである。

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常に新しいことにチャレンジし続けた、ファッション業界の逸材

「シャネルはファッションより良いもの、つまりスタイルを残した。そしてスタイルは古くならないのです」そして「シャネルのスタイルを進化させたかった。過去を知り、その積み重ねの上に、より良い未来を作ろうと」とガブリエル・シャネルへの敬愛と絶対的な愛があったからこそ、シャネルのルネッサンスというべき復興と、華麗なる現在の発展があることを示唆している。

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この記事の執筆者
1987年、ザ・ウールマーク・カンパニー婦人服ディレクターとしてジャパンウールコレクションをプロデュース。退任後パリ、ミラノ、ロンドン、マドリードなど世界のコレクションを取材開始。朝日、毎日、日経など新聞でコレクション情報を掲載。女性誌にもソーシャライツやブランドストーリーなどを連載。毎シーズン2回開催するコレクショントレンドセミナーは、日本最大の来場者数を誇る。好きなもの:ワンピースドレス、タイトスカート、映画『男と女』のアナーク・エーメ、映画『ワイルドバンチ』のウォーレン・オーツ、村上春樹、須賀敦子、山田詠美、トム・フォード、沢木耕太郎の映画評論、アーネスト・ヘミングウエイの『エデンの園』、フランソワーズ ・サガン、キース・リチャーズ、ミウッチャ・プラダ、シャンパン、ワインは“ジンファンデル”、福島屋、自転車、海沿いの家、犬、パリ、ロンドンのウェイトローズ(スーパー)
PHOTO :
(C)CHANEL、Getty Images
WRITING :
藤岡篤子
EDIT :
石原あや乃