15年前、私はサルト・イタリアーノで最も重要なドメニコ・カラチェニの生まれ故郷を取材するため、ローマから車を走らせ、グランサッソの長いトンネルを抜け、アドリア海に面したイタリア・アブルッツォ州の港町、オルトーナを訪ねた。
残念ながら、正真正銘のカラチェニの生家はすでになかったが、「カラチェニ」という名のサルトリアが存在したのは事実だった。
「カラチェニ」の店のことを知る、当地でサルトリア「リベラーティ」を営む老練のマエストロが、大家族のカラチェニは、親戚もサルトリアを生業としていた、と教えてくれた。
1880年生まれのドメニコ・カラチェニは、イタリアの仕立て職人の頂点に君臨し、今もその伝説が伝わる当代一の名マエストロであった。父親のトンマーゾが、家業としていたサルトリアを受け継ぎ、ドメニコは、生まれたときから、服づくりが身近にある環境で育つ。成人になる頃には、すべての仕立て技術を習得したサルト・フィニート(サルト・コンプレート)となった。1920年代、オルトーナを離れ大都市のローマに移り、自身の店「サルトリア ドメニコ カラチェニ」を開いた。
ドメニコがサルトの頂点に上り詰めた理由のひとつは、その当時、英国の仕立て技術に触れる機会に恵まれたことだろう。それを手助けしたのが、同郷オルトーナ出身の著名な作曲家、フランチェスコ・パオロ・トスティである。イタリア王室の声楽教師を務めるほか、ロンドンにも住み、イギリ王室の声楽教師に抜擢された実力者。イタリア中を熱狂させた伝説的なオペラ歌手、エンリコ・カルーゾに楽曲を捧げた大音楽家である。
トスティは、紳士の象徴的存在のエドワード7世らが贔屓にしていたサヴィル・ロウの名門テーラーで仕立てたスーツを、ドメニコに与えていた。ドメニコは、そのスーツを分解して、英国式の芯地の構造やパターン、肩のつくりや縫製の具合を研究した結果、ある答えを導き出した。
「英国の仕立てスーツは、硬く、重い」と。そして後に、「スーツは、ハンカチのように軽くなければならない」と名言を残し、カラチェニ流の仕立てを考案した。
技術書を発刊し、イタリアの仕立て職人に大影響を与える
ドメニコはその経験を通して、1933年に『ORIENTAMENTINUOVI NELLA TECNICA E NELL‘ARTE DEL SARTO』というスーツの裁断技術書を著した。これが、イタリア中のサルトのバイブルとなり、一躍、ドメニコは仕立て職人のトップに躍り出た。
ドメニコが開いた、ローマの「サルトリア ドメニコ カラチェニ」で仕事を手伝っていたのが、アウグストとガリアーノの弟たち。ともに父親トンマーゾの下で仕立て技術を習得した腕利きの職人。ここに、カラチェニ・ファミリーが展開するサルトリアの礎ができ上がった。
ふたりはやがて、それぞれの店をつくる。アウグストはドメニコの協力の下、1930年代、パリに「サルトリア ドメニコ カラチェニ」を開店。1階にサロン、2階と3階にアトリエを設けた豪華なパラッツォで、ウィンザー公がお忍びで通ったほどの名店に成長した。一方、ガリアーノはナポリに出店するものの、戦時下の影響で早々と閉店。ローマのドメニコのところに戻った。
1940年代初頭にドメニコが他界すると、子息のアウグスタレッロがサルトリアを引き継ぐ。しかし、仕立て職人ではないアウグスタレッロは、顧客の信用を失い、挙げ句の果てに閉店。「サルトリア カラチェニ」の歴史はドメニコの弟たち、アウグストとその子息のマリオ、ガリアーノとその子息のトミーとジュリオ兄弟に託されたのだ。
黄金期を迎える、「サルトリア カラチェニ」
第二次世界大戦後、アウグストはパリのサルトリアを閉め、’46年ミラノに「サルトリア D.カラチェニ」をオープンする。一方、ガリアーノは、’63年息子兄弟を支援して「トミー&ジュリオ カラチェニ」をローマに開く。遂に、イタリア国内における次世代の「カラチェニ」の2大拠点が誕生したわけである。
アウグストは、華やかなりし時代のパリで人気を得た、エレガントな仕立て服をミラノでもつくり、さらに、凄腕仕立て職人のマリオ・ドンニーニと協業し、ミラノのサルトリアを活性化させる。ガリアーノとトミー&ジュリオ兄弟は、チネチッタを中心に映画の撮影に沸いた’60年代のローマで、多くの有名俳優たちを顧客にしていったのである。’60~’80年代にかけて、腕のいい職人もそろい、名実ともに「サルトリア カラチェニ」は黄金期を迎える。
アウグストの死後、店を継承したのは子息のマリオ・カラチェニ。抜群の腕を持つ名マエストロである。’72年に「A.カラチェニ」と店名を改めた。父親アウグストから学んだ仕立てを踏襲したマリオは、’90年代には多くの雑誌でも紹介され、「カラチェニ」の仕立て服の凄みを喧伝していった。マリオは、名カッターのマリオ・ポッツィを招き、今で言うコワーキングも整えた。
現在、「A.カラチェニ」は、マリオの義理の息子、カルロ・アンドレアッキオとその倅のマッシミリアーノが、アトリエを守り伝統の仕立て技を継承する。しばしば混同されるが、ドメニコから続く直系の「サルトリアカラチェニ」は、ミラノの「A.カラチェニ」とローマの「トミー&ジュリオカラチェニ」の2店舗だけである。
多くの洒落者たちを魅了した「カラチェニ」。古くはジョージ5世を筆頭に、世界のダンディな男たちに愛されてきた。なかでも、「カラチェニ」のスーツを世界的に有名にしたのは間違いなく、フィアット元名誉会長で終身上院議員も務め、ミラノの隣町のトリノと、ローマを拠点にしていたジャンニ・アニエッリだ。孫のラポ・エルカンは、今も祖父ジャンニが愛用したスーツを大切に着続けている。
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- TEXT :
- MEN'S Precious編集部
- BY :
- MEN'S Precious2020年春号より
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- WRITING :
- 矢部克已(本誌エグゼクティブファッションエディター)