ジェントルマン。もともとイギリスの支配階級を指す「ジェントリ」を由来に持つこの言葉が、「紳士」という言葉に訳され日本に伝わってから、優に100年を超える。ならば私たちは、世界を代表する都市・東京からしか生まれ得ない新しい紳士像をそろそろ確立し、そこに磨きをかけなくてはならない。伝統を愛しながらも、自由かつおおらかで、そして何よりも洒脱。MEN’S Precious が改めて考えた、この街にふさわしい装いや振る舞いにおける、50の流儀。それらを満たした新時代の紳士たちこそ、「東京ジェントルマン」と呼べるのだ。50の流儀を紹介するとしよう。

東京ジェントルマン伝説 自由であり、頑固であり

 英語で東京はTOKYOである。そんなことあたりまえだが、では東京人というか東京っ子はなんというか。ご存じですか?

 ニューヨークっ子はニューヨーカー、パリっ子はパリジャン、ロンドンっ子はロンドナー、ローマっ子はローマン。では東京っ子はどういうかというとTokyoiteが正しい。トウキョウアイトと発音する。NHKの英語放送でたまに出てくる言葉ではあるが、語呂はよくないし、そうそう頻繁に使われる言葉ではないような気もする。

 ニューヨーカーにはニューヨーカーの世界的有名人がいます。「ザ」が付くようなニューヨーカー、俳優ならロバート・デ・ニーロ、デザイナーならラルフ・ローレン、忘れちゃいけません、政治家なら、ドナルド・トランプ大統領という具合に。パリジャンにもラスト・ネームだけで世界に通じるような連中がうじゃうじゃ。ボードレールは言うに及ばず、サルトル、ゴダール、サルコジetc…。どちらの都市も、都市のイメージとそれを体現するような人間が一体になっているわけです。残念ながら東京とトウキョウアイトはその仲間に入っていないように見えるのだが、ほんとうにそうだろうか? と考えるわけです。

 徳川家康が江戸城に入ってからおよそ430年、特に西洋に国を開いた明治以降、東京は日本の伝統文化と西洋文明の衝突の場になりながら、江戸時代とはあきらかに趣が違う独自の東京文化とその担い手を生み出している。個々の西洋文明との距離感は違うが、それを巧みに消化、あるいは包摂、あるいは知らんぷりしつつ、日本人、東京人としてのアイデンティティを確立した男たちは少なくないのですね。

 たしかに知名度では劣るし、世界的な業績はないかもしれない。だがひとつはっきりいえるのは、彼ら東京の紳士たちもなかなかウルサイ人間であった。超一級のこだわり人生を送っていたのである。

 こういう東京紳士を語るうえで欠かせない視点が下町・山の手という地域性である。ざっくりいえば下町は江戸の城下町で日本橋や神田、浅草などのこと。山の手とは、お城(=江戸城)周辺や西側の高台地域だとらえればよい。下町は江戸時代からの商人や職人が住んでいたわけだから江戸文化が色濃く残る。他方山の手は旧幕臣と薩長が微妙に混じり入り、明治政府が目ざす西洋志向がはっきりと出る。こういう環境に生まれれば、その子供たちもいやおうなくふたつの相反する文化性を背負うことになるでしょう。

 その俳句にいまだファンの多い久保田万太郎なんて典型的下町/江戸派の作家である。明治中期に生まれ、子供時代は祖母につきあい下町の芝居小屋に出入りしていた久保田は、江戸文化の華である芝居に魅了され、それが創作活動の柱になる。人情系の劇作を得意とし、岸田國士、岩田豊雄らと名門劇団「文学座」を創設したほどだ。

 上演数は多くないが久保田の手になる『大寺學校』は、習字や素そ読どく、算術などを教えた幕末時代の寺子屋を引き継ぐ代用学校が、明治の学制改革で姿を消していく物語。浅草田原町生まれの久保田でなければ書きえなかったような下町言葉の台詞と、去り行くものへの惜別の思いが込められ、文学座の代表作であると同時に久保田文学の特質も色濃く出ている。

 言葉フェチと過去への愛惜。これでピンときた人は、ダンディズム・スクールのドクター号を差し上げてもよろしい。そう、久保田には冒頭で名前を出した、フランスの詩人でダンディズム論者、ボードレールに通じるものがあるのだ。

 ボードレールは『現代生活の画家』の中でこう書いている(阿部良雄訳)。「ダンディズムとは一個の落日である。かたむく太陽さながら、壮麗で、熱を欠き、憂愁にみちている。しかしながら、悲しいかな! すべてを平等化する民主制の上げ潮は、これら人間矜持の最後の代表者たちを日に日に溺れさせてゆく」

 久保田にとってかたむいていったのは江戸という時代、下町の生活と庶民の情感である。ボードレールのこの文章の「ダンディズム」を下町美学の象徴「粋」に入れ替えてみれば、久保田の文学論の〆の言葉になりうるのである。

 このあたりの久保田美学を慕って弟子になった作家は川口松太郎を筆頭に少なくない。筆者の父の叔父である劇作家の八木隆一郎もそのひとりだったが、芝居筋でいうと戦後落語、歌舞伎、新劇などの評論家として人気を集めた安藤鶴夫、通称アンツルも忘れがたい。代表作は『落語鑑賞』だ。

 安藤の人気の秘密はよくも悪くもその頑固さである。古典落語という言葉を久保田とつくったといわれるぐらいの勉強家だが、一方でダメなものはダメで、言い出したらきかない。安藤にダメ出しされた東宝の看板落語家初代柳家権ごん太た楼ろうは激怒し、ほんものの決闘を申し込んだほどだ。あわてた安藤はすぐに詫びを入れる。

 かと思えば、娘の成長にすなおに涙する。また泣いたということをエッセイによく書く。喜怒哀楽の基準に江戸人のにおいがするのだ。

 現在も営業中の四谷の鯛焼き屋「わかば」のつつみ紙には店を愛した安藤のひとことがある。「鯛焼きのしっぽにはいつもあんこがあるように それが世の中を明るくするように」

 そして「わかば」の鯛焼きは今でもとびっきりうまい。久保田の弟子ではないが、同じ東京市浅草区に生まれた後輩小説家が池波正太郎である。ご存じ「鬼平」の池波である。

 時代小説の作家というのは明治以降どんな時代でも国民的人気は高いが、池波ほど本業の小説以外の食や旅、映画に材をとったエッセイの分野で中高年の男たちに愛された作家はいないのではないか。

 池波の小説の主人公はほぼ男。侍であろうが、町人であろうが主人公が垣かい間ま見せる「おとこらしさ」に読者は共感を得る。作者池波もまたその意味で「おとこらしさ」を人生のうえで追求した男であった。その意味で、おおげさなこと、つくろうことを徹底して嫌う。それが池波の粋だ。『男の作法』という書の中で、池波は男の服装について、「自分のおしゃれをする、身だしなみをととのえるということは、鏡を見て、本当に他人の目でもって自分の顔だの躰だのを観察して、ああ自分はこういう顔なんだ、こういう躰なんだ、これだったら何がいいんだということを客観的に判断できることが、おしゃれの真髄なんだ」と述べている。

 服装で目立とうなどとは露ほどにも思わなかった池波だが、浴衣の帯を自分で縫うほどの凝り性だったとか。そのあたりは同じ下町生まれでも、年齢やルールにいっさいこだわらず、自分の感性のみに従ってファッションを楽しんだ、日本橋出身の評論家、植草甚一と好対照だ。筆者は植草のミステリー小説講座に半年通ったが、毎回そのファンキーなスタイルに驚かされたものだ。だが東京新聞の『中間小説時評』欄で池波を率先してとりあげ、激賞したのは、だれあろう植草だったというところに目に見えない下町つながりを感じてしまう。

 明治・大正生まれの人が残り少なくなるなか、下町文化を受け継いだのは落語界と歌舞伎界ぐらいだろう。

 なかでも亡くなった18代目中村勘三郎ぐらい下町の粋を受け継いだ男はいなかった。平成中村座を立ち上げ、現代劇の演出家と組んだり、ニューヨークで公演するなど進取的だったが、その板についたべらんめえ調のしゃべりを聞けばだれもがたちまち江戸の昔に帰れる、そういう持って生まれた親しみやすさ、華やかさを持った役者だった。

 下町紳士の生き方が粋の追求なら、山の手紳士は何ごとにつけ西洋風を志向していた。明治大正を通し、その志向は「ハイカラ」と呼ばれていた。

 日本人に最もその名を知られているであろう作家のひとり永井荷風は、山の手小石川に生まれ、子供時代は牛込区の敷地約一千坪の豪邸で育った。青年期は米仏で過ごすなど、どこをとっても洋風のバックグラウンドである。実際彼は大正5年に『洋服論』という小論まで著している。しかし荷風はそのなかで、日本の気候、日本人の肌色などを考慮したうえで、それでもなお、「洋服はその名の示すがごとく洋人の衣服なれば万事本場西洋を手本にすべきは言うを俟たざる所なり」

 と当時の学生の詰襟金ボタン姿や洋服で扇子を使う習慣など、日本の中途半端な西洋文化導入を批判している。山の手男ではあったが、荷風はハイカラに浮かれる東京人の軽薄さにがまんならなかったのですね。それは洋の東西を問わない「本物主義」とでもいうべきもので、やがて彼を江戸時代の余韻が残る向島など下町に耽たん溺できさせることになる。

 欧米の本物文化に触れ、伝えた山の手人は作家ばかりではなかった。フランス人でも難解なラブレーの翻訳で知られる渡辺一夫は、本郷に生まれ、昭和6年にフランス留学、帰国後は地元東京帝国大学でフランス文学の教壇にたち、大江健三郎や蓮はす實み重彦など渡辺山脈と呼ばれるフランス通の人材を育てた。

 フランス・ルネッサンス期の人物や文学紹介を通し日本社会を深く考察する穏やかな思想家の様子のよさを大江などはよく回想している。服装や外見ではない「思想のおしゃれ」とでもいうべきか。

 山の手と呼んでいいのか、ちょっと別な存在が皇室の男子である。なかでも「ヒゲの殿下」の愛称で親しまれた寬とも仁ひと親王は破格のロイヤリティーと言っていい。

 アイビーボーイだった学習院大学時代を経、昭和43年からのオックスフォード大学モードリン・コレッジへ留学。英国紳士道の碩せき学がく池田潔が言うところの「服装を整え、スポーツを娯たのしみ、文学美術音楽遊戯を嗜み、酒食に対する正しき趣味」を養った。

 その著書『今ベールを脱ぐジェントルマンの極意』で殿下がしたためた巻頭言のタイトルは「本物とは何か」であった。

 昭和という時代は面白い時代で、寬仁親王のような王道をゆく紳士も輩したが、山の手出身でも作家吉行淳之介のような夜の紳士も生んでいる。吉行は2歳のときに麴町に上京してきたので、正確には東京人ではないが、都会の谷間を舞台にした男女の物語を書かせたら右に出るものはいなかった。ハンサムで、人に限りなく優しい懐の深さで、男にも女にもモテた。

 日本を代表するジャズトランペッター日野皓てる正まさも高円寺生まれだから厳密には山の手とはいえないが、昭和の東京で最も輝いた夜のジェントルマンだ。

 9歳のときから吹き始めたトランペットで昭和40年代に日野皓正クインテットとして大ブレイク。一大ヒノテルブームが巻き起こる。恵まれた容姿と、アメリカのジャズメン以上に垢抜けたファッションは、下町も山の手もない、国際都市東京の本格的出現を予感させてくれたのだ。

 下町、山の手それぞれの紳士道を振り返ったが、隅田川から入ろうがテムズ川やセーヌ川から入ろうが、彼らがたどり着いたのはつまるところ「本物のよさ」「正統のよさ」というゴールではなかったか。

 行動、発言、スタイルどれも時代や環境によってブレない。むろん一時の流行など目もくれない。政治、経済、文化の中心東京にあって揺ぎなき王道を歩む、歩みたいというのが今日まで連なる東京ジェントルマンのトラディションなのである。


【ルール1】極上のネイビースーツがあればよい

スーツ¥575,000・シャツ¥82,000・カラーピン¥80,000・タイ¥28,000・タイバー¥140,000・チーフ¥18,000(ブリオーニ ジャパン)

 スーツは、大人の男の看板服である。ビジネスマンであろうと、なかろうと、安っぽいスーツを着るぐらいなら、いっそスーツなんぞ着ないほうがいい。若い頃からスーツにだけは金を遣っている。投資すべき基礎部分にはケチらない。東京ジェントルマンならこうこなくては。ビジネス・アタイアの世界基準でいえば、まずグレーのシェイドをライト、ミディアム、ダークとそろえるのが正攻法。無彩色の持つ真摯で、落ち着いた印象は、まさにビジネス・カラーの王者といえる。しかし、その一方、人間的なニュアンスに欠けるきらいがある。そこで登場するのがネイビーである。ネイビーとは限りなく黒に近いブルー。その名のとおり、海を感じさせるが、昼の太陽を受けた海ではなく、夜の海だ。光が乏しければ黒く沈み込むが、光を受ければ清潔で、洗練された気品をキラリ波間からのぞかせる。言うなら「めかした黒」。ビジネスは言うまでもなく、ナイトライフにも抵抗なくスライドしていく懐の深さが東京らしい。

究極のネイビースーツを探す


【ルール2】休日のスーツこそ円熟の境地

スーツ¥466,000・シャツ¥59,000・ニット¥157,000・ストール¥70,000(ブルネロ クチネリ ジャパン) 帽子¥81,000(ボルサリーノジャパン)

 スーツ発祥の地、英国では、その昔、スーツ姿で馬に乗り、テニスやゴルフに興じ、ヨットで海にも出ていた。つまり男の万能着だったわけだ。 スーツといえば仕事用と、短絡的に結び付けるのではなく、緩く「上下そろいの服」と捉えればよい。そういう柔軟さもまた東京ジェントルマンの持ち味であると思うのだ。リアルなビジネスシーンではブレーキがかかりそうなコットンや麻素材のスーツやセットアップでも、休日ならだれはばかることがあろう。また、首まわりやベルト、靴などのアクセサリー使いの選択も自由度が圧倒的に高い。コーディネーションの腕の見せどころである。デイとイブニングをそういう小物のあしらいで変化をつけるのも楽しい。 Tシャツにショーツの若者たちを尻目に、気分は映画『ベニスに死す』のダーク・ボガード。いやというほど「大人の円熟」を見せつければよろしい。

休日のスーツコーデ


【ルール3】馴染みのテーラーを持つ

日本橋「サルトリア イプシロン」30年にわたり、ローマとミラノでサルトリアを構えていた、マエストロの船橋幸彦氏。近年、独自で研究した「やじろべえ理論」を打ち立て、究極の着心地を備えたスーツを仕立てる。ベテランの技を味わうならここだ。

 大都市に暮らすよさのひとつは、その道のプロとわりとカンタンにつきあいができることである。テーラーなどその最たるものだろう。好みの服を仕立ててもらうだけではない。定期的に彼らのところに通うその「つきあい」が、男を磨いてくれるのである。服づくりを通して、ものづくりの真髄を垣間見ることもできる。さらに、よい客であろうとする努力が人間の幅をひろげてくれる。「今、ちょっといいテーラーを探していてね」なんていうキザっぽいセリフも、東京のバーでならそう無謀ではない。

 


【ルール4】良いジャケットを身につけるべし。

¥600,000 タイユア タイ 青山〈チェーザレ アットリーニ ペル タイ ユア タイ〉)

 ジャケット(スポーツコート)、を買いにいく、あるいは仕立てにいくときは、なぜか心が浮き立ってくる。それはおそらくジャケットは楽しい時間を一緒に過ごす友人だからだ。近頃ではスーツではなく、ジャケット&パンツというコーディネーションで仕事をこなす男性も少なくない。そうなると、ジャケット選びはますます失敗は許されない。まずはこれぞという究極のネイビージャケットを。春夏なら綿、麻、両方あってもいいぐらいだ。


【ルール5】ジャケパンスタイルで男の色気を作る!

ジャケット¥240,000(ビームスハウス 丸の内〈スティレラティーノ〉)シャツ¥78,000(タイ ユア タイ青山〈タイ ユア タイ〉)タイ¥16,000〈ニッキー〉・チーフ¥6,500〈フィオリオ〉/以上ユナイテッドアローズ 原宿本店 メンズ館 タイバー¥8,400(ハケット ロンドン 銀座)パンツ¥35,000(PT JAPAN〈PT01〉)靴¥170,000(ストラスブルゴ〈エドワード グリーン〉)

 日本では上着という意味でジャケットと言ってしまうが、スポーツ・コートと言うのが正しい。上下そろいのスーツよりはるかにフォーマル度は低い。シャツやパンツの組み合わせで着る人の好みや個性が反映されるところがいい。洒落者にとっては腕の見せどころであり、男の色気が最も出る華やかなスタイルだろう。しかしビジネスでの着用となると、ドレスコード上では「スマート・カジュアル」や「ビジネス・カジュアル」というカジュアル部門に属するわけで、相手国や業種、企業文化、会合の目的によってコーディネートの、さじ加減が必要なのは言うまでもない。


【ルール6】パンツのシルエットに怠りなし

¥43,000(トゥモローランド〈ロータ〉)

 メンズウエアのボトムスは、カバーする箇所が箇所だけに男性の「男らしさ」がストレートに出やすい。そこがセンシュアルな魅力であり、その反面、行きすぎれば思わぬ落とし穴にもなる。トレンドの短めテーパード系はカジュアルウエアのポイントで楽しむとして、クラシックなワードローブ用には、ダ・ヴィンチのウィトルウィウス人体図ではないが、脚が「全体として」スラリと見えるよう、体形と脚の形に沿った黄金比を見つける必要がある


【ルール7】黒一文字で勝負にでる

左¥230,000・右¥170,000(ジョンロブ ジャパン)

  同じような黒の革靴でも微妙に表情が違う。だが、内羽根式のストレートチップほど優等生のシューズはないのではないか。その理由もストレートだ。このスタイルならどんなフォーマル・オケイジョンもカバーできるからだ。いわゆる冠婚葬祭のすべて、ビジネス関係のハイプロファイルな会合、接待となんでもござれ。そこから、一段、二段とフォーマル度が下がっていくぶんにはなんら問題はない。指の付け根辺りからすーっと入る切り替えの潔さは、礼儀正しさを表す世界共通言語だ。


【ルール8】スニーカーにおける微差

¥141,000((ベルルッティ・インフォメーション・デスク)

 シリコンバレーに行ったことのある方はご存じだろうが、向こうで働いている男性の足元におけるスニーカーの占有率は圧倒的だ。あの軽さとリラックス感が開発者やエンジニアにプラスの影響を与えるのだろう。ただひとつ大人のスニーカーで気をつけたいことがある。どんなスニーカーでも、清潔に保ち、それを「キレイに」はくことである。若い人は磨かれざる原石だから多少汚いカッコをしていても許される。だが大人は若い人が目標にできるような輝きを放ってほしい。その第一歩が服も靴も「キレイに」身につけるということなのである。


【ルール9】茶靴はトーンではき分けてこそ

右から¥171,000(ベルルッティ・インフォメーション・デスク)、¥170,000(ストラスブルゴ〈エドワード グリーン〉)¥224,000(ジェイエ ムウエストン青山店)、¥110,000(ウィリー〈フラテッリジャコメッティ〉)、¥183,000(メゾン コルテ青山)、¥140,000(バーニーズ ニューヨーク カスタマーセンター〈マックスヴェッレ〉)、¥46,000(ユナイテッドアローズ 原宿本店 メンズ館〈ソロヴィエール〉)

 イタリア男のファッションを崇拝する日本のメンズ・ファッション関係者は少なくない。たしかにぼくたちでは思いもつかないような素材やアイテムの組み合わせを見せてくれるのがイタリア人だ。ピッティ・ウォモの参加者のスナップはどのメンズ・ファッション誌でも売れセン企画である。だが、いちばんびっくりするのは彼らの色彩感覚である。青系だけでもイタリア人が独立した一色と認める色がいったい何色あるのか。見当もつかない。それを服装というキャンバスに効果的に配していくセンスは恐るべきものだ。それは革靴についてもいえる。イタリア人にとって靴の基本色は茶である。「それが革本来の色だから」と以前取材したイタリアの靴職人が言っていたが、茶の色合いにも憎らしいぐらいこだわる。それは奢侈(しゃし)が禁じられていた江戸時代の町人の茶への尋常ならざる傾倒、「四十八茶百鼠」とも通じる。言葉の上では48だが実際の色数は100でも200でもきかなかったそうである。わずかなトーンの違いまで楽しむラテン・ダンディズムを粋と感じるのは、ぼくらの江戸っ子DNAか。


【ルール10】われ白シャツを偏愛す

A.¥33,000(ルイジ ボレッリ 東京店)B.¥60,000(ロロ・ピアーナ ジャパン)C. ¥19,000(ブルックス ブラザーズ ジャパン)D.シャツ¥43,000〈フライ〉・カフリンクス¥12,000〈ルイ ファグラン〉/以上バーニーズ ニューヨーク カスタマーセンター

 水に恵まれた国柄の影響もあるのだろうか、日本の男はほんとうに清らかさ、爽やかさの色である、白のシャツが好きだ。他国ではブルーを中心に色・柄ともにもうすこしバラエティのあるシャツライフを送っているように見えるが、ええい、何を構うものか、白が好きなら一本道でいけばよい。素材違い、襟や前立て、そで口の違い、それを総当たりでそろえたらいったい何種類になるのであろうか?『グレート・ギャツビー』のギャツビーではないが、白く輝くクローゼットの内側はちょっと壮観であると思うのだが……。

この記事の執筆者
名品の魅力を伝える「モノ語りマガジン」を手がける編集者集団です。メンズ・ラグジュアリーのモノ・コト・知識情報、服装のHow toや選ぶべきクルマ、味わうべき美食などの情報を提供します。
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クレジット :
イラスト/緒方 環 撮影/熊澤 透(人物)、川田有二(人物)、篠原宏明(取材)、戸田嘉昭・唐澤光也・小池紀行(パイルドライバー/静物)、小林考至(静物) スタイリスト/櫻井賢之、大西陽一(RESPECT)、村上忠正、武内雅英(code)、石川英治(tablerockstudio)、齊藤知宏 ヘア&メーク/MASAYUKI(the VOICE)、YOBOON(coccina) モデル/Yaron、Trayko、Alban 文/林 信朗 構成/矢部克已(UFFIZI MEDIA)、鷲尾顕司、高橋 大(atelier vie)、菅原幸裕、堀 けいこ、櫻井 香、山下英介(本誌) 撮影協力/銀座もとじ、マルキシ