「人魚の涙」や「月のしずく」と例えられる天然の真珠。冠婚葬祭などフォーマルな場面に身につけるため、真珠のネックレスをお持ちのかたも多いのでは?

私たちに馴染み深いファッションアイテムの歴史を改めて紐解き、その意外な成り立ちを探る本連載、今回は「真珠」を取り上げます。あの三大美女「クレオパトラ」も愛用していた? 誰もが知る人物との関わりなど、「真珠」の歴史にまつわる豆知識です。

■「パール」の語源は洋ナシ

パールは色味だけでなく形もさまざま

真珠は英語で「Pearl(パール)」、とは周知の事実。ですが、その語源については知らない人も多いはず。

実は形が「洋ナシ」に類似していたため、ラテン語で洋ナシを意味する「Perla(ピルラ)」に由来した、といわれています。

真珠は綺麗な丸い形がスタンダードですが、「ドロップ型」や「オーバル型」など、さまざまな形状を選べるのも魅力です。

そのほかにも「パール」の語源には諸説あり、ラテン語で貝を表す「Perna(ペルナ)」に由来するともいわれています。

■大胆!真珠を使って賭けに出たクレオパトラ

エジプトの女王クレオパトラと真珠のカンケイ

さて、真珠にまつわる有名な話といえば、世界三大美女の「クレオパトラ」の変わったストーリーがあります。

エメラルドをこよなく愛していたことで有名な彼女ですが、真珠もお気に入りのひとつ。身につけていたのは、世界最大サイズにして、王国ひとつ買えるほどの価値をもった真珠のイヤリングでした。

ローマの将軍アントニウスを招いた宴の席でのこと。
前の晩に開かれたアントニウス主催の夜会で「豪華な宴の用意をする」という勝負に出ていたクレオパトラは、宴会を開いていました。

そして前の晩の約束を実行すべく、宴の最中に杯を持ってこさせると、その貴重な真珠のイヤリングを酢の入った杯にいれました。酢の酸ですぐさま溶けてしまった高価な真珠。彼女はそのままそれを一気に飲み干したのだそう。

相当な価値の真珠を飲んだ大胆な行動には、アントニウスも茫然としたはず。国を買えるほどの真珠をつかった賭けが後に伝えられることとなったのです。

今度は、日本での真珠にまつわるお話を見てみましょう。

■卑弥呼から5000個の真珠を中国へ

日本は古代から真珠が採れる国の代表

島国である日本は周辺が海で囲まれているため、古くから真珠が採れていました。ときに真珠は貴重な交易品として使われていたほど。

その歴史の深さは中国の歴史書『魏志倭人伝』での記述からも伺えます。「魏」とは中国にあった国の名前、「倭人」とは当時の日本人のこと。この書物には邪馬台国の卑弥呼が魏の国王に真珠を5,000個贈った、という記述があるといわれています。

日本の特産物のひとつとして珍重されていた真珠は、中国では装飾品だけでなく薬としても使われていたのだとか。飛鳥時代には、外交官・小野妹子が当時の王朝・隋に派遣された際の貢ぎ物として献上されました。

■真珠をめぐって抗争が起きた時代

マルコ・ポーロは旅行記『東方見聞録』に真珠について記している

見た目の美しさはもちろんのこと、希少性も相まって高級品となっている真珠。それ故に、この天然真珠をめぐった抗争があったのは必然的なのかもしれません。

かの有名な商人マルコ・ポーロが記した『東方見聞録』にも日本の真珠が登場します。彼の旅行記を読んだ多くの人たちが真珠に憧れ、新しい大陸での獲得を目指しました。

そのひとり、探検家・コロンブスの行き着いた先が南米ベネズエラ。沿岸で大量の真珠を発見した彼は、多くの真珠を手にすることに。そしてベネズエラは新たな真珠の産地となりました。

その後、貴重な真珠を求めてベネズエラには人々が押し寄せ、略奪が繰り広げられることになるのです。

■海を越えて愛された宝石

長い歴史を超えて今もなお愛されている

かつては宝石の王様といわれる「ダイヤモンド」より高価になったことがある真珠。日本との関係も深く、コロンブスも憧れるほど。そして国は違えど多くのストーリーを残してきました。

真珠は長い歴史をかけ、国境を越えて人々を魅了してきた宝石なのです。

関連記事

この記事の執筆者
Precious.jp編集部は、使える実用的なラグジュアリー情報をお届けするデジタル&エディトリアル集団です。ファッション、美容、お出かけ、ライフスタイル、カルチャー、ブランドなどの厳選された情報を、ていねいな解説と上質で美しいビジュアルでお伝えします。
EDIT&WRITING :
高橋優海(東京通信社)