舞台は地球。ミッションを携えて途上国開発の最前線で貢献したい
ILOとは、社会正義の実現と「ディーセント・ワーク(=働きがいのある人間らしい仕事)」の創出を目指す国連の専門機関。ILOで20年以上にわたり、児童労働やグローバルサプライチェーンにおける雇用労働問題を専門にしてきた荒井由希子さん。日本語のほか、英語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語の5か国語で仕事をし、これまでに訪れた国は、仕事とプライベートを合わせて100か国以上。2013年にはILOを一年休職し、東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員としても活躍し招致成功へと一役買った、あふれるバイタリティの持ち主です。
「ラテンアメリカこそ、私のパーソナル・パッションの原点」とする南米との縁は、当時のフジモリ大統領の招待でペルーを訪れた、大学時代にさかのぼります。1995年、慶應義塾大学ペルー訪問団メンバーとして、荒井さんは、首都リマ郊外の貧しいスラム街に初めてできた小学校の開校式に参列。きらきらと目を輝かせる子どもたちの姿を目の当たりにし、「すべての子どもが働くことなく、学校に通えるような社会の構築に携わりたい」という想いを人生のミッションであり個人的なパッションとして抱くことになったといいます。
彼女のキャリアを突き動かしてきたのは、この時の決心。当時と変わらぬ情熱を胸に、25年の歳月を経てラテンアメリカへ。莫大な対外債務とコロナ禍の影響で深刻な雇用危機にあるアルゼンチンにあえて身を置き、第一線でアクションを起こすキーパーソンこそ、荒井さんです。ミッションを武器に世界を舞台に闘う、日本人女性リーダーの仕事観を伺いました。
ILOアルゼンチン事務所代表・荒井由希子さんへ10の質問
──Q1:国際機関で働きたいと思った出発点とは?
大学時代にペルーで掴んだ「子どもが働くことなく、毎日学校へ通うことができる世界の構築に貢献したい」という決意は、今なお自分の人生のテーマであり続けています。とはいえ、それを実現できる仕事の場は多岐にわたるため、当初、国際機関で働くことは、このテーマに携わるひとつの選択肢としての位置づけにありました。
在学していたジョンズ・ホプキンス大学の大学院はワシントンD.C.にあり、国際機関は身近な存在でした。大学の教授陣は米国政府機関や著名シンクタンク、そして、ワシントンベースの世界銀行や米州開発銀行(IDB)などから来て実践的な教育を受けることができましたし、国際機関や開発援助機関との接点が多かったのです。さらに、IDBでインターンをしたり、セミナー等に参加するなかで、国際機関で働く人たちの士気の高さと視野の広さ、プロフェッショナリズム、知識の深さに触れました。
世界銀行勤務時代には、さまざまな国から法律家やエコノミスト、専門家が集まり、国際機関ならではの人間模様やダイバーシティも興味深く。学問を実践に移して国づくりに直接関わっているトップレベルのエコノミスト、そして各分野の専門家たちと一緒に仕事ができる点に大きな魅力を感じたわけです。
ヤング・プロフェッショナル制度に導かれたフィールド(現場)への道
──Q2:ILOに転職したきっかけを教えてください。
世界銀行では、ラテンアメリカ・カリブ海地域の教育プロジェクトに携わっていました。世界銀行の融資プロジェクト活動となれば、規模も大きいのですが、教育セクターのプロジェクトに関わっていながらも、実際に子どもたちの生活、教育機会にどのような影響を与えているのか、具体的なインパクトが見えにくかったのです。出張も多く国々を訪れる機会は少なくなかったのですが、定期的に途上国を訪ねるのではなく、フィールド(現場)に我が身を置きたいという思いから、国連への転職を志すことに。
ILOヤング・プロフェッショナル制度は、若手職員を採用・登用するための5年間のプログラム。最初の1年をジュネーブ本部、その後フィールド、いわゆる途上国オフィス勤務を異なる2つの地域で1年半ずつ経験し、最後の5年目に本部に戻るというものです。ヤング・プロフェッショナル・プログラム(YPP)は、国境を超えて全世界から選抜される競争試験で、当時、世界中から4000人近くが応募したと聞きます。YPPを通じて、3年間フィールドで働く機会を得られることに魅力を感じて応募し、第一期生10人のひとりとして採用されました。現在、YPPによる採用は行われていません。
YPPで最初のフィールドは、一刻も早くラテンアメリカへと思う気持ちを抑え、あえて自分にとっては未知の地域であるアジアへ。その経験をラテンアメリカで活かしたいと考えていました。在バンコクのILOアジア太平洋地域局事務所へ赴任し、そこでまずYPとして児童労働撲滅専門家として、そして3年目からはYPPを卒業し、貧困削減アナリストとして勤務しました。
合計アジアで4年間働き、ジュネーブ本部に戻って15年。ILOに転職して21年目となる2021年、現場をリード・統括するカントリー・ダイレクターとして、自分の原点であるラテンアメリカに再度携わることになりました。
──Q3:現職に就いた経緯とは?
国際機関では、採用後に年次と共に自動的に昇進したり、異動辞令が出ることはありません。応募資格、求められるスキルや経験、職務内容が公示され、組織内外から候補者を集める公募のコンペティション(コンペ方式の採用)がとられます。今回は書類選考、上級幹部適正試験、筆記試験、面接(スペイン語/英語の両方でインタビュー)を経て選ばれました。
カントリーオフィス代表にはその国の出身者は、基本、採用されません。過去には、ペルー、ウルグアイやブラジルといった中南米諸国出身者がアルゼンチン事務所代表を務めてきました。在アルゼンチンの他国連機関代表もラテンアメリカ出身者、そして、スペイン語と同様にラテン語を母国語とするイタリア人が多いです。
自分の原点であるラテンアメリカに身を置き、ブエノスアイレスを拠点に陽気で元気な国際的なチームをリードできる醍醐味を日々感じています。仕事はスペイン語で行っています。ジュネーブ本部とのやりとりでは、英語、フランス語が使われます。
明日を自らの手でつくりだし、現実社会にインパクトを
──Q4:現在取り組んでいるミッションとは?
現在の職務は、ILO代表としての仕事が7割、国連アルゼンチンチーム一員としての仕事が3割程度で構成されています。ディーセント・ワークの促進、つまり、自由・平等・安全と人間としての尊厳を条件とした、人々が生産的な仕事を得ることを推進するのがILOの活動の主目標。ここでの仕事をわかりやすく説明すると、ILOが設定する国際労働基準を軸に雇用・労働の側面から国づくりを前線にてサポートすること。
膨大な対外債務を抱えるアルゼンチン。パンデミックによって引き起こされた経済危機も重なり、国民の4割強が貧困に陥っています。失業者やワーキングプアにより多くのよい雇用機会を与えるため、政策のプライオリティ設定にも携わっています。児童労働、強制労働、人身取引の撲滅、ジェンダー促進、若年雇用創出、サプライチェーン内の労働環境改善、気候変動・グリーンジョブ、移民問題、職場における暴力とハラスメントの廃止、このあたりが現在の優先課題となります。
カウンターパートであるアルゼンチンの労働大臣や使用者団体、労働組織のトップ、その他国際機関や駐アルゼンチン各国大使と日々連携・協調しながら、エビデンスに基づく政策提言、雇用にまつわる国の政策への評価、戦略的なパートナーシップの構築、資金調達などを行います。
ILOは社会対話を重要視しますので、政府、使用者、労働者の三者を交えたダイアローグを多く実施し、協働・アクションに移していきます。また、先ほどお話しました多岐にわたる優先課題については、さまざまな技術協力プログラムを展開しています。今年、日本政府の拠出金でビジネスと人権のプロジェクトを立ち上げます。
また、私はチームのリーダーとして組織を代表すると同時に、40人のスタッフを束ねるマネージャーでもある立場ゆえ、事務所の人事・マネジメントも行います。パンデミック中、スタッフとその家族の健康と安全を確保しながら、ILOの活動を進めていくことは重責でした。オフィス勤務に戻った今もスタッフのウェルビーイングは最重要課題で、チームのエネルギー・マネジメントに力を入れています。
──Q5:仕事人生に訪れたターニングポイントは何でしょう?
世界が混乱し、雇用危機を引き起こすパンデミックの真っ只中、前線に切り込んでいこうと決断したこと。今こそ国レベルでチームを率いてインパクトのある仕事をしたいと思い、現職に就いたことに尽きます。コロナ禍の影響で世界全体がバーチャルな世界へと移行し、リアリティとかけ離れてしまった時、その渦中にあっても今、自分にできることはあるのではないかと。
「パンデミック中に異動するの?!」「チャレンジャーだね!」と周りには驚かれましたが、私はじっとしていられなかった。前線にてゲームチェンジャーになりたかったのです。未来は、ビジョン次第で変えられるものですから!
以上、ILOアルゼンチン事務所代表・荒井由希子さんにこれまでの道のりや現職のミッションについて語っていただきました。
まだまだ続く、荒井代表へのインタビュー。明日公開の【キャリア編 Part2】では、東京2020オリンピック招致活動に挑んだ背景や、多国籍なチームをリードする秘訣など、Q6〜Q10の後編をお届けします。どうぞお楽しみに!
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- TEXT :
- 愛甲悦子さん ファッションエディター