一度は諦めた税務・会計の道を、天性の明るさと「心配り」で切り拓く!

税理士の祖父を持ち、彼の税理士事務所を継ぐべく「もともとは日本の税理士になりたかった」というゼンフト理加さん。上智大学在籍中に税理士試験の勉強をはじめたものの、日英バイリンガルとはいえ日本語の読解力不足に悩まされ、受験前に断念。結局金融を目指し、新卒で住友銀行の門をたたきます。

メガバンクの銀行員を経て、BIG4二社での勤務経験を持つ、輝かしい職歴の持ち主。けれどその道のりは、決して平坦なものではありませんでした。自己を主張する国アメリカで教育を受けたゼンフトさんにとって、銀行の保守的な価値観はにわかに受け入れがたいもの。さらに、睡眠不足とストレスがたたって、体調を崩してしまうことに。

そして、銀行を辞めて税務・会計関係の仕事を再び志し、PwCでコンサルタントとして働きながら、「米国公認会計士の資格を取ってアメリカへ戻ろう」と一念発起。そんな矢先、ご主人との出会いから、アメリカではなく新天地ドイツへ導かれることとなりました。

 
ゼンフト理加さん
KSPジャパンデスク責任者/日本行政書士、米国公認会計士
(ぜんふと りか)1976年アメリカ・ロードアイランド州で生まれ育つ。1999年上智大学法学部を卒業後、新卒で住友銀行(現・三井住友銀行)入行。総合職として1年半勤務したのち、2000年にプライスウォーターハウス(旧・中央青山監査法人)へ転職。シニアアソシエイトとして3年弱、税務コンサルティングに従事。2003年、結婚を機にドイツへ移住。フリーランスとして、また国際会計事務所JAXとKPMGで経験を積んだのち、2020年4月より現職。プライベートでは、16歳・13歳・11歳の3児の母。

3人の息子たちの子育てに追われながらも、途切れることなく税務コンサルティングビジネスに携わり、ドイツ在住歴は早18年。パンデミック下の2020年4月、前職KPMGからKSPという中堅税理士法人に転職し、ジャパンデスクを始動させました。

キャリア_1,インタビュー_1
ドイツ・デュッセルドルフに本社を構えるKSPのオフィスにて

メガバンクの銀行員から国際税務コンサルタントへ。仕事の拠点は、日本からドイツへ。そして大手BIG4から、より自由に自分を試すことのできる環境へ。変化をしなやかに受け入れながら、着実にキャリアを積んできたゼンフトさんに揺るぎない仕事観を伺います。

国際税務コンサルタント・ゼンフト理加さんへ10の質問

キャリア_2,インタビュー_2
ケーキと一緒に収まった写真は、KSP初出社日のもの。「AUF EINE GUTE ZUSAMMENARBEIT」(よろしくお願いします)」のメッセージを飾ったケーキを自ら持参

──Q1:現職に就いた経緯とは?

前職はBIG4と呼ばれる4大税理士法人のひとつ、KPMGにいたのですが、BIG4では消費税、個人所得税、法人税などと税金ごとに部門が分かれていて、クライアントから案件が来ると必要部門に振り分けるシステムに。ところが、振り分けないで独り占めしてしまうスタッフもいて、取り合いや間に立たされることも多々。そんな環境に疲弊していました。

そこへ折よく、私よりも先に大手KPMGから中堅KSPへ転職したかつての同僚から、国際デスクのひとつとしてジャパンデスクを設置したいと声がかかって。中堅税理士法人では、振り分けのストレスから離れて、ひとりのコンサルタントが全体を見ることができ、よりお客様寄りに仕事ができる。その思いからKSP転職を決意しました。

キャリア_3,インタビュー_3
7年間勤務した、ドイツ・デュッセルドルフにあるKPMGのエントランス

──Q2:現在取り組んでいるミッションとは?

日本企業のドイツ進出、あるいはドイツ企業の日本進出に向けて、税務コンサルティングとサポートを行うのが使命です。本来ならば、オリンピックイヤーでビジネスになったはずですが、コロナ禍の影響で日本は全世界に対して新規外国人の入国を拒否していますから、日本進出を計画するドイツ企業は皆無。残念ながら逆もしかり。現状は、どの企業もマーケットリサーチの段階といえます。ジャパンデスクは始動させたばかり。自分なりに大きくしていくしかないですね。

前職KPMG時代にも、日系企業のコンサルティングを担当していました。一番苦労するのは、日本特有の「率直に言わない文化」。以前、「つまらないものですが」と言われたとき、私自身「つまらないものなら、くれなくていいのに」と素直に思ったほど(笑)。ドイツ人は直球のコミュニケーションスタイル。一方の日本は、婉曲表現と繊細な気遣いのある文化。日本とドイツ、ふたつの国の橋渡しをするうえで、コミュニケーション文化の差に留意してのぞみます。

キャリア_4,インタビュー_4
アメリカ・ロードアイランド州の中学校へ通っていたローティーンの頃。珍しく笑顔を見せていないのは歯科矯正をしていたからだそう(後ろから2列目、右から2番目がゼンフトさん)

──Q3:キャリアの中で経験した最大のチャレンジを聞かせてください。

東京でのプライスウォーターハウス(現・PwC)税務コンサルタント職を辞めて、渡独したこと。ちょうどその頃、元上司であり今は夫のリュディガーにはPwCドイツ(デュッセルドルフ)への異動が決まっており、私は本拠地PwCロンドンへの異動を検討しているところでした。

ロンドンとデュッセルドルフの遠距離恋愛でいいと思っていた私に、彼はドイツで人生をともにしようとプロポーズしてくれて。覚悟を決めて仕事をキッパリ辞め、彼について行くことに。まずは未知のドイツ語を語学学校で学び、ドイツ文化にある程度慣れてから、国際会計事務所JAXで多国籍企業の日本進出に対するコンサルティングの仕事を再開しました。その後は前職PwCの元同僚と組んで、ドイツからリモートで日本企業のために約2年間、育児のかたわらコンサルティング業務を続けました。

小さなビジネスでも、その可能性を見出せる人間でいたい

──Q4:最初に就いた仕事とは? 

住友銀行(現・三井住友銀行)の総合職、融資部門です。住友銀行はパナソニックをいち早く見出した存在。1927年、まだ規模の小さかった松下電気器具製作所(現・パナソニック)と住友銀行は取引を始め、それをきっかけにパナソニックは世界的企業へと躍進しました。大きなビジネスを動かすだけでなく、小さな会社の可能性を見抜ける人間でもありたい。そういった可能性を追求したいという憧れから、住友銀行の融資部門を志望しました。この思いは、税理士法人でコンサルタントとして仕事を続けている今も変わりませんね。

キャリア_5,インタビュー_5
住友銀行一年目の頃、苦楽をともにした総合職の同期とともに

──Q5:仕事人生で経験したターニングポイントとは?

銀行を辞めたこと、そして税務・会計関係の道へ歩みはじめたこと。アメリカで生まれ育った自分にとって、銀行における縦社会は過酷すぎました。まさに半沢直樹の世界です。日比谷支店勤務だったのですが、新卒が支店長室にずけずけ入って自己主張するなんて御法度、というのも知らず、思い切りやってしまいました(笑)

バブル崩壊後の就職氷河期の真っ只中、総合職の新卒女性採用はたったの10人で全体の10%。私は総合職でしたが、男性よりも仕事をしないと認めてもらえず、一般職女性も大事にしなければなりません。残業はもちろん、人間関係に疲弊し、嘔吐を繰り返すようになりました。結局は、銀行づきの医師から「逃げるのもひとつの解決策」と背中を押されたことをきっかけに、二年目で銀行員を辞めましたが、退職前に自分から人間関係を変えようと心がけたんです。

嫌味を言われたから嫌味で返す・泣くのではなく、嫌味を言われたからこそ明るく返す。その習慣をはじめたら、相手の対応も変わってきました。「苦しくても笑顔でいられる人間がいいね」と昔誰かが言っていたことを、二年目にして思い出したんです。私自身の人間としての成熟が足りず「石の上にも三年」は成就しなかったものの、気づきを得ました。

──Q6:コロナ禍の影響による、仕事の変化はありますか?

コロナ禍で日本あるいはドイツへの進出を本格化する企業はまずありませんから、ビジネスの停滞は致し方ありません。ただし、止まったからといって動かないのではなく、普段ならば連絡を取らなかったであろう企業にあえてコンタクトを取る。アップカミングな業種にアンテナを張っています。

女性たちよ、笑顔を絶やさず、資格という武器を持って!

──Q7:リモートワークにおいて人間関係を円滑にする秘訣とは?

リモートに限ったことではありませんが、部下や同僚に悩みがありそうであれば話をよく聞くよう心がけています。その分、終わらなかった仕事は夜の自宅作業に回すことになりますが(笑)。自分時間を多少削っても、特に自分のために仕事をしてくれている部下には、大事にされていると感じてほしいのです。

キャリア_6,インタビュー_6
フライングディスク競技「アルティメット」に夢中だった大学時代(一番左がゼンフトさん)

──Q8:女性のキャリアアップに必要な能力とは何でしょう?

「気配り」のひとことに尽きます。秘書であれ、一般職・総合職であれ、性差や肩書きに関係なく仕事相手を「気遣う」という女性ならではの仕事流儀を、銀行員時代に学びました。特に、自分が同性であればこそ「一般職の女性を大事にする」という銀行で得た術は、ドイツで仕事をしている今も活かされていると思います。

──Q9:影響を受けた人物とは?

母です。両親はアメリカで離婚していますが、母はシングルマザーになってから介護福祉士の資格を取得し、知的障害のある子どもたちを支援する社会福祉法人を経営しています。母には「女性は資格を取るべき」と諭され、彼女の背中を見て育ちました。その影響もあり、ドイツへ渡った翌年、米国公認会計士の資格を、次男妊娠中には日本で行政書士の資格を取得しました。

キャリア_7,インタビュー_7
米国公認会計士の登録証
キャリア_8,インタビュー_8
日本行政書士の登録証

──Q10:原動力となる言葉は?

前述のとおり、「苦しくても笑顔でいられる人間がいいね」が人生の教訓。大学受験中に何かの本で読んで以来、心に残り、知り合いの書道家にも結婚祝いに「笑顔」と書いてもらったほど。実は住友銀行の最終面接で長所を聞かれたとき、「笑顔です!」と答えて人事部長に大笑いされたことも。後で「君みたいな人間はそういない、印象に残った」と告げられました(笑)


以上、ドイツの税理士法人で国際税務コンサルタントとして活躍するゼンフト理加さんに、キャリアと仕事観についてたっぷり語っていただきました。

明日公開の【ライフスタイル編】では、労働先進国ドイツ流のワークライフバランス術やホリデーの過ごし方など、海外ワーキングウーマンの気になるプライベートに迫ります。どうぞお楽しみに! 

関連記事

この記事の執筆者
1974年東京生まれ。「MISS」「家庭画報」「VOGUE NIPPON」「Harper’s BAZAAR日本版」編集部勤務を経て、2010年に渡独。得意ジャンルはファッション、ジュエリー&ウォッチ、ライフスタイル、犬、ラグジュアリー全般。現在はドイツ・ケルンを拠点に、モード誌や時計&ジュエリー専門誌、Web、広告などで活動中。