真珠と開運の街・伊勢志摩に訪れる大人の女性が急増しているという噂…。そこで、Preciousでも1泊2日で伊勢志摩に行ってきました。真珠の街の見どころを、3回に分けてご紹介します。まずは、世界一の真珠ブランド・ミキモトの生みの親・御木本幸吉氏が世界で初めて真珠の養殖を成功さえた「ミキモト真珠島」をご紹介。
鳥羽湾に浮かぶ「ミキモト真珠島」は、明治26(1893)年に御木本幸吉氏が世界で初めて真珠の養殖に成功した、養殖真珠発祥の地です。ここでは、ミキモトの真珠と御木本幸吉氏について、知ることができます。
パールの聖地「ミキモト真珠島」で真珠の歴史を知る
この島は、樹齢200年を超える松やクスノキに覆われた島は、多くの野鳥たちのオアシスになっています。
島内にそびえる御木本幸吉氏の銅像は、3.75メートル。当初、銅像の設置を拒んでいた幸吉氏ですが、「建てるというのであれば、上野の西郷さんの銅像(3.70メートル)より、ほんの少しだけ高くしてほしい…」と希望したという幸吉氏のおちゃめなエピソードに、思わず笑みがこぼれました。
真珠博物館で養殖真珠ができ上がる工程を学ぶ
まずは「真珠博物館」で、真珠のできる仕組みや真珠を育む貝の種類、そして養殖法などを学びます。養殖のベースとなる「核入れ手術」など、実際の道具や標本、映像を見ながら教わります。さらに、真珠の色と輝きの秘密や成分、収穫された真珠が厳しい選別などの工程を経て、美しいネックレスができ上がるまでを勉強していきます。ひとつとして、同じものが存在しない、自然から生まれる真珠の繊細な個性を見極め、隣り合う真珠が美しい輝きを放つように、同じ色・光沢のものを並べていく作業は、目を見張るものがありました。
ちなみに核入れ手術を受けた貝は、養殖中に約50%が死んでしまい、全体の30%ほどが良質な真珠、花珠と呼ばれる最高級品は全体のたったの5%しか穫れないそうです。
第1展示室では、ルネサンスと19世紀のヨーロッパを中心としたアンティークジュエリーが並ぶ展示室。養殖真珠発明以前の天然真珠を用いたアンティークジュエリーの数々に見入りながら、人類が最初に出会った宝石である真珠の歴史を感じることができる貴重な空間です。
第2展示室では、御木本幸吉氏が養殖真珠を世界にアピールするために各国で開催された万博博覧会に出品した工芸品の数々。「御木本五重塔」、「自由の鐘」、「矢車」、「ミキモトパールクラウン」…など、真珠をふんだんに使用したミキモトクラシックコレクションは、思わず息を飲むほど美しくダイナミックです。
「真珠博物館」と隣接している「パールプラザ」では、ミキモトのパールジュエリーや真珠島だけのオリジナルジュエリーを購入することもできるのでぜひ訪れてみてください。
御木本幸吉氏の人生と人柄に触れる
続いて「御木本幸吉記念館」へ。鳥羽のうどん屋「阿波幸」の長男に生まれ、96歳で没するまでの幸吉氏の生涯と功績を知ることができます。真珠に人生のすべてを駆け、当時不可能だとされていた真珠の養殖を成功させた幸吉氏。“真珠王”と呼ばれても、決して驕ることなく、質素な生活を貫いた幸吉氏の人柄やユーモアあふれる人生哲学に触れることができます。
海女さんの見事なショーに釘付け
最後に海女さんの真珠ショーを見学。海底に潜ってアコヤ貝を採取して、核入れした貝を再び海底に戻したり、赤潮や台風のときには、いち早く貝を安全な場所に移すなど、かつて真珠の養殖に不可欠な存在であって海女さん。昔ながらの白い磯着をまとった海女さんたちとお目にかかれるのは、日本ではこの真珠島だけなのだそうです。
世界中の女性を虜にする真珠。ひと粒の真珠が育まれるまでに、たくさんの愛情と情熱が注ぎ込まれていることを知ることで、今までよりも真珠が一層輝いて目に映るはずです。真珠の魅力を存分に堪能できる、ミキモト真珠島、ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか?
シリーズ「真珠と開運の街・伊勢志摩の旅」
問い合わせ先
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ミキモト真珠島
TEL:0599-25-2028
住所/三重県鳥羽市鳥羽1-7-1
- TEXT :
- Precious.jp編集部
- PHOTO :
- トヨダリョウ
- EDIT&WRITING :
- 新田晃与